第三話:どうしたの? ぼーっとして
「どうしたの? ぼーっとして」
しまった!
完全に自分の思考の沼に入り込んでて、今の状況がぶっ飛んでた。
今はまだ、綾乃との下校前の会話中じゃないか!
「あ、ご、ごめん。ちょっと、考え事」
「そっか。……もしかして、迷惑だった……かな?」
おずおずと尋ねてくる綾乃に、俺は気後れしながらも考え込む。
今だって会話に困ってるのに、一緒に帰って会話が続くのか? って思いと、これがゲームの中なのか、何か掴めるかもしれないっていう好奇心の葛藤。
彼女の、期待と不安が入り混じる視線。
断ったら、やっぱがっかりするんだろうか?
そんな同情が芽生えた瞬間。
「……あ、いや。じゃあ、途中まで」
俺の心の天秤は、偽りの好奇心に傾いたんだ。
◆ ◇ ◆
「……ふふ。まさか進学したのが翔君と同じ学校だったなんて。びっくりしちゃった」
校門を出て住宅街を歩きながら、俺の隣でそんな事を口にしつつ、ほんのり顔を赤らめな微笑む綾乃。
俺は横目でちらりと彼女を見ると、「そ、そうだな」なんて短く返し、すぐに視線を正面に戻した。
……やっぱり、清宮綾乃は美少女だ。
整った柔らかく、愛らしい顔立ち。
艶のある長髪の一部を、細いリボンで横に束ねてるんだけど、それがまた良く似合ってる。
語彙力なさ過ぎだけど、彼女を見て出てくる感想は、素直に可愛いって言葉だけ。
……正直、リアルでも美少女と呼べるような若いアイドルや、本当に綺麗な女優さんをテレビやネットで見かけるし、街を歩けば目に留まるような可愛い子だっている。
けど、実際に同じくらいの美少女が隣にいて、俺と会話をしてるっていう現実は、心を
本来キュンメモのヒロイン達は、古き良き時代を感じる、ある意味で味のある二次元のCGで描かれてるんだけど。隣にいる彼女は、それを元にされているのが分かる、三次元キャラとしてそこに存在している。
しかも、CGをそのまま3Dモデリングに起こした、VR世界のアバターみたいな感じじゃない。
現実と遜色ない、愛らしい人として存在しているんだ。
そのくせ、声は俺の記憶にあるゲーム内の彼女と同じ。
しかも、それがまったく違和感を感じさせないどころか、現実的な彼女の魅力をより際立たせていて、彼女こそが清宮綾乃だって強く主張してくる。
きっとアニメ映画の実写化だったら、これこそが正しい。そんな気持ちにさせられるくらい、納得感のある可愛らしさ。
そして、当時ゲーム内の彼女に心奪われた一人だからこそ、胸のドキドキが収まらない。
まあ、当時の俺の推しキャラだったし、こればかりは仕方ないって……。
っていうか。
ずっと緊張してるのもあるけど、正直テンパってて、あの後から会話らしい会話もできてないんだよな。
彼女はといえば、後ろ手で鞄を持ちつつ、恥ずかしげに俯いて歩いてるけど、やっぱり何も言ってこない。
ま、まあ、そりゃこうなるだろ。突然の再会なんだし。
あ、でも、もしかしたらフラグがバグって、会話がぶっ飛んでる可能性も──。
「か、翔君って、どうして夢乃高校を選んだの?」
──なかった。
えっと……確か、このゲームの主人公の設定は……。
俺は必死に過去の物となった記憶を掘り起こしながら、言葉を選びつつ話し始めた。
「とりあえず、家から近いから、かな」
「え? そんな理由?」
「ああ」
少し驚いた綾乃の声。
だけど、記憶が間違ってなきゃ、確かこんな平凡な理由だったはずだ。
「それより、えっと……清宮さんは、何でここを選んだんだ?」
……うわぁ。違和感あり過ぎ。
言葉を選び過ぎた俺は、口から出た不自然ばりばりの台詞に、思わず呆れ果てる。
だけどこれもまた仕方ない。
確かこのゲームの主人公は、オープニングでこそ今みたいな喋り方だったけど、本来こんな会話ができるくらいの好感度があがった状況になると、彼女を綾乃って呼び捨てにしていた。
そして、今の好感度ならきっと、呼び捨ての方がしっくりくるはずだ。
じゃあ、何でそうしなかったのかと言えば、それは至って単純な理由。
……えっと、まあ、その……俺の素が出ただけだ。
だから言ったろ? 俺、テンパってるって。
女性との会話に慣れてない俺が、彼女相手にうまく喋れる訳ないんだって……。
ほら。綾乃が少しムッとしただろ。
選択肢すらない会話なんて、こうなるに決まってる。これじゃ好感度なんて下がる一方だって……。
「……何か、その呼び方、嫌かも」
ほらな。
……って、え?
