第一章 2-1

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 王城の外れにある小さな部屋に、アルクスとディゼルト、フィアルカの三人と、両手で足りるほどの護衛が集まっていた。全員、旅装を身につけている。―――これから城を落ちるのだ。

 窓辺に立ち、アルクスは城下を見下ろしていた。どこかが燃えているのか、遠くにだいだいの光が見える。

(どうして、こんな……)

 胸中を埋め尽くすのは答えの出ない問いだ。

 光国こうこくアルドラの国土を囲む魔法障壁が、なんらかの手段で破壊されたのは、つい一月前のこと。スヴァルド帝国は宣戦布告もなしに侵攻してきた。不意打ちのようなかたちで応戦することになったアルドラ国は、押し返すことができなかった。

「リュングダール陛下、お見えでございます」

 侍女が扉を開き、国王が入ってくる。その場にいたアルクス以外の全員がひざまずいた。

「準備はできたか、アルクス」

「はい、父上」

 返事をする王子へ、国王は歩み寄った。その手に布に包まれた棒状の物を持っている。

「この者たちが守ってくれる。おまえはここから離れることだけを考えなさい」

「……です」

「何?」

 アルクスは強くかぶりを振る。

「やっぱりいやです! おれも戦います。父上を、皆を残して逃げるなど!」

「逃げるのではない、生き延びるのだ。そなたさえいれば光国アルドラは必ず復興する。死んではならぬ」

「なれど!」

「案ずるな。私を誰だと思っておる? 光国アルドラの王、神擁七国しんようななこくの盟主ぞ。帝国軍など蹴散らしてくれよう」

 笑みを含んだ声音で言い、リュングダールは自らの首飾りを外してアルクスにかけた。中央の一番大きな石に、斜めにひびが入っている。

「これを持っていけ。光精こうせいカマルの加護はそなたと共にある」

「要りません! 光精の加護は父上にこそ。おれも戦います」

「アルクス。聞き分けなさい」

 すぐに返事をすることができなくて、アルクスは無言でうつむいた。国王以下、多くの臣民を残し、アルクスが落ち延びることはもう決まっていることだ。ここで駄々をねても皆を困らせるだけで、最早もはや、決定はひるがえらないとわかっているが、未だに受け入れられずにいる。

(おれが、もっと強かったなら……!)

 泣き出したいような気分で、アルクスはリュングダールを見上げた。

「……生きて……またお会いできると、お約束くださいますか」

「勿論だとも」

 笑んで首肯しゅこうするリュングダールへ笑い返すことができず、アルクスは再び俯いて胸元の首飾りを握りしめた。これは「かなめ」だ。本来なら、王城から動かしてはならないものだ。それを託されたことの意味を、今は考えたくない。

 リュングダールは力づけるようにアルクスの背を叩き、振り返る。

「ディゼルト」

 呼ばれた青年は驚いた様子で顔を上げた。

「はい、陛下」

「立ちなさい」

 ディゼルトは戸惑いを見せながら立ち上がる。リュングダールはディゼルトの正面に立ち、手にしていた長物の包みを解いた。中からは大剣が現れる。

(聖剣?)

 アルクスも何度かしか見たことがない。鍔は翼を模してあり、鞘には銀で、アルドラ王家の紋章にも使われているトゥリフォイルの装飾が施されている。アルドラ国王だけが手にできる剣だ。

「持っていけ」

 飲み込めなかったか、一瞬ぽかんとしたディゼルトは、リュングダールと剣とを交互に見た。

「これは……聖剣ではありませんか!」

「おまえに託す」

「滅相もないことでございます。聖剣ルアハ・ゼアルは国宝にして陛下の御物ぎょぶつ、私めが触れてよいものではありません」

「他でもない、おまえだから託すのだ。ディゼルト」

 ディゼルトは思わずといったふうに周囲を見回した。アルクスを含め、全員が無言で事の成り行きを見守っている。他でもない国王がディゼルトに下賜かししようというのだから、アルクスとていなやはない。

「陛下……」

 呟いたディゼルトは、意を決したように剣のつかに手を伸ばし、しかし途中で止めた。その胸中を反映してか、指先が揺れる。

 リュングダールはディゼルトの迷いを見透かしたように、また、断ち切るように告げる。

「アルクスを頼む」

 小さく息を飲んで、ディゼルトはアルクスを見た。視線がぶつかり、アルクスはどういう顔をしていいかわからず、無言で見つめ返す。口を挟むことはできない。その資格も権利もアルクスにはない。

 ディゼルトはアルクスが生まれる前から城にいて、アルクスの側仕えになる前はリュングダールに仕えていた。二人にしかわからないことがきっとある。

 短い沈黙の後に一度、瞑目めいもくして開き、ディゼルトは聖剣ルアハ・ゼアルを手に取った。

「……御意のままに」

 リュングダールは頷き、アルクスに向き直った。

「南へ向かうとよい。森を抜け、国境を目指せ。水国すいこくシェリアークには使者と親書を送ってある。の国ならば受け入れてくれよう」

 諦めきれないアルクスは食い下がる。

「ならば……父上もご一緒に」

「アルクス。聞き分けなさいと言った」

 俯く息子の頭を撫でて顔を上げさせ、リュングダールは穏やかに笑んだ。

「そんな顔をするな。おまえが暗い顔をしていては、皆の士気に関わる」

「……はい」

「うむ。―――フィアルカ」

 次いで、リュングダールは侍女の名前を呼んだ。少女は跪いたまま顔を上げる。

「はい、陛下」

「そなたはそもそも無関係だというのに、苦労をかけるな」

 フィアルカは強くかぶりを振った。

「とんでもないことでございます。わたくしをこの場においてくださり、感謝の言葉もございません」

「これからもアルクスの良き姉でいてほしい」

言葉、しかと」

 再び顔を伏せるフィアルカを見下ろしてから、国王は全員を見渡すように首を巡らせた。

「では行け。皆、生き延びることだけを考えよ。命を粗末にするでないぞ」

「父上も……父上もどうか、ご無事で」

 リュングダールが頷くと、アルクスは兵士に囲まれるようにして部屋の外に出された。

 これが今生の別れではないと信じている。信じているが、名残惜しくてアルクスは肩越しに振り返った。その瞬間、視界が暗転する。

(え?)

 暗闇の中に一人取り残されたアルクスは、状況を飲み込めずに周囲を見回した。しかし、どちらを見ても真っ暗で、明かりのようなものは見えず、前後左右にいたはずの衛兵も消えている。

「なんで急に……誰か! 父上! ゼロにい!」

 声を上げても返事はない。やがて、ある一点が明るくなり、リュングダールの姿が浮かび上がる。

「……父上? 父上!」

 リュングダールは棒立ちのまま、ぴくりでもない。アルクスは駆け寄ろうとしたが、足は縫い止められたように動かず、両腕も上がらない。見れば、手足が伸びてきた闇に絡め取られている。

「―――…!」

 呑んだ息が声に変わる前に、闇は首や口にも巻き付く。視界以外を封じられたアルクスの眼前で、動かないリュングダールの周囲に細い筒状のものが現れた。

 アルクスはそれがなんなのか知っている―――銃だ。スヴァルド帝国の兵士が使う武器だ。

「……!!」

 叫びは呻きにしかならない。無数の銃口がリュングダールを囲んで半円形に広がる。それらが一斉に火を噴き、



「父上!!」

 叫びながらアルクスは跳ね起きた。

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