3-14

 そして訪れた――――学園祭当日。


 俺たち『シグナルブルー』の出番は、予定では午後三時から。


「あー、緊張してきたっ。ミスったらどうしよう……」


 『シグナルブルー』のメンバー五人は舞台袖で待機をしていた。現在舞台で主役を張るバンドの演奏が終わったら俺たちの番が回ってくる。

 ちなみに俺たちの服装は、下は学校指定の制服だが上は半袖のTシャツというラフな格好。桜庭かなえは黄色の、織川舞夏はオレンジ色のシャツだ。……俺? 地味な紺色だよ。

 緊張の面持ちを見せる織川、西尾先輩がのっそりと近づき、


「これ抱いてみない、舞夏ちゃん?」


 そう言って差し出したのは……デケェな。高校生の座高ほどの高さはあろうかという巨大なクマのぬいぐるみ。


「これって練習場に置いてありましたよね? あたし、ずっと気になってたんですけど」


 実は俺も気になっていた。三階奥の狭い練習部屋、いつも窓側に、座るように置いてあるそのぬいぐるみ。誰の所有物なのだろうか?

 爽やかイケメン、岡崎先輩がぬいぐるみの両肩を掴み、


「このぬいぐるみはね、僕たちの先輩の置き土産なんだ。このバンドの象徴と言ってもいいのかもね。篠宮くんに頼んで、本番でも傍に置かせてもらうよ」

「このクマさんは『まーぽん』って名前なんだけどね、辛くなったときや緊張したときはこの子を抱くと全部吹っ飛んじゃうんだよ」


 腹部に手を回しぬいぐるみを抱き寄せた織川。心地よさそうに、クマの頬に顔を預け、


「……本当だ、緊張が消えてく。気持ちいい……」


 その効用はオカルトで疑い所があるものの、ともかく織川は大丈夫そうだ。ならはボーカル兼サイドギター担当の桜庭かなえはといえば、


「緊張してんのか? 顔、硬いな」


 ずっと黙って、舞台先に真っすぐ目を向けている黒髪ロング、


「ふふん、緊張感失くすよりは適度の緊張の中で演奏したほうがいいんじゃない? 気は引き締めないとね」


 とは言うものの、強がっているのは明白だ。西尾先輩は桜庭の肩に手を乗せ、


「かなえちゃんもまーぽん抱っこする?」


 桜庭はしかめるように目を細め、織川の抱えるぬいぐるみをじーっと見て、


「……高校生にもなって……。ちょっと恥ずかしいですよ」

「えー、かなっち一人で抱いてたじゃん、この前。すんごい嬉しそうな顔してたよ?」

「…………ッ!! みっ、見てたの!? ………………何か文句ある?」

「何で俺を睨むんだよ。誰が抱こうが構わねぇよ」


 むしろ桜庭が嬉しそうにぬいぐるみを抱く光景はぜひ見たいくらいだ。写メでも撮れば脅迫された際、有効な対抗手段になるかもしれんし。

 その時、青春部の部長、今回は裏方役の篠宮天祷が台本片手にやって来て、


「本番二分前だからよろしく頼むぜ。ふっ、裏方は俺が全力を注ぐから安心してくれ。それに西尾先輩、岡崎先輩、俺たち精一杯頑張りますんでよろしくお願いします」


 本番二分前――その一言に、これまで大した緊張を感じていなかった俺でさえも嫌な圧迫感を覚える。それは織川も、二人の先輩も顔色から察するに同じみたいだ。

 弾き違えたら……、リズムを狂わせたら……、俺のせいで演奏が崩れたら……、そんな不安が次々と頭によぎる。


 その時だった。


「――――――まーぽん、むぎゅ~~~~!!」


 唐突に聞こえた、極限に甘えを凝縮した女の声。


 どっ、どうした!? 何があったんだ!? ……と声の方を見やれば、あの桜庭かなえがクマのぬいぐるみに、幸せ全開の雰囲気で飛びつくように抱いていたのだ。キャラの崩壊っぷりに茫然とする俺たち。

