第一章 17-2

「ゼロ兄……?」

 半ば呆然と呼べば、ディゼルトは安堵したように息をつく。

「よかった。大丈夫か?」

「どうして、ここに」

「話は後だ」

 聖剣を手にしたディゼルトは、アルクスとフィアルカへ背を向けた。何かを警戒する様子で身構える。

 やけに明るく、視界が広いので天井を見れば、立ち上がりかけていた機械人形の上半身と、その向こうにある壁から天井にかけてが跡形もなく消えていた。建物の中なのに青空が見えている。何があったのだろうかと、思わず目を見開く。

っわ。何これ荷電粒子砲? ここも遮晄の加工されてるはずなのに。腐っても光の王子様か」

 声が聞こえて、アルクスはそちらに目をやった。瞬時に記憶が繋がり、歯を食い縛る。いつの間にか座り込んでいたので、再び立ち上がろうとしたが、手足が妙に重く、上手くいかない。

「動いては駄目だ、アル。フィーア、アルを頼む」

「承知しました」

 近くに膝をついていたフィアルカが頷き、痛ましげにアルクスを見た。

「アル、大丈夫?」

「おれは平気だけど、なんで壁と天井が……一体何があったんだ?」

「おっと、自覚がない。これはあれだな、原石以前のやつ。まだ発掘すらされていない状態だ」

 男は両手を広げ、やけに楽し気に言う。思わず身を乗り出したアルクスを、フィアルカが押し留めた。

「駄目よ、アル!」

「でも!」

 アルクスたちを隠すように白い服の青年がディゼルトの隣に立った。

「そこまでです、ニーズルヤード特務少佐」

 ニーズルヤードと呼ばれた男は、きょとんと眼を瞬く。

「あれ、エルメル所長じゃないか。来てくれたんだね。でもちょっと遅かったな、生みの親である所長に自律機兵オートマータが動いてるところを見せてあげたかったんだけど。見ての通り、消し飛ばされちゃった」

「……それを作ったのは私ではなく局長です」

「自律機兵を最初に開発したのはエルメル所長でしょ、謙遜しなくていいよ。それがなかったら局長だってこれを作れなかったわけだし。凄いことじゃない、もっと自慢して回りなよ。広めてあげようか?」

 青年―――エルメルは、うんざりしたようにため息をついた。別の話を始める。

「あなたの独断でこれだけの被害が出ました。所長として看過できることではありません。このことは本国に報告します」

「ええ? ここ壊したの僕じゃないのに」

 不満気に言って首を竦めてから、ニーズルヤードはディゼルトへ視線を移した。

「その人は所長のお友達? 研究員にそんな人いたっけかな、長剣振り回せるような。そうだ、人質はいないから安心して」

「……そんなことだろうと思いました」

 二人が話している間にディゼルトが振り返って小声で言う。

「フィーア、今のうちにアルを」

「はい」

 フィアルカの手を借りて立ち上がりながら、アルクスは全力で首を左右に振った。

「やだ……いやだ! また、おれだけ逃げるなんて……!」

「アル、ゼロ様の仰るとおりに……お願いよ」

 やりとりが聞こえたか、ニーズルヤードが口を挟む。

「逃がすと思うかい? 今、帝国が一番欲しい首なのにさ。あーでも生け捕りにしろって言ってたな。皇帝陛下としては大々的に処刑したいもんね」

 独白のように言って、ニーズルヤードは剣を肩に担ぐようにした。

「というわけで、その子は置いてってくれる? そしたら他の人たちは逃がしてあげる」

「断る」

 短く切り捨てたディゼルトへ、ニーズルヤードは嬉し気な笑みを向ける。

「じゃあ僕と戦ってもらうしかないね」

 これにはエルメルが首を左右に振った。

「そんな悠長なことを言っている場合ではありません。ぐずぐずしていると全員、瓦礫の下敷きですよ」

 その言葉を裏付けるかのように、折れ曲がった柱が傾いで宙吊りになっていた足場が落ちる。フィアルカの炎が引火したのか、それとも別の原因か、端の方から火の手が上がっていた。支えを失った天井も崩れ始めている。工場全体の崩壊が近い。

 しかし、ニーズルヤードは楽しくてたまらないというふうに笑みを深くした。

「時限付きなんて、緊張感が増すよね」

「特務少佐。戯言もいい加減に……」

「あのね、エルメル所長。そこの金髪の少年、光国こうこくアルドラの王子なんだよ」

 遮られたエルメルが、思わずといったふうにアルクスを振り返る。

「エルメル所長はその子たちを逃がしたいんでしょ? でも帝国の人間としては、女の子たちはともかく少年は絶対に捕まえとかないといけないでしょ。で、彼らは命に代えても王子様を亡命させたいわけ。意見が合わないなら、戦うしかないよね」

