終章

打ち上げ

 日が沈みかけ、窓からは朱色の光が差し込む頃合い。この季節では珍しく、室内には蛍光が灯される。


 部室で各々の時間を過ごすのは俺、桜庭かなえ、織川舞夏の三人。先ほどは一年前の学園祭を三人で回想し、その後は各自の時間になった。


 ただ今の時刻は午後六時を回ったところ。普段ならばとっくに帰宅している時間なのだが、今日は理由あって俺たちはこの時間まで残っていた。


 ガラガラと扉が開き、


「榊原センセイ連れてきたぞ~」


 顔を見せたのは、整髪料で整えられた茶髪、洒落た四角縁のメガネが特徴的な男、篠宮天祷。その背後には大学生のような外見の数学教師、榊原海音の姿も。


「さーてキミたち、準備は整ったかな? そんじゃ、お腹も空いたろうし行こうかっ」


 織川は肘を付きながら弄っていたスマホから顔を上げ、


「あたし、居酒屋に行くの初めてかも。ふふ、楽しみっ」


 姿勢よく英語の単語帳を眺めていた桜庭はパタンと教材を閉じ、


「私は久しぶりかな。まさかみんなで行くことになるとは思ってなかったけどね」


 さてと、俺もタイミングよく終えた数学の宿題をスクールバッグに仕舞い、ゆらりと立ち上がった。


 これから何が始まるのかというと、今から俺たち青春部のメンバーで、学園祭の打ち上げ(部としてはなんもやってねぇけど)をしに行くことになったのだ。また、発案者の篠宮部長が顧問の榊原教諭も誘ってみたらどうかという提案もあり、彼女もまた俺たちに同行することになった。ちなみに今から向かう場所は榊原行きつけの居酒屋らしい。


「いいのかよ、教師が生徒を居酒屋に連れていって」

「ははっ、酒を飲ませるわけでもないし。ま、神宮寺が飲酒したいって言い出したら、一応は教師として止めるくらいはするけど?」


 ノリノリだな、榊原も。ラフな格好と歳のせいもあるが、高校教師には全然見えん。


「言っとくけど、私は自分の分しか払わないからな。キミたちの飲食代は部費からでも出してちょうだい」


 部の会計その他雑務を兼任する部長は、安っぽい財布を榊原に示し、


「安心してください、元々そのつもりですよ。部費を溜めても生徒会から疑われるだけですし」


 帳簿の支出に飲食代と記述するのはどうなんだ。部費というのは本来、部の活動に必要な備品を購入するなどの費用じゃないのか? 傍の教師に伺うと、


「真面目クンだな、神宮寺は。ふふっ、青春部は学校のために活動してくれてる部だ。多少のワガママ、私は許してあげてもいいけどね」


 教師の許しが出たなら大丈夫か。俺は何に使おうが構わんと思ってるし。

 こうして俺たちは徒歩により目的の場所へと向かうことにした。


 そうして居酒屋へと到着し、案内されたのは建物内の一番隅にある座敷。俺と篠宮の間に榊原、対面に織川と桜庭が座る格好となった。一応六人が座れる座敷らしいが、五人でも狭さはやや感じる。


「なんで榊原がこっち側に座るんだよ。向こう行けよ、女だろ?」

「あれ、若い女が隣だから照れちゃってる? いいじゃないか、両手に花ってカンジで。……あっ、片方は腐りかけか」

「それ生徒に言うセリフじゃねぇなッ」


 対面の桜庭はそっぽ向いて笑いを堪えてやがるし。ったく、腐りかけの花で悪かったな。


「まあいいじゃねぇか、神宮寺。昨日もセンセイと一緒でよかったろ? センセイが傍にいると盛り上がるしな」

「あたしだって海音ちゃんが一緒で嬉しいよ。たまには顧問らしいトコも見たいし」


 顧問らしいって何だ? 部に生徒の相談を横流しにすることか?


