第二章 7
7
アルクスが望んだため、部屋には二人しかいない。
寝台の脇に据えられた椅子に座り、アルクスは沈痛な面持ちで
「……ごめん」
何度目だろうと、フィアルカは苦笑した。
手当をして貰って随分楽になったが、まだ自力で上体を起こしておくのは辛いので、背中にクッションをいくつも挟んで少しだけ起き上がっている。
ここは
「謝らないで。アルが謝る必要はないわ」
「そんなことない。おれがバルトロさんを助けなければ……」
バルトロというのはあの
「わたしは、バルトロさんと帝国兵が揉めている間に抜けようとした。アルは、バルトロさんを見過ごせなかった。人として、アルが正しいわ」
「そんなことない。フィーアが正しかった。おれが、勝手をしなかったら、フィーアが怪我をすることなかったんだ」
「それはわからないわ。バルトロさんを助けなくても、やっぱりあの後帝国兵に見つかってしまったかもしれないし、アルが助けに入らなければ、バルトロさんは殺されてしまっていたかもしれない」
可能性の話をすればきりがない。だが、あの場を無傷で切り抜けられなかったのはフィアルカの落ち度だ。アルクスが無事だったのは
脇腹の銃創が思いの外深くて、自分で治癒術をかけることができなかった。どんな状況でも意識さえあれば操れる炎と違い、魔法はそれなりの集中が必要だ。あの時は傷の痛みで、集中するのは無理だった。
アルクスが喋らないので、フィアルカは話を変える。
「わたしはしばらく動けないから、アルは」
「いやだ」
フィアルカが言い終わらないうちに遮り、アルクスはかぶりを振った。半ば予想をしていたが、フィアルカは苦笑する。
「シェリアークの人が護衛についてくれるから大丈夫よ。わたしは動けるようになったら、すぐ追いかけるから」
「いやだ」
「アルには、一刻も早くシェリアークの都に……」
「いやだ!」
業を煮やしたように声を上げて、すぐにアルクスはしゅんと項垂れた。
「……ごめん」
「ううん。……わたしのほうこそ」
膝の上で握り締められた両手が震えているのを見て、フィアルカは提案したことを後悔する。
水国シェリアークに入ったことで安心してしまい、アルクスの心情を推し量らなかった。逆の立場なら、フィアルカもきっと、アルクスと共に行きたいと考えるだろう。
アルドラ王城を落ち延びた時は大勢いたのに、今はアルクスとフィアルカ二人だけになってしまった。特に、ディゼルトのことはアルクスに深い影を落としている。
シェリアークはアルドラの同盟国で、帝国が侵攻するとしたら、次はおそらくシェリアークだろう。アルドラと国境を接しているのは
フィアルカが黙っていると、アルクスは上目遣いでフィアルカを見た。そうしていると、悪戯を咎められた子供のようだ。
「ごめんなさい、アルの気持ちを考えていなかったわ。……ここまで一緒に来たのだものね。一緒に行きましょう」
「……うん」
幼子のように頷いたアルクスは、とても安心した顔をしていて、フィアルカは複雑になる。
水国シェリアークへ入り、保護を受けることができて、目下の目的は達成された。あとは水の継承者でありシェリアークの
「ねえ、アル」
「何?」
「レイツェル
ふと思いついて尋ねれば、アルクスは意外そうに眼を瞬いた。
「おれも、何回かしか会ったことないんだ。最後に会ったのは五年くらい前だし……年はおれの六つか七つ上だったかな? あんまり喋らなくて、でも、いつも微笑んでる感じだった。そんで、すっごく美人」
「美人?」
思わず繰り返すと、アルクスは神妙な表情で首肯した。
「すっ……ごく美人 。あんなに綺麗な人見たことない」
「カトレア様よりも?」
フィアルカの中で、今まで見た中で最も美しいと思った人物は、アルクスの母にして故アルドラ王妃、カトレアである。十年以上前に
「母上よりも。なんて言うか、美人かそうでないかって、個人の好みが大きいと思うんだけど、レイさんは誰が見ても美人って言うと思う」
「……ええと、男性よね?」
「うん、男。あの人が女だったら、戦争が起きてるんじゃないかな……みんなで取り合って」
「そんなに……」
傾国の美女という言葉があるが、文字通りの人物なのだろう。アルクスにここまで言わしめるのだから、男性でよかったのかもしれない。
「でも、穏やかなかたなら、きっとアルの話を聞いてくれるわね」
「そうだね、大丈夫だと思う」
ようやく光が見えた気がして、フィアルカは安堵の息をついた。すると、アルクスが申し訳なさそうに眉を下げる。
「疲れちゃったよね、ごめん。長く話過ぎた」
「ううん、大丈夫よ」
「おれが言うのもなんだけど、寝た方がいいよ。おれはヴェラネス隊長と話してくるから」
「そう、なら少し休ませてもらうわ」
フィアルカの背中からクッションを外し、アルクスは部屋を出て行った。入れ替わるように薬師が入ってくる。アルクスの退室を待っていたのかもしれない。
薬師は柔和な顔立ちの中年女性で、目を覚ました時に傍にいてくれたのも彼女だった。フィアルカに気を遣って女性の薬師を付けてくれたのだろう。
「失礼いたします。お加減はいかがですか、フィアルカ様」
寝台の傍らにある机に道具を広げながら尋ねる薬師へ、フィアルカは頷いて見せた。
「おかげさまで、大分楽になりました」
「それはようございました。お熱などを診せていただいてもよろしいでしょうか」
「はい。あの……」
「なんでしょうか」
「わたくしはアルクス殿下の侍女ですが、身分のある者ではありません。お心遣い、痛み入るのですが……」
上手く説明できなくて、フィアルカは語尾を濁した。しかし薬師はフィアルカの言いたいことを汲み取ってくれたようで、小さく微笑む。
「こちらこそ、お気遣い
にこにこと言われて、フィアルカくすぐったいような気分になりながら曖昧に笑んだ。これ以上我儘を言っては彼女を困らせるだけだろう。
「……ありがとうございます」
「いいえ。では、失礼いたしますね」
薬師はフィアルカの熱を測ったり脈を診たり、瞳や口の中をのぞき込んだりした。最後に傷の具合を診て、包帯を替えてくれる。
「お怪我はもう心配はなさそうですが、どうぞ安静になさってください。今は休養が第一です」
「わかりました。ありがとうございます」
「後程、お
手早く道具をまとめると、薬師は部屋から出て行った。一人になったフィアルカは、細く長く息を吐きだす。どうにも、丁寧に扱われることに慣れない。
(わたしはアルとは違う……他の「継承者」とも)
前の炎の継承者は
フィアルカが三歳の時にミルザムがスヴァルド帝国に滅ぼされ、家族を全員失った。幼かったので記憶は判然としないが、燃える村と、救い出してくれたリュングダールの姿ははっきりと覚えている。当時、
(わたしは……どうして「紋章」に選ばれたのかしら)
「紋章」は人を―――血を選ぶ。ミルザム王家の血筋が絶え、次に「紋章」が選んだのがフィアルカの血だった。もし、これから先、フィアルカが子を産むことがあれば、血筋が続く限り受け継がれていく。フィアルカが子を残さず死ねば、また次の血を選ぶ。
(わたしには……何もできない……のに……)
訪れた睡魔に抗わず、フィアルカは眠りに落ちた。
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