負けヒロインのために青春を無双せよ。ただし、とにかく明るいヤンデレに正体バレしてはならない。
ひつじ
序章
負けヒロイン氷室雪菜との出会い
今朝、両親は俺に言葉をのこして、遠いところへ旅立ってしまった。
『人生あがったから、何でも屋は廃業! 優も好きにするがよろし!』
豪華客船世界一周という旅へ。
「ふぅ……」
誰もいない薄暗いリビングには、黄色を帯びてきた日が差し込んでいる。
気づけば、昼から夕方へと変わる時間。事態を受け止めるのに、朝から今までかかってしまった。
「もう何でも屋の家業を継ぐ必要はないんだな」
刈谷家。とある大名に生涯仕えた初代から続く、何でも屋の一族。
時に、傭兵として戦に赴き、発明家の実験体となり、貿易会社の商人として取引したり、はたまた密偵として情報を集めたりと働いてきた。さらに重大な仕事だけでなく、舞台俳優の影武者、ゴーストライター、探偵の助手。もっと小さな、町内会の祭りの演歌歌手に、猫探しや、チラシ配りなど、多岐にわたる仕事を請け負ってきた。
そんな何でも屋が、刈谷家の家業……らしい。
実のところ、父と母がどのような仕事をしているか目にしたことはないので、それが嘘か真かはわからない。
ただ、刈谷家の後継として受けさせられた修行は、身に受けた苦痛は紛れもない事実だ。
「もう修行に励む必要も、隠れて生きる必要もないんだな……」
そう思うと、ぷるぷる、と喜びで体が震えてくる。
そわつきを抑えきれなくなって、思いっきり叫ぶ。
「よっしゃああああああ!!」
気づけば体が動いていた。
スニーカーの白紐をキュッとしめて家を飛び出す。玄関に鍵をかけるもどかしい時間も足踏み。閉まる音がスタートの号砲に聞こえて、走り出した。
「死にかけるほどの武術訓練も、誰が学んでいるかわからない勉強も、意味不明な修行の数々も、もうしなくていい!」
6月の一足早い夏空の下、思いっきり走る。
配管工のおじさんみたいに、いやっふぉう、と飛び跳ねたいくらい気分が良い。
汗が風にかっさらわれるのも気持ちいい。潮風のような強い風を浴びて、もっと爽快感を味わいたい。そんな思いから海に足が向く。
しばらく走って息が切れたので、自動販売機の前で立ち止まる。シュワシュワのサイダーを決めて一休憩。ポケットからスマホを取り出すと、メッセージアプリから通知があった。
届いていたのは『明日、オフ会しませんか?』というゲーム友達からのお誘い。普段なら断るだろうが、今日は凄くいい気分。二つ返事で答えて、スマホをしまう。そしてまた、走り出す。
ようやく海にたどり着いた時には、空はもう赤くなっていた。
広がる砂浜、キラキラ煌く波に、地平線に近づく太陽。
海を見ていると、無性に何かを叫びたくなった。
が、それは他の誰かも同じだったようで、先を越されてしまう。
「辛いよ! もう死にたいよ!」
悲痛な叫び声。今の俺とは正反対の感情。浮かれていた気分が一気に冷める。
せっかくのいい気分に水を差されたようで、恨みがましく声の方へ目を向ける。海岸から突出している防波堤の先に女の子が立っていて、ひやりとした。
自殺、とかじゃないよな、流石に。
関わりたくない。そう思うけれど、めでたき日が嫌な思い出に変わることだけは避けたい。
止めに入るか。無理そうなら、話を聞きながら時間を稼いで、申し訳ないが警察を呼ぼう。
そう心に決めて、俺は女の子の方へと走り出した。
女の子のもとに急ぐ。距離は近づいていくのに、女の子の姿はより小さくなったような気がする。
「……え?」
女の子は近づいてくる俺を見てか、困惑した声をあげた。俺も彼女を見て、同じ声をあげたくなった。
氷室雪菜だ。
彼女のことは知っていた。毅然とした対応で多くの男子を振ってきた、氷姫と呼ばれる美少女。ここのところ、ずっと一人で暗い顔をしているクラスメイトだ。
知り合いに大きな印象を与えることは良くない。刈谷家の教訓が頭に浮かび、反射的に演技で別人を装おうとした、が、やめた。
もはやお家のことに縛られる必要はない。俺はただの刈谷優として、氷室雪菜に近づいた。
「氷室さん、変なこと考えてないよな?」
氷室さんは何も答えず、泣き腫らした赤い目を背けた。
考えてたな、これは。
スマホに手を伸ばそうとした時、氷室さんは口を開いた。
「考えてた。でも、刈谷くんは気にしなくていいよ」
「どういうこと?」
「死にたくて死にたくて、海に飛び込もうと思ってた。でも……」
氷室さんの顔が、次第に歪み、
「いざきたら、死ぬのが怖くなって……」
足腰が崩れ落ちて
「な、何もできな、くて、泣いてることしか、っく、私、弱くて、弱すぎて……」
涙が溢れ出た。
「うわぁああああああああああああああん!!」
大きな泣き声が響く。
とめどなく溢れる涙と嗚咽に、辛い想いを吐き出さず溜めていたのだと思う。
氷室さんの悲痛な姿を見て、俺はすっと手を伸ばした。
