2-6

 翌日、放課後。


 俺は部室に向かいつつ、本日のHRの時間を回想した。


「……まさかな」


 そのまさか。俺の『映画上映会』という案が通るとは。

 学園祭におけるクラスの出し物決め、予告どおり全員が順番に意見を出していったのだが、嬉しいことに俺の意見が採用されたのだ。ただ『マーメイド喫茶』という訳のわからん案を終始ゴリ押ししていたクラスのマドンナ的存在には酷く睨まれたが。


 というわけで俺のクラスでは、放課後居残って準備するなど面倒な作業はない。だからこうして、俺はいつもどおり部室へと向かえるのだ。

 普段に比べ人通りの多くなった廊下を歩み、部室の戸に手を掛け、


「なんだ、篠宮だけか」


 部室には女子の姿はなく、一人の男が部室の中央に座りノートパソコンに向かっていた。


「今日は俺だけ。女子どもは学園祭の準備で忙しいって言ってた」


 華がないのも見栄えが悪いと言えば悪いが、逆に男だけというのも気楽に過ごせて悪くない。

 俺はいつもの窓側の席へと腰掛けようとしたが、篠宮はそれを見計らったように立ち上がり、


「なあ神宮寺、一つ提案があるけどいいか?」


 俺の顔に浮かべた疑問符を見ると、茶髪の男はニヤリと笑って、


「メイド喫茶とやら、視察しに行ってみないか?」

「メイド喫茶だぁ? あんなオタクどもの聖地に行って何するんだよ?」

「興味ないのか……。行きたくないなら俺一人で行くけど?」


 ……実を言えば、興味がないわけではない。変に格好付けて否定してみたものの、前々から気にはなっていた対象の一つではある。


「待て、俺も行く。一人より二人で行くほうが篠宮もいいだろ?」


       ◇


「ここだな、このビルの地下にあるって榊原センセイが言ってた」


 校舎から十五分ほど歩いて辿り着いた場所、そこが本日の目的地――メイド喫茶『fairy moon』。五階建てのビル、その地下一階に拠点を構えているらしい。


「今、榊原って言わなかったか?」

「後でわかるよ。よーし神宮寺、潜入だっ」


 探検隊の隊長のごとく腕をピンと伸ばし、ビシッと指を向けそう言い放つ篠宮。メガネがキラリと光る。たしかに俺たちにとっては未知の洞窟と等しい場所だ、メイド喫茶とやらは。

 階段を降りるとすぐに着いた引き戸の前。ドア近くの看板にはここで働く従業員……もとい、妖精の国に住むご主人様の使い数名の顔写真が掲げられていた。


「さて、心の準備はできたか?」


 篠宮はドアの取っ手を掴み、未知なる世界への扉をゆっくりと開いた。

 そこには――――――、


「お帰りくださいませ、ご主人様」


 ファンシーなピンク色中心に彩られた世界、俺たちを待ち構えていてくれたように、扉の傍で一人のメイドがペコリと頭を下げた。メイド服を身に纏ったご主人の使い、不思議な世界観を一気に感じた瞬間だった。


「……ん? お帰りくださいませ、ご主人様ぁ?」


 何かの聞き間違いか? すぐにメイドの顔を見てみると、


「って、桜庭じゃねーか!!」


 なんとッ、よく見知った顔がそこに立っていたのだッ。それもメイド服を着て!!

 篠宮が知人を紹介するノリで、


「実はかなえ、今日一日ここでバイトすることになったんだよ。それもあってここに来たんだけどな」


 青春部、部員ナンバー2の桜庭かなえ。メイドにあるまじきムッとした目顔で、


「もうアマトくん、来ないでって言ったでしょ。私、そう言ったよね?」


 どうして桜庭がここでバイトすることになったんだ? 本人も乗り気ではなさそうだし。理由を伺ってみると、


「はぁ……、私のクラスもメイド喫茶に決まったの。それでメイド修行ってことで、今日一日ここで働かされるってワケ」

「たしかバイトは校則で禁止されてなかったか?」

「何でも、店長さんが榊原先生と知り合いらしくて。榊原先生が裏で手を回してくれるって」

「なるほど、榊原ってのはそういうことか……」


 学園祭本番まで、クラスメイトが日替わりでメイド修業をするらしい。大変だな、桜庭も。


「そんじゃかなえ、席まで案内してくれい」


 桜庭はペコリと頭を下げ、


「かしこまりました、ご主人様」


 だけど言葉使いは乱暴でぶっきらぼう、不機嫌さがモロに出ている。

 空いている席まで俺たちを案内した桜庭。だが、お冷とおしぼりを持ってきたのは違うメイドだった。よっぽど俺たちにメイド姿を見てもらいたくないらしい。


 まあいい、物珍しさついでにグルリと店内を見回してみる。ピンク主体の空間、星柄やハート柄などが妖精の国を彩っていた。黒い影を纏う俺なんかが足を踏み入れてもいいのやらと入店時は戸惑ったものの、それ以上にこの独特な雰囲気が俺の闇を塗り替えてくれたようだ。

