3-11
放課後。練習四日目。
青春部の三人は別行動で三階の練習場へと向かった。桜庭から一緒に行こうと最初は誘われたが、織川の何とも言えない視線が気になり一人で向かうことにした。
全員が集合するや否や、西尾先輩が本日の予定を俺たちに説明し、前日どおりの流れで個人練習。だけれども、やはり――――、
「………………」
「………………」
桜庭と織川の間に流れる空気は場所を移せど変わらない。三日前のような和気藹々とした雰囲気は面影もない。
イタズラっぽい笑顔が素敵な西尾絵美、憎いほどの爽やか笑顔が眩しい岡崎巧の両先輩も、気まずそうに顔を強張らせ演奏練習をしている。
それに桜庭と織川の表情は硬いわ、ミスをすると軽くキレるわで……、ぶっちゃけ、雰囲気最悪。
この空気の中で一時間を過ごすのはいくらなんでも耐えられん。それに、何よりも先輩方に申し訳ないと思い、
「桜庭、それに織川、もっと気楽にやれよ。表情硬いぞ」
変な緊張で声帯は強張るものの、勇気を振り絞って俺はそう言った。しかし、
「善慈くん、私とこの人を一緒にするのはやめてくれない?」
「それ、あたしのセリフだし。こんな性格の悪い人と一緒にされるのは許せないよ」
二人はイラついた口調、イラついた顔つきで俺に言い放った。そして桜庭はゴミを見るような目つきで隣を睨み乾いた舌打ち、織川はふんっと顔を逸らす。
「…………お前らなぁ」
そんな態度を取られると、流石に俺だってイラッとくる。
「せめて表面だけでも仲良くしろよ。先輩に迷惑かけてるってわからんのか? 篠宮だって絶対に同じこと言うぞ?」
それでも俺の苦言は全く効果がないのか、二人は反省の態度なく俺の顔を捉え、
「ぜんじーはあたしの味方だってちゃんと言ったよね? ならさ、この人にそれ言ってあげて」
桜庭はすぐさま織川の言葉に反応し、
「ちょっと、私に味方してくれるってさっきは言ったでしょ? ……どういうことなの? わかるように弁解して。弁解したらこの人に『俺は桜庭かなえの味方だ』って言ってよね」
織川はムッと眉を上げ、グイッと一歩俺に近づいて、
「あ・た・しの味方って、ごはん食べながら約束したよね?」
「なら後から約束した私のほうが信頼できるよね。だって、それってこの人を裏切って私と約束したってことだよね?」
二人は一言発言するたびに俺へと歩み寄ってくる。……これが修羅場ってヤツなのだろうか。まさかこの俺が修羅場なんてモンを経験するなんてな。
だけど修羅場に浮かれているほど俺だって能天気なアホではない。このダブルヒロインにはぜひとも言ってやりたい言葉があるもんで。
「――――俺はテメェらの味方になんかなんねぇよ、くだらねぇ」
先ほどまでの威勢が嘘のように、二人はピタリと凍りついた。
俺は続けざまに、
「どっちかって言ったら先輩の味方だ。つーか、テメェらの味方に付く価値も必要も見当たらねぇし。…………わかったか?」
すべてが本音。二人の機嫌を取り戻そうだとか、仲直りしてもらおうとか、そんな思惑や策略は微塵も考えなかった。
単純に俺がイラついたから言ってやっただけ。
流れるのはしばしの沈黙。
やがて、織川が顔を上げ、
「ウッザ、なにカッコ付けてんの? ばーか」
肩に掛けていたベースをそっと床に置くと、涙目で強く俺を睨みながら、
「ぜんじーのバカ!! もう知らない!!」
そう言い捨てて彼女は出入口から出ていった。
「…………あっそ、そうなんだ」
続いて、桜庭もおもむろに顔を上げ、
「……味方してくれるって言ったのに、……見損なった。……いや、キミに頼った私のほうがバカだったのかも」
怒った顔つきではなかった。水分を含ませた瞳を揺らし、侮蔑するように俺を見つめる彼女。
「…………ばかぁっ」
桜庭もまた肩に掛けたギターを置いて、サッと俺から目を逸らし出入口へと去っていったのだった。
「………………」
この俺、神宮寺善慈は何も言葉が出ない。理由は自分でもわからん。西尾先輩、岡崎先輩にどう弁解すればいいか悩んでいるからか?