スマホに。
通報しよう。俺の手にはおえなさそうだ。声を聞いて誰かが来たらめんどくさいし。
えーと、1、1……やめるか。
警察の厄介にならせるのは、傷口に塩すぎて、あまりに可哀想。見ず知らずの他人ならまだしも、知人にそんなことはできないし、警察の方に申し訳ない。
もうちょっとだけ、頑張ってみよう。
「話してみなよ。人に話せばちょっとは気が軽くなるよ」
嗚咽が収まるまで待って、俺は優しく声をかけた。
「……それは」
俺と氷室さんはただのクラスメイト。話したことがあるかないかも怪しいくらいの関係。踏み込まれるのを戸惑う、逆に踏み込むのを戸惑う気持ちもよくわかる。でも、このままだと何も進まない。
「こんなに泣き暮れているところを見せたんだ、強がるにしても、気遣うにしても、今更だろうに」
「……そっか、そうだよ、ね」
「誰にも言わないし、俺は何もしない。だけど氷室さんの味方だからさ、安心して気軽に言いな」
氷室さんは下唇を噛んで、潤んだ瞳で見上げてきた。優しさに触れて、こみ上げるものがあるのだろう。
だが、俺に優しさなんてものはない。味方、その言葉が氷室さんに響くことがわかっていて、そう言ったのだ。
誰にも打ち明けられなかったのだから、俺に話してもらえる可能性は低い。そこで俺は打ち明けられない理由を探る必要があった。
だからまず、弱さを見せられない虚栄心、もしくは、悩みを打ち明けられるほど、つまり迷惑をかけられるほどの味方がいない、と予想を立てた。
続いて確かめるために、『強がるにしても、気遣うにしても』と言葉の間隔を開けて、表情の変化を見た。
結果、気遣うにしても、と言った時に目が少し見開いたのを見て、後者だと判断した。
打ち明けられなかった理由がわかった俺は、彼女の欲しい言葉をかけて口を軽くしただけで、そこに優しさなんてものは介在する余地はない。
「刈谷君は優しいんだね」
「そんなんじゃない。さっき言ったように、俺は何もしないしね」
そう言った方が、氷室さんは気遣わずに済む。口が軽くなる。そんなことを思う自分に内心辟易する。
はあ。あれほど嫌だった刈谷の後継として学んだこと、他人の感情を推し量り、寄り添う術を使っているじゃないか。それに、なんとまあ、血も涙もない人間なことで。
俺の内心など読めるはずもなく、氷室さんは、ありがとう、と話し出した。
「圭介、って知ってるよね?」
「知ってるよ。龍ヶ崎圭介、クラスメイトで氷室さんとよく一緒にいた子でしょ?」
「うん。彼、私の元婚約者だったの」
元婚約者、今は一緒にいない、泣いていた。
勝手に推理し始めてしまう刈谷の思考に蓋をして、俺は続きを促した。
「高校で圭介と出会って、恋をしたんだ。婚約者だから好きになろう、って、ずっと努力してきた。私無愛想だし、話すのも苦手だけど、頑張って圭介に近づいて。そして近くで良いところをずっと探し続けて、やっと好きになれた。そうしたら、凄く好きになった」
胸の内から何かがこみ上げてくる。
「好きになってからは、より一層努力をした。手を絆創膏だらけにしながらお弁当を作ったし、お小遣いを殆ど費やして誕生日プレゼントを贈ったり、風邪を引いた圭介を寝ずに看病したりした。他にも、悪口を聞いて圭介に悪くないよって元気付けたり、宿題を替わってやったり、ちょっと嫌だなぁってことも、すごく嫌だなってことも、何でもした」
「なのに、捨てられた?」
「うん、でもさ、それは別にいいんだよ。私が勝手にやったことだし、上手くいかなくても仕方ない」
いじらしさに夕日がじわじわ滲む。
「圭介、ライトノベルが好きでね、幼馴染モノを読んだみたいなんだ。それで私に、『やっぱり幼馴染を大切にしたいから、雪菜とはもう一緒にいれない』って」
氷室さんの目から涙が溢れたのを見て、胸が一杯になる。
「私がやってきことがその程度で上書きされるなんて、もう情けなくて悲しくて。それに、圭介に捨てられて学校で孤立して、皆からは冷ややかな目も向けられるし、家族からは哀れまれるし、ずっとずっと辛くて息苦しくて、死のうと……え?」
俺を見て、氷室さんは問いかけてきた。
「どうして、刈谷君は泣いているの?」
「ごべん、うちは先祖代々、物凄く涙脆いんだ」
うう……。氷室さんに、そんな悲しいことが。
氷室さんの言葉には嘘がないと感じる。きっと彼女の主観で語られているだけではないのだろう。
なら、俺は彼女の助けになりたい。
「氷室さん、これからどうしたいのか、どうなりたいのか、俺に依頼してくれ」
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息抜きに書いてる作品なので、☆、感想、フォロー、等があれば、更新がんばります。
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