第六話:楽しみにしてるね
「……うん。楽しみにしてるね」
妥協の言葉に対し、綾乃が嬉しそうにはにかむ。
それが、俺の恋心と良心を同時にちくりと刺した。
こうやって見せてくれる、彼女の表情ひとつひとつが、俺にとってどストライク。
それは十分俺の胸をドキッとさせるのに十分だし、俺といたいって思う気持ちをはっきり感じて嬉しくなる。
けど、今の答えは自分の失態から生まれた妥協。そんな俺の甘い気持ちは、彼女の本気とは雲泥の差で、その申し訳なさに胸が痛みもした。
……もう少し、ちゃんと向かい合わないと悪いよな。
そう思いながら、俺は胸の痛みを気づかれないよう、何とか微笑み返した。
◆ ◇ ◆
あの後、駅前からバスに乗って、目的地の水族館に向かった。
バスの二人掛けの椅子に並んで座ったんだけど、その距離は歩いている時よりずっと近くて、互いに話をしながらちょっと緊張してたと思う。
っていうか。俺は間違いなく緊張してた。
だって、互いの肩が触れそうなくらいの距離だぞ? 緊張しないわけないだろって。
綾乃の方も少し頬を赤くしてたけど、きっとそれだって、好感度だけがさせたわけじゃないんだと思う。
窓側に座る綾乃。
その向こうの窓の先で流れる景色を見ながら、俺達は昔話に花を咲かせる。
と言っても、相変わらず俺は合わせる事しかできないけどさ。
自分が小学生の頃の事とかよく覚えてるよな、なんて思いながら聞いていたんだけど、よくよく考えれば、彼女にとってはたった数年。そりゃ覚えてもいるか。
リアルで二十六にもなると、小学生の頃の記憶って、案外忘れてるんだよ。
そんな事を考えながら、何とか会話をこなしていると。
「そういえば、中学生の時にプリントを廊下にばら撒いちゃったのを拾ってくれたよね?」
なんて、突然問いかけられて、思わず「えっ?」って返してしまった。
その時期は、キュンメモでも二人が疎遠になってる設定の時期。
学校でそんな接点、なかったんじゃないか?
「そんな事あったか?」
思わず素でそう問い返すと、彼女はちょっと寂しそうな笑顔を向けてくる。
「うん。あの頃って、全然話せなくなっちゃった時期でしょ? だから、プリントを一緒に拾ってくれて、『気をつけてね』って声を掛けられたの、凄く嬉しかったんだよ」
その会話を聞きながら、ふっと頭に過った、初恋の人との想い出が重なる。
きっと、あの時みたいな感じか。
何となく脳内でイメージできたその展開。だけど、結局ゲームでの綾乃と主人公は、そんな出来事があっても疎遠だったんだよな。
って事は、二人ともそこから話をしなかったんだろうか?
記憶にない出来事の中でも、かなり返事に苦慮する話。
でも、沈黙ってわけにもいかないよな……。仕方ない。一か八かだ。
「そうだったのか。ごめん。俺、綾乃が変に噂されてもいけないかなって思って、それ以上声を掛けなかったんだけど……」
敢えて申し訳無さを表に出しつつ、半分読みでそう言い訳をしてみる。
これを外してたら、もう記憶がうろ覚えだったって平謝りするしかないな……。
「ううん。こっちこそごめんね。私もあの頃はまだ、そういう事を気にしちゃってたから、結局お礼しか言えなかったもん」
綾乃は俺の言葉に小さく首を振り、俺に釣られて申し訳無さそうな顔をする。
内心、予想が当たったことにほっとしたけれど、彼女をずっとこんな顔にはさせられない。
「気にしなくていいよ。結局お互い様だし、お礼を言ってくれただけでも嬉しかったから」
「そっか。……うん。わかった」
慰めになるかもわからない俺の言葉に、彼女はにこっと笑い礼を言うと、こう言葉を続けた。
「でも、また翔君と話せるようになって良かった」
「え? そうか?」
「うん。私は凄く嬉しいな。翔君は、そうじゃない?」
おずおずとしながら、様子を伺う綾乃。
話せて嬉しいか否か。それだけで言うなら……。
「……うん。俺も、嬉しいかな」
……まあ、そりゃ嬉しいさ。
ゲーム内とはいえ、推しだった相手。
可愛すぎて、一緒にいて緊張する相手。
彼女の過去の記憶は、本当の俺とのものじゃないけれど。
それでも、憧れの人と話せてるんだ。嬉しくないはずがない。
とはいえ、それは本来の主人公と話せていると思っている、綾乃の嬉しさとは別なんだろうけど。
「良かった。実はあんまり、なんて言われたら、どうしようかと思っちゃった」
心底ほっとしたような顔をしてくれる綾乃に、俺はちょっと気恥ずかしくなり頬を掻く。
ほんと、このヒロイン力はやばい。
そして、こんな彼女にここまで好意を寄せられるだけの、俺のステータス状態も。
だけど、勘違いだけはするな。
今はあくまで色々とフラグがおかしいだけ。
彼女はまだ、俺、朝倉翔に好意を持ってるわけじゃないんだ。
まずは俺が俺らしく接して、親しくなって。彼女の好感度を下げないようにしながら、できれば俺を見てもらおう。
外の景色同様、きらきら眩しい綾乃の笑顔を見ながら、俺はそんな決意を固めたんだ。
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