 それに気づいたことだが、意外と女性客が多い。俺の想像では虚しい男の通う店だとばかり考えていた。ちなみに初めて知ったが、男性客=ご主人様、女性客=お嬢様らしい。


「ったく、かなえもあそこまで膨れなくてもいいのにな。んで、何か食べたいものある?」


 男子高校生二人でメイド喫茶に赴くというのもなかなかシュールな光景だ。男女のカップル、女子同士という組み合わせの高校生客はいるが、俺たちのように男同士の客は見当たらない。


「あー、メニュー見せてくれるか?」


 篠宮は丁寧に両手で冊子を渡してくれ、俺は片手でそれを受け取ろうとしたが……重ッ。何を取り扱えばこんな重さ、厚さになるんだよ……、と思いつつメニュー冊子を開けてみれば、


「レストランかよ、ここ……」


 せいぜいオムライスとパフェ、それにドリンク程度と侮っていた。


「おい神宮寺、カップルで頼むとオムライスが三割引きになるらしいぞっ」

「ちょっと待て……、どこにカップルがいる?」


 まさか俺とお前のことを指してるんじゃねぇよなぁ……? 


「ほら、どこにも男女のカップルだなんて書いてないよな?」

「メイドの中にも一人くらいは喜びそうな設定だな。つーか、間違ってもカップルの振りはしねぇからな」


 冗談だよ、本気にすんなと笑った篠宮。冗談でもそういう発想はやめろや、まったく。

 ともかく豊富なラインナップを今一眺めてみる。だけどいくらメニューが豊富であろうがメイド喫茶ときたらやはり、


「王道はオムライスだろ。……って、たけーなッ。マジかよこの値段」


 と、俺は注文メニューの提案を言ってみたものの、向かい側の篠宮はというと……。


「…………篠宮?」


 関心をあらぬ方向に向けているのだ。俺の呼びかけに気づいたのか、


「オイ、見ろよ神宮寺……あのメイドだ、アレ」


 ゆっくりと俺に身体を近づけ、こっそりとスタッフルームの方を指摘し、


「なんだ、自分から金払ってここで働かせてもらってるのか? 女装した俺のほうが可愛いメイドになるんじゃね?」


 堪えるようにガキのごとく笑いながら、滅茶苦茶デリカシーのない一言を放ったのだ。


「お前、失礼だろ……。いくら何でもそれは言っちゃあイカン」


 しかし篠宮は身体を震わせつつ、女成分の混じった顔で俺をまじまじと捉え、


「テメェだってニヤケてんじゃねーか。俺と同類だな」


 ……いや、だって仕方ねぇだろうが! 


 離れた場所でメイド服を身に纏ったその女。働く場所が明らかに違うだろとツッコみたくなる外見してやがる。レスリングや柔道ならば簡単に無双できそうだし、女子ソフトならば四番ファースト、ホームランを量産できそうな印象を初見で受ける。いろいろと勿体ねぇな。

 こりゃあ笑うなってほうが無理だ。笑うことが最低な人間性だとわかっててもな。


「まあ神宮寺、男は顔で判別する生き物なんだ。笑うのも仕方ないぜ。それで話は戻すけど、オムライス以外にも注文したいものはあるか?」

「俺はそんだけで構わん」


 しかしオムライスを注文するイコール、ケチャップを用いた神聖なる儀式が待っていることを意味する。もし儀式を担当するのがあの……。絶対に吹いてリンチされるのが目に見えるな。


「ここで部長からの提案だ。オムライスのほかにもう一つ――――いちごパフェを付けよう」


 いちごパフェ……ね。それを聞いてチラリと黒髪ロングの女を見た俺、


「わかった、オムライスといちごパフェだな」


 そういうことで呼び鈴を押す……のではなく、メイド喫茶の文化らしい小型のベルをカランコロンと鳴らしてメイドを呼びつけ、オムライスといちごパフェを注文した。


「でもよぉ、やっぱり顔とかで差別するのはマズくね? 良心が痛む」

「なんだ、ブス見ればいつも心の中でバカにしてるだろ」


 ブスだとバカにするのは嫌味を言われた場合くらいだ。あの黒髪ロングとは器量が違う。

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