第二章 2

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「なんてことをしてくれたんだ!」

 出会いがしらに怒鳴られ、フィアルカは目を見開いた。アルクスは棒立ちで、ライラとエミリアは怯えたように身を寄せ合っている。

「なんてこと、というのは……?」

 フィアルカが問い返すと、村長と取り巻きの男衆はますます目を吊り上げる。

「ここからでも妙な光が見えたぞ。基地の方角だった。おまえたちの仕業だろう!」

「帝国にはこの村の場所がばれているんだぞ!

「村が焼かれたらおまえらのせいだからな!」

 自分たちはともかく、ライラとエミリアまで罵るのは筋違いだろうと、フィアルカは視線に険を込めた。ライラとエミリアは口を利く元気もないようで、ずっと黙っている。

 砦で散々追い回され、瓦礫の下敷きになりかけたところを、工場崩壊のどさくさに紛れて命辛々からがら脱出してきたのだ。そこから追手に怯えながら、夜を徹して村まで歩いてきた。砦からの距離を考えると、四人で帰り着いたことが奇跡のようなものだ。それなのに、まるで帰ってこなければよかったような言い草は聞き捨てならない。

「報復にくるとしても標的はわたしたちです。ライラちゃんとエミリアちゃんは関係ありません」

「何を馬鹿なことを。おまえたちは攫われていいるんだ。取り戻しにくるに決まっているだろうが」

「では、黙って全員殺されていればよかったと?」

 抑えが効かずに言い返すと、男たちは不意打ちを食らったような顔になった。大人しそうな小娘が歯向かうとは思っていなかったのだろう。

「む、村のためだ、仕方ないだろう」

「でしたら、村のために村長さんが行かれては。帝国は、生きている人間ならだれでもいいような物言いでしたから。場所はわかりますか? 地図を描いて差し上げましょうか」

「う……うるさい! とにかく、貴様ら三人をこの村に置いておくわけにはいかん。兄ともども、今日中に出て行け! 最初から反対だったんだ、余所者を村に入れるのは!」

 これに反応したのは、ライラとエミリアの二人だった。

「そんな、酷い……フィーアちゃんも攫われたんですよ」

「アルくんは、わたしたちを助けてくれたのに……」

「やかましい、口答えするな! ライラとエミリアは早く家に帰れ! 許可するまで家から出るんじゃないぞ!」

 わめき散らす村長から視線を外し、フィアルカはライラとエミリアを振り返る。

「ありがとう、ライラちゃん、エミリアちゃん。わたしたちのことは気にしないで」

「フィーアちゃん……」

「ええい、早く去れ! 二度と戻ってくるな!」

「そのつもりです。失礼します」

 言うだけ言って、フィアルカは借りている家に向かおうとした。しかし、アルクスが動かないので、腕を引く。

「行きましょう、アル」

「……え? ああ、うん」

 心ここにあらずといったふうのアルクスの手を引き、フィアルカは歩き出した。砦を脱出することに成功してから―――ディゼルトのことがあってから、アルクスは何を言っても反応が薄く、ぼんやりとしている。

(無理もないけれど……)

 今は考えている暇はないと、フィアルカはディゼルトのことを意識して頭から追い出した。

 色々なことがあり過ぎて、気持ちも頭も整理がついていない。できることならフィアルカも、何もかも投げ出してうずくまりたい。けれど、それは許されない。アルクスを無事に水国すいこくシェリアークへ送り届けることが最優先だ。泣くのも立ち止まるのも、そのあとにしなければならない。

(……わたしがしっかりしなければ)

 頼ることのできる相手は、もういないのだ。

「必要なものだけ持って。すぐに発ちましょう」

 家に戻り、扉を開けながらフィアルカはアルクスに声をかけた。しかし、返事はない。

 アルクスを休ませたいところだが、一休みするのはこの村を離れてからだ。帝国には馬車より速い鉄の車がある。いつ追いつかれてもおかしくはない。村長は、フィアルカたちの向かった方角を教えるのを躊躇わないだろう。

 そして、ライラとエミリアのことがある。

 二人ともアルクスのことを何も言わなかったので、ニーズルヤードとの会話は聞こえていなかった―――と、思いたい。藪蛇やぶへびになってしまいそうで、フィアルカは二人に尋ねることができなかった。聞こえていたとしても、言いふらすことはしないだろうが、物事に絶対はない。何かの拍子にアルクスの素性を漏らしてしまうかもしれない。だから、できるだけすみやかに行方を晦まし、国境を越えなければならない。

 テーブルに散らかったままの食器をざっと片付けながら、フィアルカは調理台の上にある薬草の束に目を止めた。ケイル草だけが減っていて、まさか、とフィアルカはアルクスを見た。

