第二章 8

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「ご歓談中失礼いたします、レイツェル様」

 取次の女官が現れて、令嬢たちはぴたりと口を閉ざして女官を振り返った。周囲の気温が下がったような気がするが、慣れている女官は眉一つ動かさない。

 レイツェルは一つ頷いて立ち上がった。

「少しだけ失礼するよ。どうぞ、お喋りの続きを」

 残念そうにする令嬢たちに微笑みを残し、レイツェルは扉の脇に控えている女官に近付いた。彼女にだけ聞こえるように尋ねる。

「どうした?」

「光国アルドラ王子アルクス殿下がお着きでございます」

 レイツェルは小さく頷いた。二人を保護したと知らせを受けてから十日ほど、近付いてきているのはわかっていたが、思ったよりも早かった。

「わかった。それじゃあ……」

 レイツェルはちらりと令嬢たちを窺う。彼女たちはさやさやと話を続けているように見えて、こちらの様子に注意を向けている。

(……どうするかな)

 今日集まっている令嬢たちは、この間すっぽかしてしまった顔ぶれだ。さすがに二度目はまずい。後々面倒なことになる。

「とりあえず、応接室へ。僕もすぐ行くと伝えてくれ。導師たちが話したいと言っても、僕が先に話すと」

「かしこまりました」

 一礼して女官は下がっていった。レイツェルは笑顔を作ってテーブルに戻る。

「やあ、お待たせ。何を話していたのかな」

 左隣の令嬢が代表するように口を開いた。

「返り咲きのダリアと、ネリネの季節だと。中央のエリュシアガーデンが美しいそうですわ」

「ああ、エリュシアガーデンは見ごろだろうね。もうすっかり秋だ」

 レイツェルは、なんとかこのお茶会を早めに切り上げられないかと考えながら話す。

「そうだ、ネリネなら神殿の中庭にも咲いているね。見に行こうか」

「まあ、素敵ですわレイ様」

「丁度、拝見したいと思っておりましたの」

「ぜひ参りましょう」

「レイツェル様とお散歩できるなんて夢のようですわ」

 競い合うように言う令嬢たちに笑んで見せて、レイツェルは立ち上がった。適当に中庭の花壇を見て回り、そこでお開きにしようと思う。

 レイツェルと令嬢たちが移動すると、その護衛や侍従、侍女で大所帯になる。最初は閉口したが、もう慣れた。令嬢たちが、歩く場所をめぐって静かに火花を散らしていることにも。

(ネリネの花壇はどこだったか……)

 言い出した手前、わからないとは言えない。去年は確かに植えられていた。神殿の人々は些細なことでも変化を嫌うので、よほどのことがなければ今年も咲いているはずだ。彼らは、前例を踏んでいればこの先も平穏だと思い込んでいる。

「レイ様は、どのようなお花がお好きですの?」

 場所取りに勝利したらしい令嬢が尋ねてくるのに、レイツェルは少し考えた。以前、似たような質問に適当に答えたら、大変なことになってしまった。

(あれは……そう、好きな動物だったか)

 レイツェルは愛玩動物に興味はないが、一般的な回答として猫だと答えた。すると、次の日から猫をあしらったありとあらゆる小物が届いたり、令嬢たちが猫を意匠化したドレスを着たり、果ては本物の猫が贈られたりと、散々な目にった。そのとき贈られた猫たちが、今では神殿を訪れる人々の癒しとなっているのが不幸中の幸いだ。

「……花ならなんでも好きだよ。どれも皆、違った美しさがあるからね」

 身の回りに現れても平気な花を思いつかず、レイツェルは至極無難な答えを返した。ここで薔薇だの菫だのと答えたら、明日には神殿がそれで溢れかえることだろう。

「なんて素敵なお考えなのでしょう」

「レイツェル様は博愛でいらっしゃいますから」

「分け隔てをなさらないなんて、美しいのはレイツェル様の御心みこころですわ

 何故そうまで賞賛できるのだろうと苦笑いしないように注意しながら流していると、再び質問が飛んでくる。

「では、お好きなお色はございますか?」

 どうやら、彼女たちはどうしてもレイツェルから個人的な情報を引き出したいらしい。心理戦でも挑まれているような気分になりながら、レイツェルは応える。

「色……色か。どんな色もいいと思わないかい、君たちが纏うドレスのように」

 考えるのも面倒になって返せば、令嬢たちはきゃあっと色めき立った。

「君たちは何色が好きなのかな」

「わたくしは青ですわ。空のような」

「朝日の黄色が好きです」

「わたくしは薄紅が」

 質問を封じるための質問に、口々に答えるのを聞き流しながら、ふと、前方からやってくる集団に気付いてレイツェルは足を緩めた。相手も気付いたようで、驚いた顔で立ち止まる。数人の神官と神殿騎士に囲まれた、くらい目をした金髪の少年と、悲壮を背負ったような赤毛の少女。

 五年ぶりに見える少年は、その年月分の成長をしていたが、すぐに彼とわかった。

「レイ様? どうなさいましたの?」

「ちょっと待っていて」

 言い置いてレイツェルは少年たちに近づいた。神官は心得たように左右に退ける。

「久しぶりだね、アルクス殿下。大きくおなりだ」

「ご無沙汰してます、レイさん……いえ、レイツェル猊下」

 言い直すアルクスに、レイツェルは笑んで見せる。

「レイでいいよ。一緒だという侍女は、君かな」

 水を向けると、アルクスの背後に立つ少女は頭を下げた。

「お初にお目にかかります。アルクス殿下にお仕えしております、フィアルカと申します」

「うん、よろしく。ひとまず二人が無事で何よりだ」

「レイさん、あの……」

「話は後で。部屋で待っていて―――すぐに行くから」

 最後の一言を、レイツェルはアルクスの耳元に口を寄せて囁いた。他意はなく、この後お茶会を切り上げるつもりなのを令嬢たちに聞き咎められたら厄介だからだ。

 笑んで離れれば、アルクスはぱちくりと目を瞬いている。

 レイツェルは傍らに控えた神官に告げる。

「殿下と侍女殿に湯と着替えを」

「畏まりました」

 頷き、レイツェルたちはアルクスたちとすれ違う。少し離れてから、令嬢の一人が興味本位を隠さずに言う。

「レイ様、先程のかたがたとはお知合いですの?」

ふるい知り合いだよ」

 アルクスについて詳しく説明するつもりはない。そのうち亡命してきた光国アルドラの王子の存在は公になることだろう。

(だが、あれは……駄目かもしれないな)

 ここに辿り着くまで一体どんな経験をしてきたのか、アルクスは光の継承者にあるまじき陰を抱えている。

(なんにせよ、詳しい話を聞かなければ)

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