第二章 5-2
* * *
昨夜から国境が騒がしい。
「ヴェラネス隊長」
呼ばれて彼は振り返った。戸口には、困り顔の兵士が二人、立っている。
「どうした」
「あの……少年が助けを求めてきているのですが」
「助けてやるといい」
ここは北方国境警備隊の基地だが、その程度、わざわざ許可をとりにくるまでもない。しかし、兵士たちは顔を見合わせてますます困った顔になった。
「……少年は、アルドラの王子を名乗っておりまして」
「何?」
たしかに、光国アルドラの王子は行方不明だ。死んだという話を聞かない代わりに、生きているという話も聞かない。しかし、
(万が一、本物だとしたら……?)
何より、兵士がわざわざ伺いを立てにきたということは、捨て置けない何かがあるのだろう。
「会おう。連れてきてくれ」
「承知しました。……もう一つ、あるのですが」
「なんだ」
「少年は、負傷した少女を連れていまして」
「手当してやれ」
「それが……、絶対に離れないと言い張っております」
ヴェラネスは大きく息をついた。―――北方国境警備隊の隊長は、暇ではないのだが。
「二人とも連れてこい。衛生兵もな。目の前で手当てしてやれば納得するだろう」
「はい」
二人は安堵したように返事をして戻っていった。程なくして、
その姿を目にしてヴェラネスは瞠目した。血や泥、
少女は少年に背負われており、意識がないのかぐったりとして浅い呼吸を繰り返している。こちらは赤毛だった。
硬い面持ちの少年に、ヴェラネスは傍らの長椅子を示した。
「その子を寝かせてあげなさい。酷い怪我のようだ」
「……助けてくれるんですか」
「助けを求めてきたのは君だと聞いたが。じき衛生兵がくる。君はアルドラ人だろう? ここはシェリアークだ。悪いようにはしない」
「……ありがとうございます」
少年は硬い声で言い、少女を長椅子に横たえた。少女は左半身を赤く染め、青白い顔で硬く目を閉じている。やはり意識がないようだ。
「これは酷いな。―――治癒術師も呼べ」
「畏まりました」
控えていた兵士の一人が出ていき、少年は縋るような目でヴェラネスを見る。
「助かりますか……?」
「わからん。努力はする」
事実を告げれば、少年は泣くまいとするように唇を引き結んだ。
「君は、怪我は?」
「ありません。……フィーアが庇ってくれたから」
フィーアというのは少女の名だろう。ヴェラネスは重ねて尋ねる。
「アルドラの王子を名乗ったということだが、本当か」
少女を見下ろしていた少年は、はっと顔を上げた。金色の双眸に迷うような色が浮かぶ。
「アルドラでは王族の詐称は死罪だと思ったがな。せっかく拾った命、捨てるつもりか」
「……いいえ。詐称ではありません」
「真実アルドラ王子だと? 証明できるか」
少年は目を伏せ、まだ迷っているようだったが、辛そうに息をしている少女を見て腹を決めたようだった。手袋を外すと、ヴェラネスに見えるように拳を甲を上にして差し出す。
「おれ……私は、光国アルドラ第一王子、アルクス・テスラ・フォズ・アルドラです」
告げる少年の右手の甲に光の紋章が浮かび上がって、ヴェラネスは息を飲む。形は知っているが、本物を目にするのは初めてだ。
ヴェラネスは頷き、少年―――アルクスへ膝をついた。
「ご無礼をお許しください、アルクス殿下。改めまして、シェリアーク北方国境警備隊隊長イムズ・ヴェラネスと申します」
手を下ろしたアルクスはかぶりを振る。
「どうぞ、立ってください。信じてくださり感謝します」
ヴェラネスは一礼して立ち上がる。そこへ、衛生兵と治癒術師が到着した。
「失礼いたします。お呼びでしょうか、ヴェラネス隊長」
「そちらの少女の手当てを。アルクス殿下のお連れだ、
「……承知いたしました」
衛生兵たちは驚いたように目を
「これは酷い……応急処置はしてあるようですが、銃創……いや、火傷?」
