氷室さんと七瀬さん


 流行りのjpopを楽しそうに歌うクラスメイト。それに合いの手を入れたり、囃し立てたり、めいめいが会話してたり、誰の顔にも笑顔が浮かんでいて、大部屋のカラオケボックス内は熱狂的な空気で満ち満ちている。冷房が入って暑くもないし、ただ氷で結露がついているだけのグラスだけど、汗をかいている、と思わずにはいられないくらいの盛り上がりだ。


「でもそっかー。氷室さん、スケボーしてたんだね〜」


 ソファーの隣に座ってくれている、クラスメイトの赤羽さんにそんなことを言われる。


「してたわけじゃなくて、今日初めてしたんだよ」


「へえ〜、どうだった? うまく乗れた?」


「いや最初は全然だったかな。でも、滑れるようにはなれたと思う」


「自信なさげだなぁ」


「だってその、陽南乃ちゃんは乗りこなしてたし、あれに比べると乗れたと言っていいか……」


「七瀬が上手いの目に浮かぶ〜、絶対比べたら自信無くすわ」


 赤羽さんは、からから笑って続けた。


「でも、普通には滑れたんでしょ?」


「うん」


「じゃあさ、今度教えてよ。スケボーってかっこいいから、私興味あるんだよね〜」


「そ、そんな教えられるほど上手じゃないよ」


「じゃあ一緒に練習しよ、兄貴の部屋に飾ってるスケボーくすねてくるからさ」


「え!? そ、それって、もしかして一緒に遊んでくれるってこと!?」


「あ、嫌だった?」


 私は首をぶんぶんと振って、まくしたてる。


「嫌なんてこと全然ないよ! 嬉しい!」


「そんなに喜んでくれるなら、遊びに誘って良かったわ」


 なんて言ってくれたとき曲が終わり、赤羽さんは「よーし、私の番だ」とマイクを持ってソファから立ち上がった。


 私はぼんやりとカラオケの本人映像のPVを眺めながら、嬉しさを噛み締める。


 趣味の話……まだ趣味ではないけど、小さいことはおいておいて趣味の話ができた。それで今度遊ぶ約束まで出来た。


 そう思うと、少しは馴染めたのかな、と自信が湧いてきて、クラスメイトがたくさんいるこの場にいてもいいのだ、と安心感まで覚える。


 変に場を荒らさなければ、そのうち本当に私は皆の仲間になれて、理想の青春が送れるかもしれない。憧れていた生活を送れるかもしれない。


「七瀬、曲入れないの〜?」


「いいの、いいの。チャチャ入れる方が楽しーし」


 ギャルっぽい女の子にそう答えた、陽南乃ちゃんの笑顔が目に入る。


 その笑顔はどことなく寂しそうに見えて、私は今日のことを振り返った。


 ***


 刈谷くんと陽南乃ちゃんがこそこそしてるのを見て感じた疎外感をきっかけに、ふと二人との関係が気になった。


 屋上で手を握ってもらったあの日から、気兼ねなく喋れて、心から遊べて、楽しさしかない関係が二人とは続いている。


 そう、楽しさしかない、そんな関係。


 喧嘩がしたいだとか、真面目な話がしたいだとか、深い事情に突っ込みたいだとか、別にそんなわけじゃないし、今の関係には満足している。いや、満足しているという言葉すら烏滸がましく思えるほどに、幸せを感じている。


 ただ、どこか薄っぺらさがあって、距離を感じてしまい、胸に切なさがあるのだ。


 私には友達がいたことがないし、きっと普通の友達ってこういうものだろうとは思う。


 だけど……それって、寂しくない?


 友達って、もっと熱く尊いものだから私と二人は友達じゃない。なんてことを考えると不安が胸を占めた。


 やがて、耐えきれなくなり、きっとそんなのは幻想だ、と幼稚な私を否定して欲しくて、安堵を求めて私は刈谷くんに尋ねてしまった。


「私たち、って、友達、だよね?」


 と。


 それから刈谷くんは友達だけど、深い仲ではない、と私に言った。


 それは安堵をもたらしたが、同時に、深い仲ではない、という事実をつきつけられて悲しくなった。ただやはり、私が憧れる関係が存在するということに、大切に思う人とそこにたどり着ける可能性があることに、安堵で肩の力が抜けた。


 でもすぐに、そこに至らない可能性を示唆されて絶望し、刈谷くんに甘えた。


『ね、ねえ、刈谷くん! どうすればいいかな!?』


『大丈夫。今、良い方法を思いついたから』


『教えて!!』


 ***


「もう曲ないじゃん。次、曲入れる人だれ〜?」


「じゃあ七瀬入れようよ」


「私、歌うまくないし、遠慮」


「じゃあ適当にjpop入れるから一緒に歌おうよ〜」


「ええ〜、私、あんま曲知らないしな〜」


 なんて言いながらも七瀬さんは、曲を選ぼうと端末を操作していた。


 空気を壊さないようにしているのがわかる。


 刈谷くん、ここだよね?