 だけど織川だけは、


「……ふふ……アハハッ、かなっちが壊れた! ふふふふふっ…………」


 堪えきれず笑いを漏らしていた。続いて西尾先輩、岡崎先輩も笑いを口から漏らす。


「見てて痛々しいからもういいぞ」


 桜庭がどんな目的でその行動を起こしたのか、理由はわかる。そして、そういう行動に慣れていないってこともよくわかった。

 桜庭は頬を染め、ジト目で、


「ナニ? じゃあ善慈くんが笑い取ってよ。ったく、何様なんですかキミは?」

「ありがとよ、助かった。おかげで気持ちが楽になった」

「あっそ。……どういたしまして」


 そうこうしているうちに舞台に立っているバンドの演奏が終了したようだ。篠宮らが準備を整えてくれたのち、俺たちは本番に入っていく。


       ◆


 幕が開けると、前方一面は多数の生徒、教師らで埋まっていた。闇に包まれた観客席と照明に彩られたステージ、そのおかげで誰が誰だかは判別できないが、それでも緊張感は高まる。


 ステージ中央にはボーカル兼サイドギターの桜庭かなえ、俺から見てその右隣にベースの織川舞夏、左隣にメインギターの西尾絵美、彼女の背後にドラムの岡崎巧、桜庭と織川を見守るように後ろに立つのはキーボードの俺。


「……やるしかねぇな」


 こうなったら自分を信じるしかない。この十日間を思い起こして演奏に集中するのみ。


 そして岡崎先輩によるドラムの合図とともに、演奏が始まった。


 一発目の曲は、このバンド『シグナルブルー』の先輩方が代々弾き続けてきた曲。


 出だしは完璧、個々の楽器の奏でる音が見事に噛み合っている。そうしてイントロを終え、ボーカル、桜庭かなえがスタンドマイクに向かって歌い始めた。

 盛り上がりを意識したアップテンポな曲、演奏に合わせるように体育館に詰め寄った観客らも大いに沸いた。赤、青、緑、黄の照明によるコントラスト、館内の隅々に巡る音という音。


 センターに立つボーカル、桜庭はきめの細かい黒髪を揺らし、右手で弦を軽快に弾きながら活発的に歌声を紡ぐ。


 その右隣、金髪お団子ツインテールの織川は雰囲気を楽しむように、リズムに身体を乗せつつベースの低音を奏でていく。当然、コーラスという役目も忘れずに。


 西尾絵美、岡崎巧の両先輩も卓越した演奏技術で青春部三人の演奏を引っ張ってくれる。二人とも全力で演奏を楽むように躍動感溢れていた。


 こうして一曲目は無事、演奏し切ることができたのだった。


 休む間もなく入るのは二曲目――『Signal Blue』。作詞は神宮寺善慈、作曲は西尾絵美&岡崎巧。つまり、俺たちがつくり上げた一曲。


 ――――テーマは『友達』と『青春』。


 俺のキーボードによる単独のイントロ、続いてギターとベース音が、最後にドラム音が入り乱れる。アップテンポを意識した先ほどの曲とは打って変わって、爽やかさを意識した曲調が奏でられた。


 序奏も終了し、ボーカルの桜庭かなえにより歌声が紡がれる。俺が考えた歌詞、観客は詞なんてイチイチ意識しないだろうが、こういう形で詞を披露するのは案外悪くない。

 そのまましばらくは順調に演奏が進んでいった。――――だが、


「――――!?」


 作詞者の俺だからこそすぐにわかった、ボーカルの歌詞間違い。二番のサビフレーズ、桜庭は一番のフレーズを歌ってしまったのだ。しかもサビ、織川のコーラスがすぐに入る。このままでは――…………。


 しかし、――――あえて桜庭の口ずさむ歌詞に合せるように、織川はコーラスをしてくれた。


「……ははっ」


 二人を見ていると、不思議と怖いものなんて消えてしまった。だから俺も演奏ミスを恐れず、全力でこの時間を味わっていく。――――今、こうして桜庭、織川、それに西尾先輩、岡崎先輩と一緒に演奏できる一分一秒を、心に確かに刻み込んで。

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