3-8

 翌日、放課後。練習三日目。


 授業は六限で終了したので、本日の練習時間は二時間ほど確保された。最初の一時間は個人練習、残りの時間で全体練習。


 そして個人練習が終わり、十分間の休憩時間となった。

 織川は楽器周りに座り込み、二人の先輩と楽しそうに話をしている。話題の柱はやはり恋愛について。


「周りで男の子と付き合うようになった友達、見る機会が多くなったんですよね……。だからあたしも恋愛してないから遅れてる、って思われるんじゃないかって心配になって」


 西尾絵美さんは、それこそ理想の年上像を体現するように、後輩を見守るように微笑んで、


「そんなことないよ。好きでもないからって適当にお付き合いすると、きっと後悔しちゃうぞ?だから舞夏ちゃん、焦る必要なしっ」


 グッと両拳を握ってファイトのポーズ。経験者としての余裕が見て取れる。

 西尾先輩のカレシ、隣の岡崎先輩が爽やかに口元を緩め、


「なら、絵美は僕のことが心から好きみたいだね。全然後悔してるようには見えないから。僕は幸せだよ」


 ……すっ、すっげーな。そんなセリフを恥ずかしげもなく言えるとは……。俺だったら絶対にマネできん。きっとすぐに通報でもされ病院にぶち込まれるだろう。

 西尾先輩はカァァと顔を赤らめ、小突くように岡崎先輩の肩をポンポン叩き、


「巧くん、恥ずかしいってばぁ。もうっ、ばか」


 そこはモテない地味な俺禁制のピンク色空間に染まっていた。俺が近寄ったら暗黒力で空気を汚しそうだな。


 チッ、嫉妬で身体が引き裂けそうだぜ……とは思えなかった、不思議なことに。それどころか微笑ましくあの二人を眺めることができた俺。…………なんて奇跡なんだ。


 たしかに羨ましいが、きっと二人の人柄にあてられたせいだろう。


 それにしても、織川はすっかり先輩たちと仲良くなっている。いつもながらあのコミュ力には感心するね。

 と、織川らを眺めながらシマリのない顔で呆けていると、


「ふーん、さっそく下の名前で呼んじゃって。気に入られるの上手いなぁ……」


 俺から一メートルほど離れた場所、これまで黙って譜面を眺めていた桜庭。彼女はつまらなさそうにチラリと顔を上げ、そっけなくそう言った。


「どうした桜庭?」


 桜庭は目を細め、自嘲気味に笑い、


「ああいう子はいいよね、誰にでも媚び売れてさ。私と善慈くんは、その点で言えば逆だよね。逆っていうか、媚びないから気にも留められない存在ってヤツ」

「そうか? 俺と桜庭じゃ違うだろ」


 もちろん、それは桜庭が上であるという敬意を意味する。


「そんなことないよ、どちらかといえばキミ寄りだし。……まぁ、昔は舞夏ちゃん寄りだったけど」


 自嘲気味には笑うけれども、寂しそうに顔を沈める彼女。それ以上は語らないので俺には桜庭の過去、それに考えていることはわからない。だが、俺に構ってほしいという気持ちだけは何となくわかった。