 教えてもらったことが脳内に浮かぶ。


『クラスのカラオケの際。七瀬さんは、あんま歌わないだろう。っていうのも、まあカラオケの選曲が、流行りの曲がなかったし、洋楽が多かったし、エロいのが大半……っていうのは嘘で、まあ皆の前で歌うような曲を知らない。それをどうして知っているかの質問には答えないけど、とりあえず、七瀬さんは歌える曲がなくて困ることになる。七瀬さんのことだから、その場を盛り上げようと適当な曲を入れるけど、確かにここで困る。そこで、氷室さんがやることは、七瀬さんが曲を入れるのに困らないように、先に場にそぐわない曲を入れて空気を作ってあげるんだ。そうすれば、一歩仲が進む』


 先に場にそぐわない曲を入れて空気を作ってあげる。きっと、やるなら今だ。


 声を上げようと口を開きかけて……閉じる。


 さっき思ったこと。


 変に場を荒らさなければ、そのうち本当に私は皆の仲間になれて、理想の青春が送れるかもしれない。憧れていた生活を送れるかもしれない。


 今からやろうとしていたのは場を荒らす行為。盛り上がっている皆を冷めさせてしまう。


 刈谷くんが助けてくれるまでの皆からの視線が蘇る。冷たく、煙たがるような、心にずしんとくる眼差しだ。


 呼吸が荒ぎ、冷や汗が流れる。


 足がすくむ。寒気に震える。


 怖い。また元に戻ってしまうのが怖くて仕方ない。


 だけどそれでも……私は立ち上がった。


『氷室さんは、勇気のある女の子だから』


 勇気、ではない。立たせたのは、別の感情だった。


 あぁそっか。


『何だかんだ言いながらも髪型を変えた時も、七瀬さんに友達になってと頼んだ時も、放課後も今日も遊びに誘ったのは氷室さんだし、ずっと俺は氷室さんの勇気を見てきた。だから大丈夫、絶対にできる』


 違ったんだよ、刈谷くん、私は勇気のある女の子じゃなかったんだ。


「あ、あの!」


 変に大きな声が出たせいで、皆の視線が集まる。


「次、私に歌わせてくれませんか!?」


 少しの静寂。のちに、大歓声。


「聞きたい! 聞きたい!」


「氷室さんの歌聞きたい!」


「何、歌うの!? 『昼遊び』とかよくない!」


 盛り上がる皆に、余計変な曲は入れられないと感じる。


 だけど気にしない。私の憧れに手を伸ばすため。


 そしてそんな姿を、見てもらうためにだ。


 ……まあ本人はいないけど。


 なんて落胆しつつも、曲を入れる。


「何これ、洋楽?」


 カラオケ映像と曲が流れだすと、空気がざわついた。


 困惑のぬめぬめした空気の中、私は精一杯歌う。英語も全然流暢じゃないし、緊張やらなんやらで音程も外しまくりだけど、精一杯歌う、歌い切る。


 誰も演奏中止のボタンを押さないから最後まで曲が流れ、終わってアーティストの紹介映像が流れる。


 しんとした空気。


 あぁ、やらかしたなぁ。


 なんて思ってすぐに、笑い声で場が湧いた。


「あはは! なんで洋楽!?」


「しかもそんなに上手くないでしょ、これ! あんま聞いてない感じ出てたし!」


「氷室さん、もしかしてウケ狙い? なら意外すぎてめちゃくちゃ可愛い!」


 マイナスにとれてもおかしくない言葉をかけられるけど、皆からはそんなんじゃなくてただ単純に楽しんでいることがわかる。やさしいせかい、って感じの、そんな雰囲気がある。


「氷室さん、どうしてこの曲選んだの?」


「え、いや、その、急に歌いたくなって」


 と誤魔化すと、皆が笑った。


「俺も急に歌いたくなってきたわ、洋楽」


 なんて誰かの言葉に、私も、俺も、と続き、陽南乃ちゃんが声をあげた。


「お主ら、わしがまだ歌ってないやろがい。洋楽なら私にまかせんしゃい」


「急にやる気じゃん」


「まあね。実は洋楽好きなんだよ」


「まじ、意外!? って騙されないからね!」


「嘘じゃないってば」


 陽南乃ちゃんを中心に盛り上がっていく。陽南乃ちゃんがさらに周りを盛り上げていく。カラオケボックス内は、最高潮に達したようにも思う。


 何とか上手くいった、と思うと、喉の乾きに気づいてグラスを持って部屋を出る。


 扉に手をかけようとしたとき、陽南乃ちゃんに笑顔を向けられた。


「雪菜、さんきゅ!」


 その言葉は明らかに私の意図に気付いていて、ぐっと心の距離が近づいた実感が湧く。


 意味不明の猛烈な照れと、盛れ出そうなくらいの喜びが湧いてきて、こくこく頷くと、ドアを開いて飛び出した。


 廊下を早歩きで進み、ドリンクが出る機体の前へ。


 グラスを置くと、サイダーのボタンを押す。


 やったよ、刈谷くん。そんな報告をしたくて仕方ない。


 そう感じて、また思う。


 私が立ち上がれたのは、刈谷くんのおかげ。


 いや、せい。


 髪型を変えた時も、友達になってと頼んだ時も、放課後も今日も遊びに誘ったのも、それ以外にあったことも全て、私の願望というだけでは折れていただろう。


 それでもやれてきたのは、散々情けない姿を見せてきて尚、かっこつけたかったから。私に魅力を感じて欲しかったからなんだ。


 きっともう、一緒に海に飛び込んだあのときから、私は刈谷くんのことが好きだったんだ。


 あはは……すごい。なにこれ。


 顔はあっつくて、心臓が痛いくらいに高鳴って、会いたくて会いたくてこそばゆい。


 あぁ、そうなんだ。これが本当の恋なんだ。


 気づけばグラスからサイダーが溢れていて、慌ててボタンから手を離す。


 こぼさないように持ち上げ、溢れんばかりのサイダーをずずずとすすると、口の中で清涼感のある甘いしゅわしゅわが弾けた。





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