1-9

 部室に戻ってきた俺たち三人、今回は出入口傍の相談者受付用の机に座ることなく、九つの机から成る窓側の島へと腰掛けた。


 窓側で隣り合うように座る桜庭と浅間さん、俺は二人を対面で眺める格好となる。

 未だ泣き止む気配を見せない依頼者、桜庭が彼女の頭を自身の胸元へと抱き寄せ、


「ごめんね、浅間さん。最後は独断で言っちゃった……。勝手なことしちゃってごめんね」


 ヒクッ、と嗚咽を上げる黒髪ショートの後輩、


「……いえぇ……、それは関係ありませぇん……。日比野くんにぃ……日比野くんに気づいて……もらえないことがぁ…………」


「……うん、気づいてもらえないことってあるよね。……それって本当に辛いよね。なんで人間関係ってこんなに複雑なんだろ……」

「………もういやぁ……」


 桜庭は弱弱しく泣きじゃくる浅間さんの頭を何度も撫で、そうして俺へと視線を変え、


「善慈くんは、誰かとすれ違いがあって嫌な思いをしたことある?」

「大した付き合いはしたことないからな。……まぁ、ケンカくらいはしたか」


 中学生時代、部活で気にくわない点を主張していたらケンカに発展した……その程度だ。それ以外は記憶の戸棚を開けてもなかなか見つからん。


「桜庭……、――――中学時代か?」


 僅かに切れ長の目を見開いた桜庭、やがて小顔を縦に動かし、


「うん。私の中学時代にね、人間関係の全部を壊すようなのが一人いて……。それまで順調だった学校生活も、その人のせいでボロボロにされちゃった。……性格だって、おかしくなっちゃったし……」


 それを語る桜庭の顔はどこか寂しそうで、どこか悔しそうに見えた。


「自分で言うのもあれだけど、中学までの私ってもっと明るい人間だったんだよ。クラスの中心に立って無邪気に笑って……。でも、あの女が面白半分で全部ぶち壊して……、メチャクチャいじめられるようになって……。クラスが壊されて……。思い出せば今でも吐きそうになるくらい……ッ」


 最後は聞き取れないほどの小さな声。


「裏切られることがあんなに怖いんだって初めて知った。それに、自分の思いが通じないこともすごく怖いと思った。だから私、そういうことに苦しんでる人を助けたいなって思って青春部ここで活動するワケでして」


 それは俺に、浅間さんに、そればかりではなく自分にも言い聞かせるような語り口調。本当に辛い経験をしてきたのだということは十分に伝わった。


 出会って一年程度とはいえ、俺はまだ桜庭かなえのことをよく知らない。それはおそらく、逆も言えるのだろう。なぜなら、俺と彼女は自分のことを話さないから。


 だからこうして自分の過去を話してくれた桜庭に、ちょっとばかしの感情的ななにかが込み上げてきたと言ったら嘘にはならない。


 語り終えると桜庭は静かに立ち上がった。そうすると部室隅に向かい、机に置かれた巨大なクマのぬいぐるみを両手で抱えるとそのまま依頼者の元に近づき、


「ぎゅーって抱いてみて。ふわふわして気持ちいいよ」


 いつも見せる取り繕ったような、何かを企む小悪魔的な笑みとも違う、柔らかな笑顔でぬいぐるみを浅間さんの頬へと押し付けたのだ。


「……ふぇ?」

「いいからいいから、騙されたと思って抱いてみなよ」


 しばらくぬいぐるみを見たのち、コクリと頷いた黒髪ショートの依頼者。桜庭からそれを受け取り膝に乗せた。


 桜庭も元の席に座って、


「お腹に両手を回して、ぎゅーって抱いてみて」

「……こっ、こうですか?」


 アドバイスどおり、ぬいぐるみの腹部に両腕を回した浅間さん。


「うん、そのままギュッて力を込めてみて」

「わぁぁ……あったかいです……、気持ちいいです……」


 桜庭は心地よさそうな後輩の頭を撫で続ける。

 やがて浅間さんの涙は止まった。


「そのクマ、抱くと気持ちいでしょ? 去年ね、依頼のあった先輩から貰ったんだ。私もね、嫌なことがあるとよく抱っこするよ。そうすると、不思議と胸が温かくなったりして」

「……ずっと抱いていたいくらいです。んっ……」


 桜庭はパッチリとした目を開けると、浅間さんの肩に頭を預け、


「これから下の名前で…………葵ちゃんって呼んでもいい?」

「じゃ、じゃあ私も……かなえ先輩って呼んでもいいですか?」

「うん、そうしてくれると嬉しいな」


「かなえ先輩とこうしてると、胸のモヤモヤが消えちゃいます」

「そっか、それは光栄だよ。でもね、私よりもモヤモヤを消せる人が葵ちゃんの近くにいないかな?」

「……えっ?」


 桜庭は浅間さんの肩から頭を離し、依頼者に面と向かい、


「赤池さんと仲を取り戻してみない? 葵ちゃんの大切なお友達、私たちが仲直りのお手伝いしてあげる」

「でも、どうやって……。私だって仲良くしたいですけど……」

「大丈夫、そのために私たちがいるから」


 桜庭は後輩の頭にポンと掌を乗せ、嘘偽りのない声で言ってのけた。


「そっ、それじゃあお願いします!」

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