「アル……ケイル草をスープに入れたの?」

「ケイル草って?」

 フィアルカが残っていたケイル草を一本取り上げて見せると、アルクスは一度瞬いてから首肯する。

「……うん、入れた」

「そう……」

「それがどうかした?」

「ううん、なんでもないの。―――さ、急いで荷造りをして」

 アルクスを彼の部屋に押しやり、フィアルカは調理台に向き直った。かまどの上に置かれた鍋にはまだスープが残っている。掻き混ぜると、細かく刻まれたケイル草が大量に入っていた。

(アルはゼロ様を眠らせたのね)

 ディゼルトがアルクスにかれるようなことがあるだろうかという疑問が解けた。

 ケイル草は、適量であれば穏やかな睡眠導入剤になる。だが、過剰に摂取すれば強い鎮静剤と似た働きをする。

 ディゼルトの様子からして食べた量は多くはなさそうだが、どれほど影響があったかは本人を診察してみないとわからない。

(戦っているときに、お辛そうにしていたのは……体調が万全じゃなかったのもあったでしょうけれど……)

 思い返しそうになって、フィアルカはかぶりを振った。考えるのは今ではない。

(わたしも急がなくては)

 フィアルカは、窓辺に干してある薬草の中から、よく使うものだけを選んで麻袋に入れる。そして自分の部屋へ向かい、必要最低限の荷物を鞄に詰めた。不要なものは別の袋に適当に放り込む。出る前にまとめて焼いてしまおうと思う。なるべく痕跡は消していかなければならない。

 自分の荷造りを済ませ、フィアルカはアルの部屋を覗き込んだ。

「アル、準備は……あら?」

 アルクスは彼の部屋にいなかった。もしやと思ってディゼルトの部屋の方を見ると、中央付近にアルクスが立ち尽くしている。

「アル」

 アルクスは動かない。

「荷造りをしないと」

「うん……わかってる」

 力なく呟くアルクスは、しかし動く気配を見せない。フィアルカは一度大きく呼吸をし、アルクスに歩み寄った。正面に立つ。

「お願い、急いでここを離れなければいけないの」

「……わかってる」

「わたしたちが捕まってしまったら、すべてが水の泡……」

「わかってる!」

 叩き付けるように遮られ、フィアルカは途中で言葉を飲み込んだ。俯いているアルクスの表情は見えないが、苦しそうに胸元を押さえる。

「でも、おれが……おれのせいで、みんな……」

「違うわ、アル。あなたのせいじゃない」

「死んでしまった……父上も、ゼロ兄も……」

「聞いて、アル!」

「なんで、おれなんだ……なんで……!」

「亡くなられたとは限らないわ!」

 フィアルカは思わずアルクスの両肩を掴んで揺さ振り、声を上げた。アルクスは眼を見開いてフィアルカを見る。

「敵の言葉を鵜呑うのみにしては駄目。あの、ニーズルヤードとかいう男の言葉を信じる根拠はどこにもないじゃない」

「でも……」

「もし帝国がリュングダール陛下の御身おんみを手中にしたのなら、喧伝しないはずがない。大陸中に知らしめてからしいたてまつるに決まっているわ。神擁七国しんようななこくの盟主であらせられるのだもの、その影響は計り知れない。だから、きっと陛下は生きていらっしゃるはずよ。ゼロ様だって、お姿が見えないだけ。わたしたちが四人で逃げられたのだもの、ゼロ様お一人が脱出できないはずがないじゃない」

 一気に喋ると、アルクスの金色の瞳が揺れた。フィアルカは懇願する思いで告げる。

「……だから、お願い。アルが諦めてしまわないで」

 アルクスは無言で目を伏せ、フィアルカは彼の肩から手を放した。

 実の兄のように慕っていた相手を喪ってしまったかもしれないのだ、ディゼルトの部屋で立ち尽くすアルクスの心境は察して余りある。だが、気持ちを整理する時間すら今は惜しい。

「うん……そうだね」

 呟いてから顔を上げたアルクスの双眸には光が戻っていて、フィアルカは少しだけ安堵する。

「ごめんなさい……、偉そうに」

「ううん、言ってくれてありがとう。……そうだよな、おれが諦めてたら駄目だ」

 己に言い聞かせるように言い、アルクスはもう一度頷いた。

「急いで支度する。待ってて」

 言いおいて部屋を飛び出していくアルクスを見送り、フィアルカは両手を組み合わせた。親指に強く唇を押し当てる。

(ゼロ様、陛下……)

 アルクスに向かって並べた理屈は、フィアルカ自身が信じたいことで、常に考えていたことだ。だから、淀みなく口から溢れ出た。謂わば、己の願望に過ぎない。都合のいいことだけを言い訳のように使ってしまったことを、申し訳なく思う。

 大きく息を吐いて、フィアルカは顔を上げた。

(……しっかりしなければ)

 嘆きには蓋をする。今は必要ないものだ。―――ディゼルトの部屋も片付けなければならない。私物は殆ど見当たらないので、すぐに済むだろう。

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