「神宮寺は知らないだろうけど、私だって裏ではキミたちを支えているわけでして」


 わかってるよ、顧問がいなきゃ成り立たない場面が度々あるってことくらいは。

 桜庭は篠宮にメニューを見せながら、


「アマトくん、一緒に揚げナス食べない? アマトくんはナス食べられるでしょ?」

「揚げナスって当たり外れデカそうだよな。この居酒屋の実力を試すにはもってこいの注文だ」


 織川も俺にメニューを見せて、


「ぜんじーは何食べたい?」

「トマトサラダはどうだ? 綺麗な盛り付けだな、織川も嬉しいだろ」


「えー、トマトやだ。お肉食べたーい。てかぜんじー、あたしトマト苦手だって知ってて訊いたでしょ。もうっ、イジワル」

「悪かったな。そんなら手羽先はどうだ?」


 そんなこんなで早速盛り上がりながら俺たちはメニューを注文することに。飲み物はすぐに運ばれてきた。


「海音ちゃん、酒グセとかは大丈夫?」


 グラス大の生ビール、注文したのは当然、この中では唯一の成人である榊原。


「……ま、まぁ、酔えば誰しも人は変わるものだし…………」


 変に濁しているように見えたのは俺だけか? 隣の俺に被害がなけりゃあいいが……。

 篠宮はコーラの入ったグラスを片手に、


「よし、俺たち青春部の活躍を労って乾杯でもするか」


 その言葉に俺たち青春部メンバー、そして顧問の榊原もビールジョッキを差し出し、


「――――乾杯!!」


 カチャリとグラスを鳴らし、俺たちはそれぞれの飲み物をゴクリと喉に通した。


「食べ物が運ばれるまで時間もあるし、ここは学園祭前の振り返りでもしようじゃないか。軽い反省会気分でな」


 となると、最初の振り返りとなるのは……、


「なら私からか。あのラブコメの件でいいよね?」


 学園祭のおよそ十日前、一年生の浅間葵さんが相談者として訪れたあの件のことだろう。流れをざっと説明すると、浅間さんは同級生の冴えない男(日比野勇人)を好きになったが、実は彼女の友達(赤池遊來)も冴えない男のことが好きだった。そんな三人を巡る修羅場劇。


 桜庭はオレンジジュースを口に含み、


「恋愛相談は珍しくないけど、あれは印象に残ったかも。ほんと、どっかで見たラブコメの構図だったよね、善慈くん?」

「だな、ビックリするくらいラブコメだったわ。冴えない男子高校生に好意を寄せるダブルヒロインって構図、…………なんか俺みたいか?」


 さっきの回想もあってふと気づいた構図。冴えない男子高校生=神宮寺善慈、好意を寄せるダブルヒロイン=桜庭かなえ、織川舞夏。ほらっ、ピッタリ当てはまる!


 桜庭はゴミを見るような酷くくすんだ瞳を俺に向け、


「うわ……。ひょっとして日比野くんに自分を重ねてたの? マジでキモイんですけど…………。どうして私がキミにデレなくちゃならないの……」

 織川は対照的に、頬を染めると少し身を乗り出し、


「かっ、勝手にあたしの気持ちを設定しないでよねっ。すっ、好きかどうかなんて……にぶちんぜんじーがわかるワケないでしょ?」

「悪かった、冗談で言っただけだ。当てはまるのは冴えない男性高校生ってくだりだけだな」


 しかし篠宮が怪訝そうに首を捻り、


「言うほど神宮寺って冴えないか? ここまで地味すぎる男ってあんま見ないだろ……」


 教師の榊原でさえも、


「私も数年教師やってるけど、ここまで地味に徹する生徒はあまり……。去年だって授業だとかでいろいろ接点あったけど、一か月は顔と名前が一致しなかったし……」

「うるっせねぇな、それくらい個性ってことで許せ。誰もが同じってのはつまんねぇだろ」


 何だか話が脱線しているような気がしてるんだが……。

 桜庭は可愛らしくコホンと咳払いを一つ入れ、


「今でも思うけど、やっぱりあの時の日比野くんに恋愛をする資格はないよね。女の子を泣かせて知らんぷりするようじゃ……ほんとサイテー。せめて逃げずに葵ちゃんの気持ちを受け止めて、保留とでも言っておけば違っただろうに」


 榊原は黄金色のビールをグビッと口に含み、


「桜庭のおかげで葵も遊來も仲直りしたし、私は感謝してるよ。やっぱり青春部に頼んでよかったって思うし。ま、日比野にも優しくしてくれたらなお嬉しかったけど」

「だな、かなえ。日比野を擁護する気はねーけど、アレはちょっとね。結果的にかなえも傷ついたんだし」

「別に、あれくらいじゃ私は……。まあでも、日比野くんには言いすぎちゃったか。そこは反省しないと」


 あれくらいじゃ……、その言葉が強がりかどうかは本人しか知りえないが、壁にもたれ掛って見せたあの顔は今でも脳裏に焼き付いている。

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