0-8

 本日最後の授業は、来週に控えた球技大会の種目決めということになった。元・野球男の俺が参加する種目はあらかじめ決めている。


 黒板は白いチョークで十字に仕切られ、野球、サッカー、バレーボール、バスケットボールの四種目に割り振られていた。


 生徒が席から離れ黒板付近で集まって、どの種目にするべきか相談している。かくいう俺も篠宮、それに出雲と集まっていた。


「いやー、授業最後がこれって気分いいよなー。できれば今日が水曜日ではなく金曜日がよかった。俺の気持ち、分かるだろう?」


 分かるような分からんようなことを言う篠宮。


「それにしても意外だよね、善慈が中学時代、腕を鳴らしたエースだったなんて」

「まあ、左利きってだけでピッチャー始めたからな。キレのある直球と急速差のある緩いカーブ、これだけで全国大会まで進めたモンだ」


 そう、俺の選んだ種目は野球。というか経験者が優先して、強制的にそれぞれの種目に割り振られるのだが……。事前に決めていた意味はなかった。


 篠宮はサッカー、出雲はバレーボールに決まっていたので、俺たちは気楽に話していた。


「ほへー。じゃあ、どうして高校では野球部に入らなかったの? 故障持ち?」

「神宮寺にボウズは似合わんからな。どうせそれが原因だろ」


 ヘラヘラ笑う篠宮。どうせ俺のボウズ姿を想像したのだろう。


「おい、勝手に決めつけんな。ま、ご名答……。ボウズ強制の時代は終わりに近いんだけどよ、周りが勝手にやるんだよな。一人髪が長いってのもアレだし」

「――――ほお、お前が野球部のエースだったとは。ちょっと意外だ」


 女の声だった。大人の声、俺の良く知る響き。


「よぉ、いかにも無能な響きが耳に届いたと思ったら榊原センセイじゃありませんか。どうしたんだ、こんなところに」


 姿を現したのは数学教師の榊原海音。勉強の相談は言わずもがな、友達同士の相談事、さらには恋の悩みなどを親身になって考えてくれる、生徒からは絶大な支持を集める女教師だ。年も若く、認めたくはないが美貌も備えているもんでね。そりゃあ人気者さ。

 出雲が咎めるように俺に、


「こっ、こら善慈! 相手は先生だよっ」


 だが俺は気にすることなく、


「そういえば俺、あれからボランティアの会に入部したぞ。かつての俺たちと同じように、少数派で苦しむ連中に手を貸すためにな」


 榊原は怪訝そうな顔を見せたが、若干言いにくそうに、


「……まったく、さんざんお前たちに謝っただろ。あまり調子には乗るなよ? これでも私は教師なんだ、目上の大人には……」

「ああ? 目上だぁ? 会長サマの権力に怯えて俺らを見殺しにしてきたヤツが言うんじゃねえぞ」


 出雲はキリキリと胃が痛みだしたような顔で、俺と榊原に割って入るように、


「ちょっと善慈! もうこれ以上は言わないの! ……榊原先生だって人気だから、あまり楯突けば……」

「まあ待て、イーさん」


 間に割って入った出雲を遮るように、篠宮が言った。


「コイツはぁウチの狂犬……いや、マッドドッグだぜ。言いたいことが言えないこんな世界でも、関係であっても、神宮寺は遠慮なく噛みついていくぞ。教師に面と向かって『無能』、イイねえ」


 ポンと、俺の肩を持って篠宮は榊原に向かって言った。

 榊原は呆れたように溜息を付いたが、…………何だか様子がおかしい。ニヤけたように口元を伸ばし、両手でそれを隠すように覆ったのだ。どうした? 生徒に悪態突かれて笑い始めるとは……。


「…………狂犬。ふっ、……ふふっ、狂犬ねぇ…………。肩、強いもんな…………」


 は? どういうことだ? と、思っていたところに、出雲も榊原と同様、


「…………ぷっ、……ふふっ……。そっか、『きょうけん』かぁ…………」


 ようやく意味が理解できた俺。どうやら『狂犬』と『強肩』を掛けていることが可笑しいらしい。


「おい、篠宮テメェ! 変な空気つくってんじゃねぇぞッ」


 だが、篠宮は適当に笑い済ませて、


「ああ、ワザとじゃないんだ。偶然できたシャレだ。ま、気にするな」


 榊原は笑いを堪えながらヒラヒラと手を振り、


「どうかこれ以上騒ぎだけは起こすんじゃないぞ。…………狂犬くん。ふふっ」


 傍目から見ても身体を震わせていることに気づくほどに笑う榊原教諭。しかし、彼女は歩みを止めてスっと振り返り、


「――――あの時のコーヒー、ごちそうさん。また淹れてくれよな」

「………………」

「ナニ顔赤くしてんだ、お前。狂犬っぷりはどうした?」


 うるさいっ、黙れ篠宮。お前のせいで恥ずかしい思いをしているだけだ。

 出雲は咳払いを何度も済ませ、


「別に榊原先生が悪くなかった、って訳じゃないけど、善慈はもう少し大人にはなろうよ……」


 榊原と一緒に笑っていたヤツのセリフだとは思えない。おかげで説得力の欠片すら感じないぞ。まったく。


「おいおいイーさんよ、そうやって神宮寺の特徴(キャラ)を消すのは良くないぜ? キャラを失くしたヤツってのは、その時点で死ぬんだ」


 ここで篠宮の映画講座が始まりそうなので、俺はダラダラ聞きたくないがためにふと黒板に目をやった。どうやらもう少しで話が纏まりそうらしい。女子の方も終わりそうだった。

 ふと目に入ったのは高坂玖瑠未ら。織川も交えて俺たちと同様に、適当に雑談をしていた。そういえば今のところ篠宮らに突っかかってはいないようだ。


「篠宮、あれから高坂にはイジメられなかったか?」

「直接は何も言われてねぇな。身の回りにも危険は及んでないし。まぁ……耳さえ傾けなければストレスは感じないんじゃねぇの?」


 耳さえ傾けなければ、ねぇ……。ならば俺が代わりに耳を傾けると、


「……――アイツって、前々からヤバいヤツだって私は目を付けてたんだよ。女優の仕草がどうとか、演技力がどうとか……。そういうことを大きな声で言ってるのは単に通ぶりたいだけだって丸わかりだし。ネットにでも書き込んでろよって」

「そうそう、オタクってみんなそんな感じだよねっ。どうでもいいことばかりにうるさくなるって傾向あるし」


 聞こえるか聞こえないかの瀬戸際をきわどく落とし込むような声のトーンで、高坂含む女子グループはそう漏らしていた。具体的に誰の陰口を言っているのかは明言していないけれど、それが誰だかは俺には良く分かる。


「あーあ、マジで一年はこれが続くのか……。さっさと解決して終わらせないとな」


 うんざりしたように肩を落とす篠禱は、


「いっそのこと、弱みでも握って高坂を学校に来れなくさせるか? ……冗談だよ」


 そう言って篠宮は高坂らの集団から離れるように、友達の元へ向かっていった。

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