第二章 1

 第二章


 1


「そうか……まだ姿が見えないと」

 青年の言葉に、報告を持ってきた若い神官は頷いた。

「国境付近の噂なども集めているようですが、それらしきものはないとのことです」

 青年は口元に手を遣って息をついた。

 光国こうこくアルドラが落ちて、二月ふたつきが過ぎた。王子アルクスの亡命の申し入れがあったのはもっと前だ。シェリアークはそれを受け入れた。

 救援ではなく王子の亡命の申し入れだったのが意外だったが、スヴァルド帝国の侵攻が電撃的で、シェリアークの救援を受けても戦況を覆せないとの判断だろう。

 当初はアルドラ領内まで迎えをっていたのだが、自由に火器を使えるようになった帝国兵に押され、国境まで後退を余儀なくされた。

 その後、国境警備隊の各隊長から定期的に報告がくるのだが、アルクスが現れたという報せははどこからも入ってこない。

「隊長は、他に何も?」

「はい。今後も注視を続けると」

「うん。しばらくはそのように」

「承りました」

 神官が退出していき、代わりのように侍従が声をかけてくる。

「畏れながらレイツェル猊下げいか、『お茶会』のお時間が迫っております」

「ああ。支度をするから人を寄越してくれ。御令嬢たちは部屋に案内して構わない」

「畏まりました」

 侍従が退出していき、青年―――レイツェルは執務机から立ち上がった。伸びをしながら窓辺に寄り、町を見下ろす。

 雨が降っている。

 水国すいこくの名のとおり、この地は雨が多い。西の海から流れてきた雲は、北東の山脈にせき止められ、雨となって降り注ぐ。それは幾本もの河を成し、大地を潤しながら海へと還る。

 晴れていれば一望できるはずの、湖中の至宝、青き睡蓮と名高い町並みは、今は陰鬱な薄墨色に沈んでいる。外の暗さに鏡になった窓には、レイツェルの姿が映る。

 双眸に僅かな険が宿っていることに気付き、彼は一つ瞬いた。険は消える。一人の時ならばいざ知らず、他人に負の側面は見せてはいけない。

(……生きていればいいが)

 捕らえられたならば、帝国は光国の王子を捕らえたと喧伝するだろう。それがないということは、まだ帝国の手には落ちていないはずだ。身を隠しているならいい。しかし、どこかで命を落として発見されていない可能性も考えられる。こればかりは、生きていることを祈るしかない。

 隣国の王子とはいえ、シェリアークの都から動けないレイツェルは、片手で足りるほどしか会ったことがない。最後に顔を合わせたのは、五年以上も前のことだ。父王リュングダールに連れられてきた伸びやかで快活な少年は、まさに光の王子を体現しているようだったのを覚えている。

 アルクスの行方に加え、炎の継承者も行方不明になっているのも気にかかる。

 十五年前、炎国えんこくミルザムが落ちたときに、ミルザム王家は断絶したが、炎の継承者はアルドラ国王が保護した。十中八九、光の継承者であるアルクスと一緒に逃げているだろう。

「失礼いたします、レイツェル猊下」

 侍従の声で我に返り、レイツェルは振り返った。「お茶会」に顔を出すレイツェルの支度をするための人手だ。彼らに頷き、レイツェルは次の間へ入る。いちいち私室に戻って着替えるのは面倒なので、執務室の次の間を衣装部屋にしてしまった。

 正直なところ、「お茶会」など面倒なだけでレイツェルには何の得もない。だが、令嬢たちの家は多額の寄付をしてくれるので、無碍むげはできない。彼女たちの目当てはお茶ではなくレイツェルだ。これも勤めのうちだと割り切ることにしている。

「今日は何人?」

「六人いらっしゃっています」

「名前と特徴を教えてくれ」

「畏まりました」

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