3章

海まつりを無双せよ1


 日曜日。何の予定も入ってない朝。


 ベランダでそこそこ高いキャンプ椅子に座る。朝6時40分のひんやり爽やかな空気とオレンジ色の朝日を浴びながら、ひきたてのアイスコーヒーをずずずとすする。豆の高い香り、程よい苦味、すっきりした喉越し。飲み終えて、ほう、と息をつくと、閉じていた小説を読み始める。


 ああ、なんて雅な朝だ。


 洗濯物はない。課題もない。食事は昨日のうちに作り置いた。


 遊ぶ約束も、誰かと会う約束もない。さしあたってすべきことすらない。


 あぁ素晴らしきかな、何も無い日曜日。


 この世をば 我が世とぞ 思ふ望月の 欠けたることの 無しと思へば


 朝だけど、そんな句が思い浮かんだ。多分、道長が詠んでなければ、今日俺が詠んでいただろう。歴史に名を残せなかったことが残念だ。


 なんて思っていると、つんざくような着信音が鳴る。


 あまりにも無粋。斬首に処せ、と言いたくなったが、渋々電話に出る。


「はい」


「お、優。起きてたか」


 声は聴き慣れた父親の声。俺を置いて世界一周に旅立った男の声だ。


「起きてたけど、何?」


「お前、何でも屋を開業したんだって?」


「は? いやしてないが? まあ、一回だけ頼みを聞いている最中ではあるけど」


 受話器越しに、はぁ〜、とため息をつかれる。


「俺も最初はそうだった。母さんの力になりたい、と一回だけ請けようとして、そんまま流されて……ってまあ、そんなことはどうでもいい」


 何かすごく嫌な話を聞いた気がするけど、どうでもいいのならどうでもいいことにしておく。


「お前、結構周りの人使ってるだろ」


「あぁ、うん。助けてもらってるよ」


 事実なので頷くと、父は憐むように言った。


「その人らから、お前が開業してるって噂になってるぞ。しかも依頼まで来てる」


「え、まじ?」


「まじ」


「じゃあ断って。俺は何でも屋なんてやる気がないから」


「そう言えないのはバカじゃねえんだからわかるだろ?」


「……まあ」


 言えないってのは、人情の話。手伝ってもらったりしておいて、その人たちからの依頼を受けないってのは不義理にあたるということ。個人的に不義理はしたくないし、家業をいくらどうでもいいと思っていてさえ、泥を塗るような真似もしたくはない。


 ただでも開業はしたくない。駄々をこねたい。腰の強いうどんができるくらいにはこねたい。


「ただでも、優のことだ。駄々をこねたいと思っているだろう、パンを作れるくらいに」


 おしい。パンじゃなくて、うどんだけど。


「なら、この依頼だけ受けておけ。地域の人たち全てに恩を返せるから、それで義理を果たしたことにして、辞めるのもよし、続けるもよし、だ」


「本当? その依頼って?」


「海まつりを盛り上げてくれって依頼だ」


「海まつり?」


「知らないのか?」


「いや、知ってるよ。7月の30だっけか、まあ夏休みにある、昔から続いている地域の祭りだろ?」


「実に高校生らしい回答だ。刈谷の人間なら、何を祀ったものか、規模、社会的意義、経済効果について触れてしかるべきだぞ?」


「触れるような祭りじゃないし。どこにでもあるような、屋台が出る祭り。違いは、海沿いでやるくらい。それ以上でも以下でもないよ、こんな祭り」


 ちっちっち、と舌を鳴らされる。


「それは今までの話な」


 むかつくけど、まあその反応で大体わかった。


「今年はデカくするんだ? 去年、市が力を入れた海浜公園ができたけど、その割には、集客できてないからな。ま、フェスだったり、何だったり、を誘致するための実績が欲しいって感じか」


「正解。我が息子ながら、刈谷の人間ってのはキモいな」


 そう言って父は続ける。


「ま、そんなわけで、この海まつりをどうしたらいいかについての依頼が来てる。大きめなステージ借りて、いろんなとこから屋台出してもらったり、外から多くの人を呼んだりはしてるみたいだけど、手応えなくて、普通の大きな祭りから新たにコンセプトを追加したいみたいでさ」


「そんなの学生の俺にできることじゃなくない? 大人でやれば?」


「いや、実績作りが目的だから金になる商売じゃない以上、社会的意義がある催しとして、地域の学生に寄り添った、みたいな体裁をとりたいらしい。多くの大人は、子供のため、ってことに陶酔感を味わいたくて甘くなるからな」


「ほへー。じゃあなに? 俺は学生代表みたいなツラして、大人の考えたことを話せばいいの?」


「まあそういうこと。ただまあ、大人の考えたこと、ってのは違くて、大人とお前が考えたことだけどな」


 大体の話はわかった。デカイ祭りを開く、ってなってるのに、開催1ヶ月半前にしてコンセプトの追加を考慮してるヤバさはあるが、まあステージ借りたりするくらいだからしっかりやってきただろうし、問題ないか。追加要素もうまくいけば儲けもんくらいだろうし。


 ま、それに、何でも屋をやらないで済むのなら、この依頼は受けるしかないだろうからな。


「わかった。受けるよ、その依頼。よろしく伝えておいて」


「承知。じゃあ、伝えとく……ってわ、静華!? 無理! 今日はもう無理! 死んじゃ……」


 と、母さんの名前が出てすぐ、電話が切れた。


 何だったんだろう。あまり考えたくなくて、海まつりに意識を向ける。


 海まつり、か。


 お祭りというのは、学生にとっての一大イベント。氷室さん風に言うなら、青春キラキライベント。


 昨日、氷室さんからカラオケで上手く行ったと聞いた。七瀬さんという友達ができて、クラスの皆とも打ち解けたみたい。


 もう俺の手を離れていい。依頼はほぼ達成だ。


 なら、依頼の最後を締めくくるには、最高のイベント。七瀬さんへの身バレもそろそろ誤魔化せなくなりそうだし、海まつりを最後に氷室さんと七瀬さんは、さよならだな。


 そう思って胸中を寂しさが占めたが、すぐに、よし、と気合を入れる。


 最後だ。キラキラの青春の思い出を贈ってあげようか。




 

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