0-5

 本日の授業も残り一時間、控えるのは眠気を誘う英語の時間。今は授業間に与えられる十分間の休憩時間なので、俺は済ませていない予習に取り掛かろうとする。

 英語教師は出席番号と本日の日付をリンクさせて名指しする性質をもつので、今日は要注意とみていいだろう。テキストの埋めていない箇所を、本文を読み通しながら考えていく。


「――……でよぉ、話の流れが意味不明だったんだ。ガキ向けに作った映画だってのに、あれじゃあ低年齢層なんて一人たりとも興味を惹けねえだろ」


 教室のカーテン側最後尾で椅子に座りながらトークを交わすのは篠宮たち。俺にとってのベストポジションは正直羨ましい。なんせ俺の席は真ん中寄りだからね。篠宮は四人組になって映画やらアニメやら戦隊ものやらのガラパゴス会話を繰り広げていた。普段からこのような会話がほとんどなのだが、果たしてネタが尽きないのだろうか?


 ……おっと、集中が逸れてしまった。篠宮らが特別デカイ声で話をしている訳ではないので、アイツらを言い訳に予習ができなかったとは言えないな。ということで、俺は再びテキストに目を向けようとした。だが、


「てかアレだろ、最近の映画もアニメも視聴者を無視しすぎなん――……おっと、すまん」


 伸びをしようとした篠宮の肘が軽く背後の人間に触れたようだ。

 まあ、何とでもないような日常的な行動なので、気を取り直して――――、


「ちょっとぉ、イッタイんだけどぉ? 何やってくれてるのぉ?」


 高坂玖瑠未。

 クラスの女子の中では中心的な存在である(と俺が勝手に推測する)ピンク髪の女。あくまで女子の中ではあるが高めの身長から放たれる睨み。高坂は他クラスを含めたお友達数人を左右に添えて、篠宮天禱ら四人組を威圧するように言い放った。お友達連中の中には織川や片瀬の姿は見られない。


 篠宮は若干怪訝そうに首を傾げたが、


「あれ? 触った程度だけど痛かったか? 保健室行くか?」

「保健室とかそういう問題じゃないでしょ。保健室(そこ)に行ったら痛いの治んの?」


 周りの連中はクスクスと、互いの顔をチラ見しながら笑っていた。


「いやいや、今ので痛いとか言うのはマジでマズイだろ。保健室とは言わず、病院へ行って頭の精密検査してもらった方がいいだろ? ……そんなに睨むなよ。パッチリお目々が台無しだぜ?」

「うっ、私の目は関係ないだろ! ……ふんっ、接触したことはもういいや。そーれーよーりーもー、アンタたちぃ? さっきからデカい声でうっさいんですけどぉ?」


 篠宮を除く三人は若干引きつったように彼女らを見上げていた。だけども篠宮はやれやれと苦笑いで立ち上がり、


「あん? デカイ声って俺たちのことか? ……おかしいな、特別デカイ声で騒いではいないけど?」

「あーん? そんなこと知るか。オタクトークがキモ過ぎて耳が腐るんですけどぉ?」

「おいおい、ここは監獄かよ。別に映画やらアニメやらの話をさせて頂いても構わないだろ? テメェは神様か?」


 反論を受けてもなお、高坂を取り巻く連中はニヤニヤと篠宮らを見下していた。


「べっつに~、私は神様じゃないし~。でーもー、クラスのみんなは、アンタらのキモキモオタクトークにうんざりしているもんで~、私がみんなを代表して注意してあげたの」

「証拠はあんのか? 統計データでも取ったのか? 全員分のアンケートでも取ったんならお前の言い分は分かるぜ。ほらっ、さっさと証拠を出せよ」

「そんなの知るか。みんなの顔色を伺っただけだしぃ?」

「顔色なんて非論理的証拠でイイ気になるなよ? つーか、テメェが他人の顔色とか語るなよ」


 篠宮も怖気つくことなく高坂たちと張り合っていく。

 まあ、災難ではある。いつ何時絡まれるのは予測できない。たまたま、たまたま篠宮が絡まれただけなのだ。もし俺が最後尾で一人予習に勤しんでいたのなら、『なにこいつ休み時間に一人で予習やってんのー、友達は? キャハハッ』なんてバカにされる運命だったのだろうか(そもそも予習自体一人で行う前提のものであり、こうして一人予習に勤しむ態度にケチを付ける方がおかしく、まぁそんなことはまずないか、と俺は考える)? まったく、恐ろしい世界だね。先ほど篠宮のポジションをベストだと定義したが、考え直さなければなるまい。