「………………」


 だけど俺は、すぐには言葉を掛けられない。

 しかし、何も答えないと怒らせてしまうんじゃないかと考え、


「……気に入らないのか、アイツのこと」


 ふんっ、と彼女は鼻で笑って、


「別に。すごいなーって感心してただけ。……さてと善慈くん、練習の時間だよ」


 サッと迷いなく立ち上がり、織川と話をしている先輩方に、


「先輩、時間ですし練習しましょうか」


 西尾先輩は上の掛け時計に目をやり、


「ごめんね、桜庭さん。おしゃべりに夢中で……。よし、セッションやろっか、みんな」


 ほんの一瞬だが、ムッと顔をしかめた桜庭。


 少し心配になったが、彼女はすぐに持ち場へと戻る。だから余計なことは言えず、俺も持ち場へと戻り、そうして全体練習開始となった。

 西尾先輩から、本日の全体練習ではサビと大サビの部分を重点的に練習すると説明され、その後セッションに移る。


 個人練習の効果か、昨日に比べ全体的に音に纏まりが出てきたような気がする。しかし相変わらずミスを頻発する俺。桜庭の態度に怯えたものの、今日は何も言ってこない。

 されど、ミスを頻発するのは俺だけではなかった。全体練習開始から五十分が経過した頃だろうか、


「ああんもうっ、また失敗しちゃった!」


 悔しそうな顔で歯を噛み締める織川。


「やっぱサビに入ると難しいな……。指が鈍っちゃう」


 その時、織川はチラリと隣の桜庭を見たのだ。


「………………」


 一瞬織川を見やる桜庭だが、何も言うことなくすぐに目を逸らす。


 しかし、何事もなかったかのように練習再開とはいかず、


「……いいなぁ、かなっちは上手くギター弾けて。あたしもかなっちみたいに弾けるようになりたいなぁ……」


 言葉のとおり、純粋に桜庭を羨んでいるようには到底思えない声のトーン。含まれるのは明らかな嫌味と嫉妬、それから苛立ち。

 言われたほうも何かを感じ取ったのか、顔は真正面に向けたまま、


「ナニそれ、嫌味? なんかそう聞こえたけど?」

「言ってないよ~だ、勝手に勘違いしないで。……ぜんじーもそう思うでしょ?」


 ちょッ、俺に振るなよ!


「……いっ、いやまあ……織川も悪気があって……」


 そんな俺のしどろもどろな対応に、今度は露骨に見下すような顔つきで桜庭が、


「ハァ? 間違いなく調子乗って言ったでしょ。ねぇ、キミもそう聞こえたよね?」


 織川も眉間に深くしわを寄せ、食って掛かるように桜庭に向かって、


「調子なんか乗ってないし! 誰かさんが勘違いしただけじゃないの? 自分が一番だって勘違いしてるナルシストな誰かさんが」

「……チッ、ナニ言って…………ッ」


 ……ヤベェな、マジで。胃もキリキリと痛み出してくる。だってそりゃあ、今ここで活動するのは俺たち三人だけではなく――――……、


「落ち着けお前ら、先輩たちに迷惑だろ。とにかく落ち着けって」


 背後を伺うと、二人の先輩は気まずさ、困惑を象徴するような苦い笑みで状況を見ていた。

 しかれど、桜庭と織川はそんな先輩らの様子、存在を気にも留めず、


「私の演奏が上手い下手とか関係ないよね? イチイチ比べたがるとか、劣等感丸出しでみっともないよ?」

「うっさいなあ、もう。昨日は散々ぜんじーに文句言ってたじゃん! あんなことしたから疑われるんでしょ!」

「昨日は関係ないから持ち出さないでよ! 最初に嫌味言ったのはそっちでしょ、ねぇったら!!」


 織川どころか、あの桜庭までもが声を荒げだす。掴み合いも十分に考えられる雰囲気。


 その時、西尾先輩が流れを遮断するようにギターを鳴らして、


「上手くいかないとイライラしちゃうよね? じゃ、今日はちょっと早いけど終わりにしよっか。空気入れ替えるとスッキリするかもだよっ」


 その言葉のおかげか、


「…………」

「…………」


 桜庭と織川は互いを強く睨んだものの、二人はこれ以降押し黙った。

 その後、俺たちは無言で片付けを済ませ、桜庭と織川の二人は無言のまま部屋から出ていった。当然、部屋を出るとすぐに別行動。一人置いていかれる俺。


 とにかく俺はすぐに二人の先輩に、


「ご迷惑をかけて申し訳ないです。本当にスイマセン」


 西尾先輩は俺の肩に手を添え、


「ケンカは私たちもあることだから。だから気にしなくてもいいよ」


 続いて岡崎先輩も励ましてくれたから助かったが……。

 ……はぁ、溜息が出るな。…………ああ、わかってるさ、練習を打ち切ったのだって結局は気休め程度なんだってことを。明日あの二人が顔を合わせて、今日を忘れて談笑している風景は残念ながら微塵も浮かばない。


「まさかな……、あぁ…………」


 クセッ毛のある髪を無性に掴み上げたくなる感覚に襲われた。


 メールを受け取った瞬間、篠宮らと一緒に初めてこの部屋を訪れた瞬間、――こんな展開は全く想定していなかった。ただ楽器の練習をして、ただ学園祭本番で演奏を遂行できればそれでいいのだと、ぼんやり考えていた俺。


 つまり、今回の依頼は『人間関係』なんて無縁なのだと勝手に高をくくっていたということ。

 だけれども。

 

 ――――どうやら桜庭かなえと織川舞夏という、二人の人間関係を俺は解決しなければならなくなったようだ。

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