第二章 5-2

   *     *     *


 

 昨夜から国境が騒がしい。

 光国こうこくアルドラが落ちてすぐ、スヴァルド帝国はアルドラと水国すいこくシェリアークを繋ぐ道のすべてに関所を設置した。シェリアークだけでなく、他の国へも同じだろう。帝国はアルドラの王族と貴族を血眼になって捜している。幸いなのは、大きな成果が上がったということをいまだ聞かないことだ。

「ヴェラネス隊長」

 呼ばれて彼は振り返った。戸口には、困り顔の兵士が二人、立っている。

「どうした」

「あの……少年が助けを求めてきているのですが」

「助けてやるといい」

 ここは北方国境警備隊の基地だが、その程度、わざわざ許可をとりにくるまでもない。しかし、兵士たちは顔を見合わせてますます困った顔になった。

「……少年は、アルドラの王子を名乗っておりまして」

「何?」

 たしかに、光国アルドラの王子は行方不明だ。死んだという話を聞かない代わりに、生きているという話も聞かない。しかし、市井しせいの少年が王子をかたるには相当の覚悟が必要だろう。アルドラでは王族の詐称は理由の如何いかんを問わず死罪だったはずだ。その上、シェリアークはアルドラの同盟国である。国境警備隊には、アルドラからの避難民はなるべく保護するようにと指示が出ている。王子を騙る意味がない。

(万が一、本物だとしたら……?)

 何より、兵士がわざわざ伺いを立てにきたということは、捨て置けない何かがあるのだろう。

「会おう。連れてきてくれ」

「承知しました。……もう一つ、あるのですが」

「なんだ」

「少年は、負傷した少女を連れていまして」

「手当してやれ」

「それが……、絶対に離れないと言い張っております」

 ヴェラネスは大きく息をついた。―――北方国境警備隊の隊長は、暇ではないのだが。

「二人とも連れてこい。衛生兵もな。目の前で手当てしてやれば納得するだろう」

「はい」

 二人は安堵したように返事をして戻っていった。程なくして、くだんの少年少女を連れてくる。

 その姿を目にしてヴェラネスは瞠目した。血や泥、すすのようなもので全身が汚れているが、少年は、鮮やかな金髪に金眼を備えていた。見た目も行方不明の王子と同じ年頃で、これでは兵士が迷うはずだとヴェラネスは納得する。

