第十一話:え? お店?

「え? お店?」


 思わずエリーナを見ると、またおどおどとし始めた彼女が、俯き上目遣いになる。


「は、はいです」

「えっと、今日は動物園に行くんだよね?」

「そ、そうなのです。た、ただ、その前にお昼を済ませたほうがいいかもと、思ったのです」


 こっちの反応を伺いつつ、慎重に話をするエリーナ。

 時折目が泳ぐのは、何となく俺にそれを断られるんじゃって不安の表れかもしれない。


「あの、もしかして、お昼を済ませていたですか?」

「あ、いや。まだだけど……」


 確かにお昼はまだ済ませてないし、多少小腹も空いている。

 ただ、俺はこのという言葉に一抹の不安を覚えた。


「あの、どんなお店?」

「あ、はい。リュクスっていう、フランス料理の美味しいお店なのです」


 リュクスって……確かフランス語でって意味。

 しかもフランス料理だろ。これはほぼお高い店って確定してるじゃないか。


 そういう店に行った経験すらないのはこの際どうでもいいし、エリーナがお嬢様だからこそ、そういう店を選ぶのだって悪い判断じゃない。

 ただ、ちゃんと線引きはしておかないと。


「そっか。お店はそこでいいけど、俺の分は俺が出してもいいよね?」


 俺が迷わずそう言い切ると、彼女は「えっ?」っとちょっと驚いた顔をした後、わたわたとし始めた。


「で、ですが、結構お値段もするのです」

「あ、うん。それはわかってる」

「お店だって、こっちで勝手に決めちゃったのです」

「それも構わないよ」

「あの、でも……でも……うう……」


 こっちがあまりにあっさり理解を示したせいで、エリーナは断る理由を失い困った顔で俯いてしまう。

 ちょっと悪いことをしたかな、という気持ちもあったけど、それ以上に思ったのは、何でそこまで奢りに固執してるんだろう? って事。


 まあ、一人暮らしの学生の財力を気にしたってならわからなくもない。

 この世界のありがたいシステムで、俺の財布には必要に応じて勝手にお金が入ってるから全然困らないけど、そんな事情を彼女が知るはずもないしな。


 ただ、それだけが理由なら、俺が問題ないって言った時点で受け入れてもいいはず。

 となると……やっぱりが理由か?

 彼女の反応の心当たりについて考えていると。


「朝倉様。お申し出はごもっとも。ですが今回だけは、エリーナ様のご意向に沿ってはいただけませんか?」


 運転席に座る陣内さんから、そんな言葉が返ってきた。

 そっちの方を見ると、ルームミラー越しに真剣な彼と目が合う。


「お嬢様は初めてお会いした日の感謝を、どうにか形にしたいと我々に仰りました。そこで、今回の昼食をご提案したのです」


 ……だよなぁ。そんな気はしてた。

 この間の帰宅の時もお礼を言ってきてたし、好感度の話もあるだろうけど、エリーナはそれだけちゃんと感謝してくれてる。だからこそ、お礼もちゃんとしたいって思ってたんだろう。


 子供っぽい所もあるけど、ここまでしっかりしてるってのは、やっぱり生い立ちとか環境もあるんだろうな。本当に律儀でいい子だよ。

 改めてエリーナを見ると、上目遣いでこっちをちらちらと見た後、ぐっと膝の上に置いていた両手の握りこぶしに力を入れる。

 そして、意を決したのか。彼女が頭を上げると、真剣な表情で自ら思いを言葉にし始めた。


「あ、あの! 勝手にお店を決めたのは私なのです。その、これがお礼になんてならないかもしれないのも、わかってるのです。……で、でも。私はちゃんと、本を運んでくれて、猫ちゃんにも会わせてくれた翔様に、お礼がしたいのです!」


