海まつりを無双せよ19
淡藤色の上品かつ可愛らしい浴衣には模様に花があしらわれていて可愛い氷室さんにあまりにも似合う。結衣上げられた髪から覗くうなじはとても色っぽくて調度品のように綺麗で唾を飲んで良いのか息を飲んで良いのかわからない。全体としてこれ以上ないくらいの清楚さがあり、大和撫子の美とはこのことか、と突きつけられたような気さえする。
からんとした音に目を向ければ、下駄と素足。するすると滑りそうで雪のように白い美しい足が晒されている。あまりの美しさに手を這わせたいという欲求に駆られてしまう。きっとそうすれば、むず痒さに顔を紅潮させるだろう、とそんな氷室さんの姿はあまりに艶美であり、俺は慌てて脳内からかき消した。
「あ、あの刈谷くん?」
氷室さんにそう呼び戻されなければ俺は一生見惚れていたかもしれない。
「ご、ごめん、えっと行こうか?」
こくりと頷いた氷室さんと歩き始める。
さっき七瀬さんと回ったときとは異なり、口数は少ない。
会話はぎこちなく、すぐに静寂が訪れてしまう。
「あ、あれ食べたいな、刈谷くん」
りんご飴を指さした氷室さんにいいねとどこか言葉を詰まらせて答える。
すぐにりんご飴を買った。ちろちろと舐める氷室さんの赤い舌は目に毒。きっと白雪姫が食べた毒リンゴはこうやって作られるに違いない、だなんてバカな考えをしてみるけれど、リンゴのようなみずみずしく甘い空気が消える気配は一切ない。
浴衣姿の氷室さんと、ただ隣を歩く。たったそれだけなのに、祭りの音さえ静かに感じるほどふたりの世界に落ちていく。氷室さんの息遣いと、大太鼓のように煩い心臓の音だけが気になるそんな世界に落ちていく。
甘くて、甘くて、甘くて。
空気に耐えかねて茶化すように、何とか口を開く。
「えっと、どう? 氷室さん?」
「何が?」
尋ねられてから何がか考えて答えた。
「海まつり。氷室さん、祭りに行くの楽しみにしてたよね?」
「う、うん。思ってたより凄いお祭りになって……えと、凄い!」
語彙がなくなった氷室さんに、そんな可愛い姿を見せないで欲しい、と恨めしく思う。
「良かった。でもこのお祭りは氷室さんが作ったんだよ。ほら、見て」
俺は目線で方向を示した。
『えー! 祐希くんなの!?』
『あ、はい。川島さん』
『うっそ? 学校と別人!』
『あはは。一日リア充ってイベントだったからつい』
『つい、じゃないよ! ナイスイベ! 学校でもその髪型とかの方がいいって!』
『そうですかね?』
『うんうん! って、あ、そだ! これから一緒に回ろうよ! 折角だから男子と回りたいし!』
『いいんですか?』
『もちろん! ってか、卑屈になるな! 一日リア充なんでしょ? 堂々と行こ!』
『えっと……うん! 行こう!』
そんな同年代から、今度は大人に目を向ける。
『あはは……ちょっと浴衣デートに決め過ぎた髪型はキツいかな?』
『そんなことないよ、優香。それに周りにも同じような人いるじゃん』
『うん、そうだね』
『今日は一日リア充。俺らは学生の時、祭り自体が中止になってたけど、あの時に帰ったみたいに楽しもうよ』
『うん! じゃあ私、スーパーボールすくいしたい!!』
『あはは! 若返ったなあ!』
なんて会話は止めどない。
歩いていくと前からどんどん喜びの声や光景がやってくる。。
綺麗におめかししてはしゃぎ写真を撮る女の子たち。
緊張しながらデートを楽しむ初々しいカップル。
逆ナンを受ける男の子たち。
お洒落な格好で祭りを歩き旧友と親交を温める大人たち。
老若男女がそれぞれの楽しみ方で祭りを満喫している。
「どう? 氷室さん?」
「うん。私たちがこの祭りを作ったんだ……」
感動しているのか景色を一杯に吸い込もうと開かれた瞳はキラキラと潤んでいる。
「本当にありがとう、刈谷くん。キラキラな青春、私は今送れているよ!」
泣き笑いの氷室さんの姿。
強風にあてられたような衝撃がきた。
氷室さんのそんな姿はどうしようもなく美しくて、なぜか泣きそうになってしまう。
今まで感じたことのない感動に震えてきた。
得体の知れないこの感覚は恐ろしいくらいで、必死に正体を探ろうと頭を回したとき、隣を歩く氷室さんの手が触れた。
チラシ配りのときもあったっけ。
あのときは、お互い離れた。
だけど、ぎゅっと握り締められた。
「え、えっと、氷室さん?」
氷室さんはこれ以上ないくらいに真っ赤になった顔を隠すように俯く。
そしてぽつりと言った。
「刈谷くん、聞いて欲しい話が……」
「緊急事態です!!」
氷室さんの声を遮ったのは、血相を変えた大谷さんだった。
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