「詭弁を。少佐はただ戦いたいだけでしょう。この子が本物の王子で、本気で捕らえたいのであれば今こうしているわけがない。拘束する手段はいくらでもあります」

「仕方ないじゃない、王子かなって思ったのはさっきなんだからさ。エルメル所長も説得してよ、王子様を置いてってくれれば逃がしてあげるから。どう?」

 ニーズルヤードが水を向けても、ディゼルトもフィアルカも応じることはなかった。しかし、自分が残れば皆が助かるならと、アルクスは二人を交互に見る。

「ゼロ兄、フィーア……」

「アルはここを出ることだけ考えろ」

「アルを置いてわたしたちが逃げることはないわ、絶対に」

 アルクスが言うより先に二人が言い切り、ニーズルヤードは軽く肩を竦めた。

「ほらね。全員で逃げたいなら僕を倒して、兵士の囲みを突破してもらうしかないなあ」

「そんなことを言っている場合じゃないと言っているでしょう!」

 業を煮やしたようにエルメルが声を上げる。天井が落ち、柱が倒れ、炎が勢いを増している。しかし、ニーズルヤードは笑んだまま剣を構えた。

「じゃあ急がないと!」

「逃げろ!」

 止める間もなく、吠えるような一言を残してディゼルトが応戦する。

 何が起きたか、アルクスの目では追えなかった。ディゼルトとニーズルヤードが切り結んだかと思うと、金属のぶつかる音が聞こえて、一呼吸後には再び互いの間合いの外にいる。ニーズルヤードの左の上腕に血が滲み、ディゼルトはフードが千切れ飛んでいた。

「凄い! 今ので首がくっついてるどころか、僕に一太刀入れるなんて!」

 心底嬉しそうに言うニーズルヤードへ舌打ちをしながら、ディゼルトはフードの残骸をうるさそうに払った。黒髪が日に透けて紫がかって見える。

「強いね、ゼロにいだっけ?」

 ニーズルヤードが言うのを聞いて、ディゼルトは素足で毛虫でも踏み付けたような顔をした。

「おまえに兄と呼ばれる筋合いはない」

「じゃあ、ゼロくん。ここで殺すのは惜しいな、うちにこない? うちの部隊は出自で差別しないよ、何せ隊長が僕だからね」

「うるさい黙れ」

 二人はほぼ同時に再び地面を蹴った。エルメルが外を示す。

「こちらへ。今のうちです」

 囁くエルメルを、フィアルカが警戒を隠さず見上げた。

「……あなたは、帝国の人なのですよね」

「そうです。簡単には信じられないでしょうが、信じてくださいと言うほかありません」

 フィアルカが迷うように口を噤み、アルクスはかぶりを振った。

「おれは残ります。フィーアたちを逃がしてあげてください」

 アルクスを見たフィアルカが困り果てた顔になる。

「アル、お願いよ」

「もういやなんだ、一人で逃げるのは」

「わたしだって逃げるのはいや。でも、ゼロ様の心を無駄にできないわ 。わたしたちがここにいても、できることは何もない。邪魔になるだけよ」

「それは……そうだけど」

 ニーズルヤードに言われるまでもなく、アルクスは己の弱さを分かっている。自分にもっと力があったなら、逃がされることなくリュングダールと肩を並べて戦うことができたのだ。自分さえもっと強ければ、故国が滅びることも、数多の命が失われることも―――父が死ぬこともなかった。

 そして今また、ディゼルトを犠牲に逃がされようとしている。力が足りないせいだ。弱いせいだ。アルクス一人では敵に太刀打ちできない。捕まって、移送されて、大衆の前で首を落とされる。光国アルドラ王家の直径は途絶える。皆がそれをさせないために、命を賭したのはわかっている。

 けれど。

「危ない!」

 エルメルの声でアルクスは我に返った。すぐ横の床で飛んできた何かが跳ねる。同時に、ディゼルトが弾き飛ばされた。彼は両足と左手で着地する。

「ゼロ兄!」

 すぐに立ち上がったディゼルトは肩で息をしていた。やけにはしゃいだニーズルヤードの笑声が聞こえる。

「はははは! 嘘でしょ、折ったよ! 局長ご自慢の機神きしんシリーズを! ゼロくん、君は最高だ!」

「……っさい」

 ディゼルトもニーズルヤードも傷が増えているが、どちらも致命傷には至っていないようだった。ディゼルトの方が消耗しているように見えるが、ニーズルヤードの剣は半ばから折れている。先程飛んできたのは折れた刀身だったらしい。

「行きますよ! もうもちません!」

 エルメルがアルクスとフィアルカの腕を強く引く。奥の天井が崩れ落ち、連動するようにはりや機材、足場などが降る。

 しかし、崩壊するものなど目に入っていないようにニーズルヤードは両腕を広げた。半ば陶然と言う。

「ああ……、ますます欲しくなるね。できればその剣ごと」

「……戦闘狂が」

 吐き捨てるディゼルトに、ニーズルヤードは笑みを返す。

「ゼロくんの本気が見たいな。背中を気にしながら戦うのって大変だよね!」

 ニーズルヤードが折れた剣を振りかぶり、ディゼルトが息を飲んで振り返る。

「やめろ!」

 ニーズルヤードは天井へ向けて折れた剣を投げつけた。その行動が何を意図しているのかアルクスには理解できず、しかし次の瞬間、フィアルカ諸共ディゼルトに突き飛ばされていた。

「きゃあっ!」

「うあっ!」

 二人で床に転がり、慌てて起き上がると、落ちてきた瓦礫が、たった今までアルクスたちがいた場所を―――二人を突き飛ばしたディゼルトを、押し潰そうとしている。

「ゼ……」

 目に映る光景はやけにゆっくりと、瓦礫の隙間を通してディゼルトと目が合い、彼の声は聞こえず唇だけが動いて、そして、


 微笑んだ。


 瓦礫が落ちる。視界を奪う。ディゼルトもニーズルヤードも見えなくなる。工場は最早、崩れ落ちようとしていた。

「――――…!!」

 アルクスは叫んでいた。自分が叫んでいることに、気づいていなかった。

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