 緊張しながらも、目を潤ませ必死に想いを伝えてくるエリーナ。


 ……きっと、彼女なりに頑張ってこう口にしたんだよな。

 これもゲームにない展開だし、この先の選択が好感度に左右するかもわからない。

 だけど、引っ込み思案な彼女がここまでしっかり言葉にしたのだって、勇気がいったに違いないよな。


 まあ、これをそのまま無下にするのは 流石にないか。

 今回ばかりは割り切って、初めての経験をさせてもらう気持ちでいくか。


「……わかったよ」


 俺がふっと笑うと、不安そうだったエリーナにぱぁっと笑顔になる。

 その表情にはほっとしたけど、一応釘は刺しておくか。


「但し。ご馳走になるのは今回だけ。もしこの先一緒にお昼とか食べる時は、せめてこっちの分は払わせてほしいんだけど。いいかな?」

「……はい!」


 エリーナが満面の笑みで元気に返事したのを見て、俺が再び陣内さんのほうを見ると、彼もまた目を細め、納得したように微笑み頷く。

 助手席から振り返り、何も言わずに様子を伺っていた沙友理も安堵の笑みを見せているし、今回はこれでいいか。


「それでは、出発いたします」

「はいです!」


 陣内さんの声に元気に返事をしたエリーナに微笑ましい気持ちになりながら、俺はシートに身を持たれ、しばらく高級車の乗り心地を堪能することにしたんだ。


   ◆  ◇  ◆


 あれからだいたい三十分後。

 俺は、エリーナ達に連れられやってきたフランス料理店『リュクス』で、彼女と向かいあい高級フランス料理を味わっていた。


 最初のオードブルからめちゃくちゃ美味しかったんだけど、正直ナイフとフォークの使い方がなっているのかって不安のほうが大きくって、時折周囲の様子を伺っていたりするから、実のところあまり落ち着けない。


 いやだって。

 きらびやかな店内に、お金持ちだってはっきりわかるようなお客さんが沢山いる中。こんな所に来るのが初めての、私服で庶民丸出しの場違いな俺。

 そんな俺に、きちっとしたマナーなんてまで求められたら正直どうしようもないし、そんな客を連れているってエリーナ達が笑われても困るだろ。


「あ、あの。お味はどうですか?」


 ゔ……流石にちょっときょどり過ぎてたか? 


「え? あ、ああ。凄く美味しいよ」

「そうですか。良かったのです」


 内心をごまかし笑顔を見せると、彼女もほっとして笑顔になった後、また目の前の料理を食べ始める。

 それに合わせ、俺もまたナイフとフォークを使い、料理を食べ始めた。


 ……こういうのを、リーゼロッテにも見られているって事だよな。

 静かに料理を食べ進めるエリーナを見て、ふとそんな事を思う。


 考えてみれば、リーゼロッテと会った後、初めてエリーナと過ごしているんだよな。

 エリーナと普通に話してる分には気にならないけど、こうやって変に考え事ができると、ふと悪戯っぽい笑みを浮かべたあいつが思い浮かぶ。


  ──「まったく。マナーもなっておらんとは」


 ……うん。言いそう。

 とはいえ、じゃあ俺が簡単にマナーをどうにかできるわけじゃないし、諦めるしかないんだけど。


 そういや、次にリーゼロッテと話せるのは、五月下旬の満月の日だよな。

 この間の気づきを伝えられたら、少しは道を指し示したりしてくれないだろうか?

 あの時話した限り、頼りにはなるし。


 本当は少しでも早く話せたら。そんな気持ちはある。

 けど、満月以外じゃエリーナに負担が掛かるって設定だもんな。土台無理な話か……。


 ……そういえば。

 気になってはいたけど、調べるのを断念していた、リーゼロッテとなら楽に調べられるんじゃないか?


 口に広がる魚の旨味を感じながら、俺はじっとエリーナをぼんやりと見る。

 元々あれは自分で調べるには手間が掛かる代物。そういう意味じゃ彼女は適任じゃないか。

 まあ、あいつがエリーナ越しに見てるとはいえ、こんな話は流石にできないけどな。


「……あの、翔様」


 ん?

 突然耳に届いたエリーナの呼び掛け。

 はっとしてちゃんと視点を合わせると、ナイフとフォークを置いた俯き加減で顔を真っ赤にし、上目遣いにこっちを見ていた。


「その、私、何か変ですか?」

「変? 何で?」

「あの、その。さっきからずっと、私を見ていたので、気になったのです……」


 ちょんちょんっと人差し指を合わせ、もじもじするエリーナ。

 って、ぼんやり見てたの、気づかれてたのかよ!?


 ど、どうする!?

 流石にリーゼロッテの事を考えてたなんて言えるわけがないだろ?

 ど、どうする?  と、とりあえず──。


「あ、えっと、ごめん! そ、その、エリーナの食べ方が綺麗で、ほんと凄いなって思って!」

「そ、そうなのですか!?」

「あ、ああ。お嬢様らしく様になってるし、めちゃくちゃ可憐だなぁって」

「か、可憐、ですか?」

「う、うん! 可憐だった! 本当に!」


 咄嗟にそんな言葉が口を衝く。

 と、それを聞いた瞬間、エリーナがより真っ赤になり。


「う、嬉しいのです……」


 って、恥ずかしそうにぽそっと呟いた。


 あれ?

 可憐ってそんな照れるような意味あったっけ?

 可憐って、お嬢様みたいに華やかって意味じゃないのか?


「そ、そっか。喜んでくれたなら、こっちも嬉しいよ」


 ちょっと戸惑いながらも、俺はそんな言葉を返したけど。

 店を出て車に乗る直前。ドアを開けてくれた沙友理に意味を聞いてみたら、


「それは、可愛らしいという意味ですよ」


 と、少し困ったように返されたのを聞いて、俺は自分の無知に恥ずかしくなった。

 ほんと。穴があったら入りたいってこの事だろって……。

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