負けヒロイン氷室雪菜との出会い2


「依頼って……?」


 ポカンとする氷室さん。


「俺は何でも屋の倅なんだ。安心して依頼してくれればいい」


 そう言ったけれど、状況が飲み込めていないようだ。まあそれもそう、こんな突拍子のないこと言われても、戸惑う以外の反応はできない。


 どう飲み込ませるか、いや、その必要はない。自分から助けを求めるよう、仕向ければいい話。


「氷室さん、整理しよう」


「え?」


「氷室さんは失恋した。そして、クラスで孤立し、自分に嫌悪感を抱き、と嫌なことで頭が一杯の状況だ。辛い、悲しい、ってことで色々見失っている」


 氷室さんは真っ直ぐこっちを見ていた。


 こういう理屈っぽいのは、人によっちゃあ嫌われるけど、氷室さんはそうではないみたい。ならば、続けよう。


「本当に捨てられたってことは嫌なことばかりなのかな?」


「それは……」


「そんな簡単に捨てるような奴から逃れられてラッキーかもしれない。恋愛に縛られなくていい分、自由な時間ができたかもしれない。より居心地のいいコミュニティに加わる機会ができたのかもしれない」


 何か反論しようとしたのか、氷室さんの口が開いた。だけど、正しさを理解したのか、すぐに閉じられる。


「そういう考え方ができなければ、復讐したいと考えてもいい。そもそも、一度フラれたくらいで諦める必要があるのか。そんな風に考えたら、自殺以外にも、自分が楽になる方法はたくさんあると思うんだけど、どうかな?」


 しばらくの無言ののち、氷室さんは小さな声で言った。


「言っていることはわかる。でも、私は無力だから、何もできないよ」


 予想通りの答え。氷室さんはさっき、弱すぎて、と泣き出した。無力感に苛まれているときに、無数の選択肢を与えられても、こういった結論に至る。


 俺はそれがわかっていて、自分から助けを求めさせるために、この話をしたんだ。続く言葉できっと氷室さんは首を縦に振る。


「いや、氷室さんは無力じゃない」


「え?」


「俺が力になるから、氷室さんは無力じゃない」


 氷室さんの目の端に涙が浮かび、甘えちゃダメだ、と言う風に唇を噛んだ。


「あとは氷室さんが頼む勇気を振り絞るだけだよ」


 促すようにそう言うと、氷室さんは潤んだ声を必死に紡いだ。


「わ、私、本当は、誰かに助けて欲しかった。でも、甘えちゃダメだって……」


 声を震わせながら氷室さんは頭を下げて言った。


「お願いします。私を助けてください」


「その依頼、承りました。俺に氷室さんの力にならせてください」


 こちらからも頭を下げて気付く。


 あれ? 俺はどうして解放されたはずの何でも屋を、自ら開業しているんだ?


 そう思うと、ふと父の言葉が頭をよぎった。


『父も祖父も、そのまた祖父も、初代様も、皆が流されて何でも屋を始めた。お前もそうなるだろうし、修行だけはちゃんとしておけ』


 ……今からでも、断れないかな。


 そう思って、氷室さんを見ると、心底嬉しそうにはにかんでいる。


 一度だけ、一度だけにしよう。


「よし、じゃあ氷室さんには後で、これからどうしたいのか、どうなりたいのかを依頼してもらうとして、今はまず体操をしよう」


「ええ!? どうして!?」


「氷室さん、泳げる? 濡れても大丈夫?」


「大丈夫だけど……ってもしかして!?」


「うん。良くない考えを吹き飛ばすには、水泳がいい。気分がスッキリした後の方が、これからどうしたいのか、どうなりたいのか、考えやすいからさ」


 答えも待たずに、体の至る所を伸ばす。ポケットに入った財布とスマホを置く。


 飛び込む準備ができた時、氷室さんが声をかけてきた。


「あのさ、刈谷君」


「何? この辺は至極安全だし、万が一があっても、俺は助ける術を身につけているから大丈夫だよ」


「そうじゃなくてさ……服が乾くまで、一緒にいてくれる?」


 夕日に照らされて赤くなった氷室さんの顔を見て、心を奪われ、一瞬時が止まったように思えた。


 透き通るような白い肌。小さな顔に、凛々しくて涼やかかつ大きな瞳が目立つ。桜色の唇は可愛らしくもドギマギさせるもので、鼻も綺麗な形をしていてフェチの人がいればきっと触れたくて仕方なくなるだろう。


 すっと伸びて肩を滑っている黒髪は、濡れているように見えるほど艶やか。綺麗で柔らかそうで、つい指を滑り込ませたくなる。細い腰も、長くて綺麗な脚も、手を這わせたくなるくらい魅力的だ。スレンダーより少し女の子らしく丸みを帯びた体型も、氷室さんのクールかつ可愛い雰囲気とよく似合う。


 今更ながらに、氷室さんが超のつく美少女だということに気がつく。


 まあだから何だという話だけど。


「勿論。じゃあ先に行って待ってる」


 際まで歩き、ぴょん、と飛び込んで、目を瞑る。


 海面にぶつかる心地いい衝撃を受け、浮き上がってから目と口を開けた。


「ぷはっ! 気持ちいいっ!」


 少し冷たいけれど、この高揚感と爽快感を得られたと思えばお釣りが来る。


 そんな俺の様子を見た氷室さんは、今日初めての笑顔を浮かべ、飛び込んだ。


 飛沫が上がる。


 少しして、つめた〜い、と黄色い声が上がる。


 そして、大きな笑い声が上がった。


「あはははは! 刈谷君! これからよろしくね!」


「こっちこそよろしく!」


 こうして、俺と氷室さんの物語は幕を開けた。




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