アルクスは俯きがちに応えた。
「国境の森を逃げる途中で、私を庇って撃たれました。フィーア……彼女が、自分で焼いて塞いで止血を」
「自分で……なんという」
衛生兵が信じられないとでもいいたげに、ゆるゆると首を左右に振った。アルクスは、先程と同じ問いを繰り返す。
「……助かりますか」
「内臓は傷ついていないようですが……楽観はできません。体力次第としか」
衛生兵の言葉に、アルクスは泣きそうに顔を歪めた。項垂れるように頭を下げる。
「お願いします、助けてください。……お願いします」
「何卒、お顔をお上げください。微力を尽くします」
悄然としているアルクスを、ヴェラネスは促す。
「殿下もお休みになってください。湯の用意をさせましょう」
「いいえ、ここにいます。……フィーアの傍に」
傍目にもわかるほど疲労の色が濃いが、アルクスが納得しなければ少女の傍を離れないだろう。湯と部屋の用意をするように兵士へ指示を出して、ヴェラネスは応接用のテーブルへ移動した。
「では、そちらの椅子におかけください」
「……はい」
アルクスは頷き、のろのろとヴェラネスが示した椅子に腰掛けた。ヴェラネスはその向かいに座る。
「失礼ですが、彼女はアルクス殿下の侍女でいらっしゃる?」
「侍女と言えばそうですが……姉というのが一番近い気がします。……彼女は、炎の継承者なので」
思いがけないことに、ヴェラネスは一瞬動きを止める。
「そうだったのですか……炎の継承者が生きていたとは」
生きていた、というのは語弊がある。精霊と人の盟約の証たる「紋章」は、血で継承される。「継承者」の血が絶えれば、次の血を選ぶ。
先代の炎の継承者は、炎国ミルザムの王弟だった。十五年前、ミルザムは帝国に滅ぼされ、王族は皆殺しにされた。血が絶えて、次に選ばれたのが少女の血だったのだろう。どういう経緯を辿ったのかわからないが、少女はアルドラ国に保護され、光の継承者であるアルドラ王子と共に育てられていた。
「……お願いがあります」
改めて言われて、ヴェラネスはアルクスを見た。
「なんなりと」
「
水国シェリアークは宗教国家である。水精ウンディーネを
「承知いたしました。こちらにアルクス殿下と、炎の……」
詰まったのを察したか、アルクスが炎の少女の名を告げる。
「彼女はフィーア……フィアルカです」
「フィアルカ殿がいらっしゃることは、急ぎ報告いたします。レイツェル様に御伝言がございましたら、承ります」
「助かります。お会いしたいと伝えてください」
「承知いたしました。―――ここから都まで、馬車ですと七日ほどかかります。アルクス殿下お一人でしたら、明日にでもここを出立できるよう整えますが」
フィアルカの様子からして、手当をしてもすぐに移動させるのは負担が大きすぎるだろう。
アルクスはあまり考える様子もなく首を左右に振った。
「フィーアと共に。……私一人では何もできません」
独白のように言う、
「レイツェル様は水の継承者であらせられると同時に、この国で最も優れた治癒術師でいらっしゃいます。どのような怪我も病も、レイツェル様ならば癒してくださいます」
「……お心遣い痛み入ります」
頭を下げて、アルクスは口を
(とりあえず鳥を飛ばすか……詳細は追って早馬を出せばいい。確か、南の駐屯地に迎えの部隊がいたな)
アルドラの王子が落ち延びてくるという話は、
早い方がいいと、ヴェラネスは立ち上がった。
「では、私は都へ鳥を飛ばして参ります。何かありましたら、周囲の者にお申し付けください」
アルクスは、自分に向けられている言葉だとは思わなかったらしく、一拍遅れてヴェラネスを見上げた。
「……はい。お願いします」
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