 少女は少年に背負われており、意識がないのかぐったりとして浅い呼吸を繰り返している。こちらは赤毛だった。

 硬い面持ちの少年に、ヴェラネスは傍らの長椅子を示した。

「その子を寝かせてあげなさい。酷い怪我のようだ」

「……助けてくれるんですか」

「助けを求めてきたのは君だと聞いたが。じき衛生兵がくる。君はアルドラ人だろう? ここはシェリアークだ。悪いようにはしない」

「……ありがとうございます」

 少年は硬い声で言い、少女を長椅子に横たえた。少女は左半身を赤く染め、青白い顔で硬く目を閉じている。やはり意識がないようだ。

「これは酷いな。―――治癒術師も呼べ」

「畏まりました」

 控えていた兵士の一人が出ていき、少年は縋るような目でヴェラネスを見る。

「助かりますか……?」

「わからん。努力はする」

 事実を告げれば、少年は泣くまいとするように唇を引き結んだ。

「君は、怪我は?」

「ありません。……フィーアが庇ってくれたから」

 フィーアというのは少女の名だろう。ヴェラネスは重ねて尋ねる。

「アルドラの王子を名乗ったということだが、本当か」

 少女を見下ろしていた少年は、はっと顔を上げた。金色の双眸に迷うような色が浮かぶ。

「アルドラでは王族の詐称は死罪だと思ったがな。せっかく拾った命、捨てるつもりか」

「……いいえ。詐称ではありません」

「真実アルドラ王子だと? 証明できるか」

 少年は目を伏せ、まだ迷っているようだったが、辛そうに息をしている少女を見て腹を決めたようだった。手袋を外すと、ヴェラネスに見えるように拳を甲を上にして差し出す。

「おれ……私は、光国アルドラ第一王子、アルクス・テスラ・フォズ・アルドラです」

 告げる少年の右手の甲に光の紋章が浮かび上がって、ヴェラネスは息を飲む。形は知っているが、本物を目にするのは初めてだ。

 ヴェラネスは頷き、少年―――アルクスへ膝をついた。

「ご無礼をお許しください、アルクス殿下。改めまして、シェリアーク北方国境警備隊隊長イムズ・ヴェラネスと申します」

 手を下ろしたアルクスはかぶりを振る。

「どうぞ、立ってください。信じてくださり感謝します」

 ヴェラネスは一礼して立ち上がる。そこへ、衛生兵と治癒術師が到着した。

「失礼いたします。お呼びでしょうか、ヴェラネス隊長」

「そちらの少女の手当てを。アルクス殿下のお連れだ、おろそかにしないように」

「……承知いたしました」

 衛生兵たちは驚いたように目をみはったが、すぐに頷いて手当に移った。少女の傷の具合を診たちう術師が、思わずといったふうに呻く。

「これは酷い……応急処置はしてあるようですが、銃創……いや、火傷?」

 アルクスは俯きがちに応えた。

「国境の森を逃げる途中で、私を庇って撃たれました。フィーア……彼女が、自分で焼いて塞いで止血を」

「自分で……なんという」

 衛生兵が信じられないとでもいいたげに、ゆるゆると首を左右に振った。アルクスは、先程と同じ問いを繰り返す。

「……助かりますか」

「内臓は傷ついていないようですが……楽観はできません。体力次第としか」

 衛生兵の言葉に、アルクスは泣きそうに顔を歪めた。項垂れるように頭を下げる。

「お願いします、助けてください。……お願いします」

「何卒、お顔をお上げください。微力を尽くします」

 悄然としているアルクスを、ヴェラネスは促す。

「殿下もお休みになってください。湯の用意をさせましょう」

「いいえ、ここにいます。……フィーアの傍に」

 傍目にもわかるほど疲労の色が濃いが、アルクスが納得しなければ少女の傍を離れないだろう。湯と部屋の用意をするように兵士へ指示を出して、ヴェラネスは応接用のテーブルへ移動した。

「では、そちらの椅子におかけください」

「……はい」

 アルクスは頷き、のろのろとヴェラネスが示した椅子に腰掛けた。ヴェラネスはその向かいに座る。

「失礼ですが、彼女はアルクス殿下の侍女でいらっしゃる?」

「侍女と言えばそうですが……姉というのが一番近い気がします。……彼女は、炎の継承者なので」

 思いがけないことに、ヴェラネスは一瞬動きを止める。

「そうだったのですか……炎の継承者が生きていたとは」

 生きていた、というのは語弊がある。精霊と人の盟約の証たる「紋章」は、血で継承される。「継承者」の血が絶えれば、次の血を選ぶ。

 先代の炎の継承者は、炎国ミルザムの王弟だった。十五年前、ミルザムは帝国に滅ぼされ、王族は皆殺しにされた。血が絶えて、次に選ばれたのが少女の血だったのだろう。どういう経緯を辿ったのかわからないが、少女はアルドラ国に保護され、光の継承者であるアルドラ王子と共に育てられていた。

「……お願いがあります」

 改めて言われて、ヴェラネスはアルクスを見た。

「なんなりと」

水皇すいこう……レイツェル・ナキア・エルムフルト猊下げいかに連絡を取っていただけませんか。私がシェリアークを頼ることは先にお伝えしてあるはずです」

 水国シェリアークは宗教国家である。水精ウンディーネをまつり、水の継承者である「水皇」を頂点に国を治めている。アルクスからの申し出がなくとも報告をせねばならないので、ヴェラネスに否やはない。

「承知いたしました。こちらにアルクス殿下と、炎の……」

 詰まったのを察したか、アルクスが炎の少女の名を告げる。

「彼女はフィーア……フィアルカです」

「フィアルカ殿がいらっしゃることは、急ぎ報告いたします。レイツェル様に御伝言がございましたら、承ります」

「助かります。お会いしたいと伝えてください」

「承知いたしました。―――ここから都まで、馬車ですと七日ほどかかります。アルクス殿下お一人でしたら、明日にでもここを出立できるよう整えますが」

 フィアルカの様子からして、手当をしてもすぐに移動させるのは負担が大きすぎるだろう。

 アルクスはあまり考える様子もなく首を左右に振った。

「フィーアと共に。……私一人では何もできません」

 独白のように言う、憔悴しょうすいしきった少年が不憫になり、ヴェラネスは付け加える。

「レイツェル様は水の継承者であらせられると同時に、この国で最も優れた治癒術師でいらっしゃいます。どのような怪我も病も、レイツェル様ならば癒してくださいます」

「……お心遣い痛み入ります」

 頭を下げて、アルクスは口をつぐんだ。心配そうにフィアルカの方へ視線を遣る。それ以上話を続けるのははばかられて、ヴェラネスも口を閉じた。

(とりあえず鳥を飛ばすか……詳細は追って早馬を出せばいい。確か、南の駐屯地に迎えの部隊がいたな)

 アルドラの王子が落ち延びてくるという話は、光国こうこくが落ちた直後からあった。その迎え―――今となっては捜索のための部隊も派遣されている。水国へ来るのであれば北の国境を超える可能性が高いだろうから、国境付近の動きには皆、注意を払っていたが、ヴェラネス自身、王子の生存のを疑問視するころになって、向こうから助けを求めて現れるとは思っていなかった。レイツェルも驚くことだろう。

 早い方がいいと、ヴェラネスは立ち上がった。

「では、私は都へ鳥を飛ばして参ります。何かありましたら、周囲の者にお申し付けください」

 アルクスは、自分に向けられている言葉だとは思わなかったらしく、一拍遅れてヴェラネスを見上げた。

「……はい。お願いします」

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