 そうこう考えているうちに、高坂のお友達Aは廊下から援軍を呼び寄せたようだ。また高坂の取り巻きファミリーに人数が追加されていく。教室内のクラスメイトも、段々とざわつき始めてきた。


 篠宮はなおも苦笑いで、


「ナニ呼び寄せてるんだよ? 弁護士でも雇ったのか?」


 単に篠宮を威圧するだけに呼び寄せたのだろう。多人数で威圧すれば、そりゃあ怖いからね。

 まあ、俺に関しては少々離れたこの安全地帯から戦況を聞きつつ、何事も知らない顔をして予習に取り組めばいいだけだ。申し訳ないとは感じつつ、俺は再度テキストに目を配らせようとした。


 ――――が、


 ポンと、俺の肩に何者かが触れる。

 メチャクチャ嫌な予感を感じつつ、ぎこちなく振り向いた。


「…………織川かよ。俺に何か用か? 今は英語の予習をしているところだ。すまないが用事は放課後にしてくれ」


 すっとぼけだ。

 頼むから気が付いてくれ。なぁ、おい。

 けれども、俺のそんな願いは――――、


「ね、ねぇ神宮寺くん……、ルミちゃんと篠宮くんのケンカ、止めてあげてよ……」


 お団子金髪ツインテールの彼女は、焦る面持ちで俺に助けを求めてきたのだった。

 無理に決まってるだろ。それにそんな顔をしないでくれ、マジで。俺が何もできない無力な男子生徒だと気付いてほしい。特別なヒーローでもなければ特別な悪役でもない凡人だ。


「じっ、神宮寺くんお願い!」

「俺にはできねーよ。予習をまずは終えなきゃならねぇ。今日は絶対にこれをやらなきゃならない日なんだ。今日の日付と俺の出席番号、確認してこい」

「む~っ、そんなのあたしがやってあげるからっ」


 教師に当てられた時、俺が恥をかく羽目になるだろ。


「つーか、お前が高坂を止めろよ。友達だろ?」

「そっ、そんなこと言ったら篠宮くんは友達じゃないの!?」

「篠宮とは本格的に話し始めてから一週間も経ってねぇよ」


「友達付き合いに日数は関係ないよね!?」

「そんなの知るか。ほらっ、高坂を止めてやれよ」

「えっ……でも……あたしは…………」


 煮え切らない態度でうろたえる織川。

 ここで視線を再び篠宮と高坂たちに戻してみる。妙な膠着状態が続いていた。


「……ん?」


 膠着状態とは言ったが、どうやら状況は変わるようだ。篠宮がキョロキョロと目、そして顔をも動かして、そうして――――、


「………………なぁ神宮寺、助けてくれないか?」


 篠宮は困った様子でこっちまでやって来たのだ。


「だからどうして俺なんだよっ! 桜庭や出雲に頼めよっ」

「いや……、かなえは同じ女だし、申し訳ないと思って……。イーさんは……ほらっ」


 そう言って篠宮は教室前方を指差した。


「……アイツ」


 とても気持ちよさそうに出雲は机に伏していた。口元にはヨダレを垂らすほどに。


「別に何かをしてほしいワケじゃないからな。横に突っ立てればいいだけだから……」


 ならば俺が行く必要はなかろうに。


「とりあえず西野らは使えん。だからって俺一人じゃ勝ち目は薄い。頼む!」


 チッ。

 あまり目立つ行動はしたくない。けど、これも人間関係の拗れでできた問題だ。そのためにボランティアの会が存在するのだ。


「分かったよ。ただしお前の言う通り、俺は突っ立ってるだけだからな」

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