海まつりを無双せよ7


 防波堤に座って足をぶらぶらと垂らす。


 時刻は18時半過ぎたくらい。あたりは夕日で赤く、さざ波はキラキラと輝いている。


 他校の生徒に囲まれた氷室さんに先んじて、例の防波堤に来ていた。


 あの日は海に飛び込んでも寒くはなかったけれど、今日飛び込めば凍えそうな気がする。季節も移り、気温も水温も今日の方が高いはずなのに変な話。まるで晩秋のような感覚だ。


 なんて思って、どうやら俺にとって氷室さんとの日々は、そう悪くなかったのだと実感する。


 今日、氷室さんに契約の終了を伝えて、何でも屋もこれで廃業。何でも屋として、隠れ、潜み、苦行に耐える未来はここで潰える。


 ……か、どうかは、氷室さん達と居続けるかどうかの選択次第。


 海まつりが終わっても氷室さんたちと一緒にいる道を選べば、七瀬さんから隠れ、潜み、苦行に耐える未来をたどることになる。


 また、氷室さんは唯一の依頼人。もし多数の刈谷に対する依頼希望の客が、廃業した俺と依頼を受けられた人間が懇意にしているところを見れば、いい気分はすまい。そういった事情を鑑みれば、共にいるためには何でも屋としての活動を一切しないことは難しいのかもしれない。


 そして何より、氷室さんの問題。これからも俺と友達をやりたいって思ってくれている氷室さんは、きっと言うだろう。一緒にいることで苦しくなるなんて、そんなの友達なんかじゃない、って。情けで一緒にいてくれるのは違う、って。


 さあ、どっちにしようか。


「ご、ごめん、刈谷くん遅れちゃった!」


 声が聞こえた方を見ると、膝に手をついて肩で呼吸する氷室さんがいた。


「全然待ってないから大丈夫だよ。むしろ邪魔しちゃった? 折角、新しい友だちに囲まれてたのに」


「ううん! 喋るのに慣れてないから、刈谷くんの約束があって助かったくらいだよ!」


「そんなこと言ってるけど、嫌じゃなかったんでしょ?」


「うん、嬉しい」


 そういう氷室さんの、さざ波よりもキラキラした満足げな顔。


 我がことのように嬉しくなり、ついで達成感に満たされ、喉から言葉がすっと出る。


「氷室さん、俺は氷室さんを助けられたかな?」


 氷室さんは元気よくうなずく。


「うん! ありがとう、刈谷くん! 刈谷くんのお陰で今は絶対に死にたくないって思えてるよ!」


「そっか。なら、依頼達成ということで、何でも屋の仕事はこの海まつりを最後にするよ」


「え?」


 不意のことだったのかあっけにとられた氷室さんに告げる。


「大丈夫。もう氷室さんは俺の助けなしにやれるよ」


「でも……」


 氷室さんは言葉の意味を理解したのか、不安げな顔でうつむいた。だがすぐに、ううん、と首をふって笑う。


「ごめんね、今までありがとう刈谷くん。刈谷くんのお陰で本当に本当に、本当の本当に楽しい日々が過ごせてるよ」


「いえいえ、どういたしまして」


「本当にありがとう、刈谷くん。一応、聞いておくけれど、海まつりが終わっても、刈谷くんは友達でいてくれるんだよね?」


「もちろん」


 氷室さんのほっとした顔は、続く俺の言葉に曇った。


「でも今みたいに一緒にいるってことはないかもしれない」


「え……」


「ごめんね、氷室さん」


「え、そ、そのどうしてか聞いてもいい?」


 暗い顔の氷室さんに淡々と言う。


「俺はさ、何でも屋はこれで廃業にするつもりなんだ。元々やる予定はなかったし、ずっとやりたくないって思ってたからさ」


「そうなんだ……じゃあ私、刈谷くんに嫌々させて」


 俺は違うと首を振る。


「氷室さんは俺がやりたくてやったことだから関係ないよ。それに一回きりって決めてたから、ちょっとだけ刈谷の人でいる時間が延びたくらいのもんだったし」


 で、さ。と俺は話を戻す。


「これで俺は何でも屋を廃業するつもりでいるけど、刈谷に依頼したいお客さんは他にもいる。で、その人たちが廃業した俺と氷室さんが一緒にいるところを見れば、いい気分はしないよね?」


「それは……そうかも」


「うん。だからさ、そういった事情を鑑みれば、共にいるためには何でも屋としての活動を一切しないことは難しい。だから何でも屋をきっぱりと辞める以上は氷室さんとは一緒にはいられないんだ」


 氷室さんの綺麗な桜色の唇が引き結ばれている。


 嫌だ、という気持ちがありありと伝わってきて胸が痛い。


「氷室さん。俺が今までみたいに一緒にいるよ、って言ったらどうする?」


 ゆっくりと固い唇が解かれ、


「無理して一緒にいるなんて、そんなの友達なんかじゃないよ。私のために、情けで一緒にいてくれるのは違うよ」


 と小さな声がこぼれた。


「だよね。だから俺は一緒にいられないかもしれない」


 ふいに顔を上げた氷室さんは言う。


「かもしれない、ってどういうこと?」


 答えるかどうかは悩んだけれど、言うことに決める。


「うん、あくまでそうなる未来もあるかもしれないって話。ああは言ったけど、まだ答えは出てないんだ。俺も氷室さんとの日々は楽しかったからさ、一緒にはいたい」


「な、なら刈谷くんは何でも屋を続けてでも、友達でいたいって思ってくれてるの?」


「その答えがまだかな。今日言わせてもらったのは、廃業に決めたときに急にさよならじゃあ良くないからね」


「そ、そうなんだ。なら、刈谷くん。私、期待して待っていてもいいかな?」


 すがるような目を向けられて、また胸が痛くなる。だけど、はっきりと告げる。


「期待はしないでほしい」


 そこで言葉が途切れた。気づけば空は暗くなり、海の強い風は冷たくなっている。


「……そっか、わかったよ刈谷くん。私、もうちょっとだけここにいるから、刈谷くんは先に帰ってていいよ」


 しばらくして氷室さんから暗に一人にしてほしいと伝えられる。


 落ち込む女の子をこんなところに一人残して帰るわけにはいかないが、気持ちを汲むなら、と頷いた。


「わかった、またあしたね」


 ごめん、と口走りそうになったけれど何とか飲み込んでそう言い、俺は帰路を辿った。




 ***


 ———刈谷くんが帰って少し。


 すすり泣く声をテトラポットに座って聞きながら、私、七瀬陽南乃は小声で呟いた。


「なるほど、ね」












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