でも、胸が苦しいことだけは考えなくてもわかる。
「………………ッ!」
骨が折れても構わないってくらいに拳を握った。奥歯だって歯茎が痛み出すくらいに噛んだ。…………だけど、それでも気分は紛れない。
その時、
「こーら、一人で悩まないの」
俺の肩に手を添えてくれたのは西尾先輩。
労わってくれるように、彼女は俺の肩をマッサージするがごとく揉んでくれ、
「神宮寺くん、不器用なんだね。女の子をあんなふうに突き放したら怒られちゃうよ」
優しく目を瞑り、柔らかな口調で語りかけてくれた。
「……女じゃないから女の気持ちなんてわかんないっス」
「ううん、怒らせることが悪いとは言ってないよ。私は、神宮寺くんがああ言ってくれて嬉しかったし。私の味方って言ってくれたもんね、ふふっ」
岡崎先輩は「二人を探してくるよ」と言って部屋を出ていった。それを了承した西尾先輩が、
「疲れちゃったろうし座ろっか」
そう提案してくれたので、俺は言葉に甘えて床へと尻をついた。
「桜庭と織川が俺に味方になってほしい、って気持ちはわかるんですけど……。でも、両方の気持ちに同時に応えるのは難しすぎて…………」
「そうだね、難しいね……。だけど神宮寺くんが応えてあげなきゃ二人は満足しないと思うよ。だったらね、――――……」
そうして西尾先輩は親身にアドバイスをくれた。それはあの二人の接し方について。
「私がアドバイスできるのはここまで。少しは神宮寺くんの力になれたかな?」
「ありがとうございます。後は俺が何とかしないと…………」
「せっかく一緒にバンド組むんだし、みんなのこともっと知りたいな。部の結成やあの二人の関係、話してくれるなら聞きたいよ」
俺もふと、それを考えたくなった。そして桜庭かなえと織川舞夏の関係を考えるついで、二人に焦点を当てながら、青春部の結成から今に至るまでをザッと思い起こしてみる。
「つっても、俺は結成のこと、よく知らないんですよ。初期メンバーは創立者の部長と桜庭で……。俺は三人目、織川が四人目なんです」
「てことは桜庭さんと舞夏ちゃん、元々仲が良くて一緒の部に入った、ってわけじゃないってこと?」
「そうです。それに俺が部に入ったのは結成後なんで、部長と桜庭の元々の関係やらもあまり知らないんですよ」
ちなみに俺が部に入った経緯は、生徒会の酷い振る舞いにより半ば連中の奴隷状態であった俺を、篠宮らが救ってくれたことがきっかけ(ちなみにその件が要因で、弱い立場に置かれた人間の人間関係をどうにかしようと、俺は一応目標にはしている)。織川は友達とのイザコザを俺と一緒に解決したことがきっかけだ。
「見ていてわかると思いますけど、桜庭と織川の性格って正反対なんっスよね。だからケンカにこそ発展しなくても、意見が食い違うことはあった」
「私が見る限りでは、あの二人のコミュニケーション能力は高いと思うよ。だから今まで、お互いに上手く取り繕えたのかもね」
「それに、相談や依頼だって別々に解決してきたのも原因があると……。こうして二人が一緒になって活動するのは、今思えば初めてのような……」
メンバーが揃ってから一カ月あまり、互いの気に入らない面が見え始めて今に至るのだろう。
「せめて演奏だけでもどうにかしねぇと……。桜庭と織川の仲は二の次でいいと俺は思います」
二人の仲を取り戻すことに熱中するあまり、演奏が完成できませんでしたと放棄するのは一番やってはいけないことだ。
だけど、
「ううん、まずはあの二人の仲を取り戻すことが一番でしょ。巧くんだってきっとそれを望んでるはず」
西尾先輩はそう言ってくれた。嘘、偽りのない顔つきで。
「俺、先輩たちがカップルでよかったと心の底から思います」
「え、どうして?」
「いや、カップルだっていう……言葉には表しにくいですけど、なんか余裕が見えるんですよ。桜庭や織川には無いモンが見えます」
「考えすぎだってば~、神宮寺くんの気にしすぎっ」
そうか? ま、異性と付き合った経験は微塵もない俺だから、俺と先輩、どちらが正しいかなんて言わずもがな。
ともかく、西尾先輩と話をして気持ちは軽くなった。先輩には申し訳ないと思いつつも、まずは桜庭かなえと織川舞夏の関係をどうにかしようと心に決める。それが俺の義務。
「あ、おかえり巧くん。二人はどうだった?」
岡崎先輩が戻ってきたようだ。安心を提示するように先輩は口元を緩め、
「二人ならじきに戻ってくるよ。さ、僕たちで練習を再開しようか」
◆
岡崎先輩の言葉、本当だろうかと疑いながらも俺、西尾先輩、岡崎先輩は個人練習を再開。バカどもがいないので、俺は贅沢にも二人の先輩に付きっ切りで指導をしてもらっていた。
そうしていたらガラリと扉が開いた。入ってきたのは桜庭。
無言の帰還、来たと思ったら床に置かれたギターを手に取り練習を再開した。
おいコラ、何か言えよ。……とは思ったものの、余計な言葉で機嫌を悪くされ再度出て行かれては困るので、俺は何も言わない。
その後しばらく練習をしていると、再び扉の音が聞こえた。
織川も無言のままベースを手に取り、個人練習を勝手に始めた。
せめて謝ってから練習を開始しろよ、体育会系の部活なら間違いなく説教、下手をすればぶん殴られるぞ……。だけどまあいい。演奏を完成させなければならないという意志が二人にあってここに戻ってきたのだと、俺は無理矢理ポジティブに考えることにしたのだった。
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