「どういう事?」
思わず自然に彼女に顔を向け尋ね返すと、こっちと目があった彼女は、少し目を泳がせた後、少しもじもじしながらこう口にする。
「名字で呼ばれると、何か他人行儀みたいで。折角再会したんだし、その……昔みたいに、名前で呼んで欲しいな」
……おいおいおいおい!
俺の記憶が確かなら、こういう会話は主人公のステータスと、彼女の好感度が上がってきた中盤に発生するやつだろ。
それが今? ここで? オープニングから!?
この事実が、改めて俺を混乱させた。
やっぱりこの展開、俺が知ってるキュンメモと違う。
って事は、ここはやっぱり現実っていうか、別世界のキュンメモなのか?
「……その……やっぱり、嫌かな?」
俺が中々答えを返さなかったからか。
一転、綾乃が不安げな顔をする。
「あ、ご、ごめん。俺は、その……あ、綾乃が良いって言うなら、別に……」
……正直、最後まではっきりと言葉を発せないくらい、俺は恥ずかしさに一瞬で真っ赤になったと思う。
というか、顔が火照ってるからそう思ったんだけど、そう断言すらできないくらい、今の俺は緊張しっぱなし。
でも、仕方ないだろ。
大体、二十六年の人生の中で、女子を名前で、しかも呼び捨てにしたのなんて、ゲームやアニメのキャラを語る時くらい。
基本は名字でさん付け。これが当たり前だった。
それがいきなり、ゲームで存在を知っているとはいえ、突然美少女相手にそう頼まれたんだぞ?
そりゃ、こんな反応にもなるって。お陰で喉がからっからだ。
「うん。そう呼んでくれると嬉しいな」
こっちの緊張なんて関係なしに、綾乃は俺の言葉を聞くと頬を緩め、はにかんでくれる。
ま、まあ彼女が喜んでくれたんなら、今はそれが正解だろ。
うん。そう思う事にする。
何とかぎこちないながらも会話をこなしていると、大通りの十字路に差し掛かった所で、俺達は互いに足を止めた。
「翔君の家って向こうだったよね」
「ああ」
「じゃ、ここでお別れだね」
と、綾乃が残念そうに口にしたけど、俺が家に帰るにはここを左に行く必要があるから、彼女の家はきっと、違う方向って事だよな。
「そ、そうだな。じゃあ、また学校で」
「うん。またね。翔君」
どこか残念そうな、だけどそんな気持ちを堪えたような笑みと共に、小さく手を振ってくれた綾乃に片手を上げて応えると、彼女は俺に背を向け、俺の家路と反対の道を歩き出した。
……清宮綾乃、か……。
去っていく彼女の背中が少しずつ緊張から俺を解き放っていき、同時に心をゆっくりと冷ましていく。
勉強もできて、運動神経も良くって、あれだけの可愛さもあって、男女共に人気の美少女。
他のヒロインの攻略がかなり楽な中、唯一恐ろしく難易度の高い攻略難度を誇る、このゲームのメインヒロイン。
正直、オープニングでこんな状況なんてあり得ない。
あり得ないんだけど……俺はこの状況を、少しだけ嬉しく思ってしまった。
考えてみたら、この世界で俺を知っている人なんていない。
勿論、主人公を知っている奴もいるし、ゲーム内で知り合った男友達だっているけれど。中身である本来の俺は、この世界では孤独な存在なんだ。
そんな中、主人公の幼馴染という間接的な接点ではあるけど、綾乃が俺に親しくしてくれた。
それが、この世界でどうすればいいか分からない俺に、少しだけ喜びをくれたのは確かだ。
もしこれが、いきなりゲーム通りにそっけない扱いをされていたら、それはそれで虚しさもあったと思うし。
ぼんやりそんな事を考えながら、遠ざかる彼女に背を向け歩き出した。
間違いなくこれは、胸キュンメモリアル。
だけど、フラグがおかしくなっているこのオープニング。
この先一体どうなるんだろう?
これはやっぱり、ゲームなんだろうか?
それとも、リアルなんだろうか?
この日。
ありえない世界を肌でひしひしと感じながら、俺はここでの生活の第一歩を踏み出したんだ。
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