3-13
放課後。練習五日目。
本日も昨日と変わらず俺、桜庭、織川の三人は別のタイミングで練習場へと赴いた。集合後、個人練習が始まってもやはり桜庭と織川は一切会話しないし、目も合せようとしない。
すぐに事が変わらないのはしょうがないと思いつつ、俺は目先の譜面とキーボード相手にひたすら集中していった。
そして個人練習も終わり休憩時間。さてと、目を瞑ってすべてをシャットアウトしようか、そう思った時だった。
「あれ織川、何やってんだ?」
俺から二メートルほど距離を取り、壁に背を預け体育座りの格好の織川。……譜面だろうか? ペンを持ってそれと格闘している。
「せっかくの休憩時間だもん。さっき間違えたトコを確認しないと」
そう言いつつ、真剣な眼差しで譜面へ何かを記している。
「先輩と仲良くすることも大事だけど、一番はいい演奏で先輩を盛り上げることだもんね。それサボってたらここに来た意味ないし」
「……そうか。そんなら俺も頑張らねぇとな。一番の足手まといは俺なんだし」
まさか織川にその姿勢を教わるとは。だけど、不思議と悪い気分はしなかった。
そうして休憩が終わり全体練習の時間、西尾先輩が主導となって五人の奏でる楽器の音色を重ねていく。当たり前のことだが練習序盤と比べると、日を追うごとに曲とよべるものに近づいている。だけどそれでも、
「……あっ、スイマセン。俺が間違えました」
いくら練習しても難しい部分はまだ克服できていない俺。個人練習では何とかイケても、全体練習となると手の動きがぎこちなくなってしまう。
先輩方、織川、それに桜庭に申し訳ないと思っていたが、
「善慈くん、間違えた三小節前からもう一度弾いてみてくれない?」
――声を掛けてくれたのは桜庭だった。
「あ、ああ……。わかった、弾いてみるわ」
指摘どおり鍵盤を弾いてみたものの、やっぱりミスをしてしまう俺。
桜庭は俺に近づき、その綺麗な手を鍵盤に置き、
「手、こうしてみたらどう? 善慈くんの手の動きだと、どうしてもこんがらがっちゃうし」
「……なるほど、その動きは思いつかなかった。わかった、やってみるわ」
すぐに教えてくれた手の動きで弾いてみた。そしたらすんなりと弾くことに成功。今まで何に悩んでたんだか、と思えてしまうくらいに一発で完璧にできた。
「サンキュー、桜庭。……また頼ってもいいか?」
「……、いつでも構わないよ。それじゃ先輩、再開しましょうか」
翌日、放課後。練習六日目。
個人練習に割く時間も日に日に短くなり、もうすぐ本番が近付いてるんだな、という気持ちに差し掛かった頃合い。
休憩時間、俺は譜面を眺めながら反省点やら改良点やらを考えていた――その時、
「舞夏ちゃん」
ピクリと、俺の肩が思わず反応した。『舞夏ちゃん』、彼女がその呼び名を口にしたのはいつ振りだろうか。
譜面の端を両指で摘まんだまま、僅かに目線を上げた。声の方向をチラリと見やれば、あの黒髪ロングの女がそこに立っていた。俺と同様、体育座りの格好で譜面を眺めている――織川の前で。
見るからに不安そうな面持ちの桜庭。自信無さげに右手を口元に添え、心配な面持ちを象徴するかのように目を細め、視線が泳ぐ。
数秒間黙ったままそこに立っていたが、
「どうしたの、かなっち?」
声を掛けられた織川がニコリと、安心を与えるように微笑んで返したのだった。
それがきっかけになったのか、桜庭は真っすぐ織川を見定め、
「ごめんなさい、私が悪かったです。今まで酷い態度を取ってごめんなさい」
そう告げて、深々と頭を下げた彼女。
「善慈くんにあんな態度を取ったのも、先輩と仲良くする舞夏ちゃんに嫉妬したのも私が悪かったです。本当にごめんなさい」
織川はその場を立ち上がり、
「ううん、あたしだって悪いトコたくさんあった。あたしだってかなっちの演奏に嫉妬してたし、先輩と遊んでたんだし。……ごめんなさい!」
彼女もまた深々と頭を下げたのだった。
俺の心をガチガチに縛っていた鎖が紐解ける瞬間だった。
心の底から安心したし、溜息だって出た。だけど安心するのはまだ早い、役目が残ってる。
「桜庭、織川。一番謝らなきゃならない相手がいるだろ?」
右隣に桜庭を、左隣に織川を従え、
「先輩方に散々迷惑をかけて申し訳ありませんでした」
俺が二人に向かって頭を下げると、両サイドの女もすぐさま頭を下げた。
「みんな、頭を上げて」
いつもと変わらない、優しい声でそう言ってくれたのは西尾先輩。
「今日も含めて残りの練習、頑張ろっか。みんなの力があればすごい演奏ができるって信じてるよ!」
岡崎先輩も俺たちを見回して、
「演奏はまとまってきたよ。理想には確実に近づいてる。後は完成度を高めるだけ、気を抜かずに頑張っていこうか」
そんな二人の励ましを聞いて、俺たちの返事は完璧に一致した。
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