第二章 6

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 通信兵は迷っていた。

「僕のせいですか? 壊したのは僕じゃないのに。……そう、エルメル所長ですよ。あの人が……いや、剣折ったのは僕ですけど。折られたって言うか」

 退出を命じられたわけではないが、話を聞いていていいのだろうかとも思う。聞いてはいけないことを聞いてしまったら消されかねない。

 イドレ・ニーズルヤード特務少佐は、先程からずっと本国の技術局長と話している。物凄い剣幕で技術局長から特務少佐へ通信が入ったと思ったら、工場が全壊したことのみならず、光国こうこくアルドラの王子らしき少年を発見したが取り逃がしたとか、所長のエルメルがイドレを邪魔したとか、イドレ専用の特注の剣を折ったとか、一兵士が耳にしてはいけないような内容を話している。おそらく、事件直後に本国へ一連のことが報告され、それが局長まで届き、今日、怒りの通信が返ってきたということなのだろう。

「……え? は? 待ってください、雑音が……もしもし? もしもーし」

 顔をしかめたイドレが振り返り、通信兵は駆け寄った。電波状況が悪いらしく、送受信共にレベルが落ちている。

 ミルザム南方国境要塞が本国と無線通信ができるようになったのは、ここ二年くらいである。無線通信自体が新しい技術で、まだ軍の中でしか使われていない。

 帝都からミルザムの南端までかなりの距離があるが、海上に中継基地が幾つも建てられ、無理矢理に通信を可能にした。船便はもちろん、鳥や飛空艇よりもはるかに速いが、様々な原因でしばしば通信不能におちいるのが困りものだ。

「ええと……これでおそらく大丈夫かと」

 調整し、受話器を返すと軽く頷いてイドレは話を再開した。

「あー、あー、テステス。聞こえる? 局長。もしもーし。え? ……帰らなきゃ駄目ですか? 面倒……ゴホン、雑音が酷くて聞こえませーん」

 周囲にも響くような怒号が聞こえ、イドレは受話器を耳から離して顔を顰めた。通信兵も思わず仰け反る。

「はいはい、わかりましたって。そう怒鳴らないでくださいよ。え? 飛空艇? 嘘でしょ、燃費悪すぎて使えないっていつも……だから、怒鳴らないでくださいって。はいは、一旦帰ります、帰りまーす! 可及的速やかにね。ではこれで」

 話を打ち切り、イドレは通信兵に受話器を差し出して寄越した。局長がまだ何か喋っていて、受話器とイドレを交互に見ると、早く受け取れとばかりに突きつけられる。通信兵は渋々受け取り、応答した。

「あの……」

『誰だ貴様は! イドレを出せ!』

 イドレを見れば、彼は顰め面のまま無言でかぶりを振った。仕方なく通信兵は言い繕う。

「申し訳ありません、特務少佐はもう……」

 皆まで聞かずに通信が切れた。安堵と嘆息と半々の息を吐きだしながら、こちらでも通信を切ると、イドレが杖をついて立ち上がる。

「帰ることになっちゃった。まあ、腕治してくれるって言うからいいかな」

 工場の崩壊に巻き込まれ―――イドレ自身が破壊したという噂もあるが―――、イドレは左腕の肘から先を失った。杖をついているところを見ると、足もいためたらしい。通信兵は頼りなく揺れているイドレの左袖を見る。

「治る……の、ですか?」

「元には戻らないけどね。義手って言うか、また実験台になれってことでしょ」

 また、ということは以前にもあるのかと、通信兵は内心で震えあがった。技術開発局とは縁遠い身ゆえ、内情はわからないが、しばしば物騒な噂が聞こえてくる。曰く、局長は死体を繋ぎ合わせて不死身の軍隊を作っているとか、人間を原料に兵站へいたんを開発しているとか、実は三百年以上生きていて夜な夜な子供の生き血を啜っているとか、様々だ。

「実験台……」

 思わず呟けば、そのなかの非難の響きを汲み取ったか、イドレは苦笑めいた表情になる。

「いいんだよ。局長は実験がしたい、おれは腕が欲しい。持ちつ持たれつってやつさ。―――楽しみもできたし、腕は必要なんだ」

 言いながら笑みの質を変え、本当に楽しそうにするイドレを見て「楽しみ」の内容が気になったが、おそらく知らない方がいいのだろう。

「それよりその通信機、調子悪いならエルメル所長に見てもらった方がいいかもね」

「エルメル所長……ですか?」

 幻晶げんしょうの抽出と研究を主とする研究所の所長と、通信機となんの関係があるのだろうと、通信兵は首を傾ける。

「無線をこっちまで引っ張ったのは局長だけど、無線通信の技術を確立したのはエルメル所長だ。君らの隊長より詳しいよ」

「え、そうなんですか? てっきり所長の専門分野は幻晶かと」

「幻晶は触ってないんじゃない? 一昔前の環境活動家みたいなこと言ってたから」

「では、専門は?」

「知らない。エルメル所長は、なんだかもういろんなところに関わり過ぎて、何が専門なのか謎」

「特務少佐でもご存じないのですか」

「そりゃそうだよ、僕が所長に初めて会ったの、この要塞に来たときだよ? 特務隊が技術局長の直属だから、話には聞いてたってだけさ。化け物じみた天才がいるってね」

 なるほど、と通信兵は頷いた。イドレは他人事のように続ける。

「だから、わからないことがあったら訊いといたほうがいいよ、今のうちに」

「今のうち……」

「聞いてたでしょ、通信。さすがに敵対行動に、お咎めなしとはいかないんじゃない? よくて降格、悪ければ投獄。あの頭脳と技術は惜しいから、殺されはしないと思うけど」

「ああ……なるほど」

「だから、今のうちにね」

 言葉を切り、イドレは疲れたように息をついた。普段と変わらないので忘れがちだが、イドレが大怪我をしてから日が浅い。本当はまだ医務室にいなければならないのだ。

「お身体の具合はいかがですか」

「痛み止めが効いてるから大丈夫。この後、総帥とか皇帝陛下とか以外の、僕宛の通信は繋がなくていいから。熱出して寝込んでますとでも言っておいて」

「お大事になさってください」

「ありがと」

 力なく笑んでイドレは通信室を出て行った。

 件の事件からまだ数日なのに、四肢を失うような大怪我を負いながら、ひょいひょい出歩いているのが、通信兵には信じられない。

 不公平だと思うのはこういうときだ。西の魔人どもは、即死でない限り、面妖な術ですぐさま怪我を治してしまう。こちらは医学にのっとって治療をしても、回復するか否かは本人の体力に因るところが大きい。だというのに、大怪我でもなんでも一瞬で治るのは卑怯だ。

 魔人を連れてきて治させろという意見は勿論ある。しかし、他人はともかく自分にその魔法が向けられるとなると、信用云々の前に不気味さが先に立つ。

 通信兵は前に一度、魔人どうしが治癒術で傷を治しているのを見たことがあるが、千切れてしまいそうな足がみるみるうちに治っていくのは、不気味を通り越して吐き気を覚えた。

(やっぱり、魔人は燃料にしてしまった方がいい……同じ人間だとは思えない)

 通信兵は息をついて時計を見た。交代まではまだある。それまでに、イドレ宛の通信が入らないよう祈るばかりだ。

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