第一章 9

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「……すみません、所長」

 申し訳なさそうに言う隊長へ、エルクはかぶりを振った。

「お気になさらず。あなたがたも大変ですね」

 言いながらエルクは笑みを浮かべて見せた。

 地下牢へ下りるのは着任したときに案内されて以来だ。主に、スヴァルド帝国にあだなす不穏分子ふおんぶんしを捕らえておくのだと聞いた。そして、帝国のためにのだ、とも。そのときは聞き流したが、今となっては言葉通りの意味だったのだとわかる。

「ここでいいですか?」

 手前の牢を指さすと、隊長はますます恐縮して頭を下げる。彼らのせいではないのだから、本当に気にすることはないのにと、エルクは胸中で苦笑しながら牢へ入った。

「特務少佐がお帰りになるまで、しばらくご辛抱ください」

「ええ。あなたがたも」

 エルクの返しが意外だったか、隊長は少しだけ目を見開いた。

「鍵はかけずにおきますので」

「お気遣いなく。ニーズルヤード特務少佐が来ないとも限りませんし、それで鍵がかかっていなかったら、とがめられるのはあなたがたです」

「……承知しました」

 エルクが自ら扉を閉めると、鍵のかかる音がする。そして、ぞろぞろと足音が去って行った。

 鉄扉には顔の位置に小窓があり、鉄格子がはまっている。それだけではさすがに暗いので、エルクは持ってきたランプに火をつけた。牢屋の中には備え付けの明かりがあるが、それは極力使いたくない。イドレは善人ぶるなと言っていたが、こちらの幻晶げんしょうの正体を知ってしまった今となっては使う気になれない。

 エルクはランプを床に置き、寝台に腰かけた。今更ながらに震えだす両手を握り合わせる。

(……死ぬかと思った)

 三十二年生きてきて、他人に刃物を突き付けられたのは初めてのことだ。護身術程度に武器の扱いは学んだが、学生のころから研究一辺倒で、喧嘩など荒っぽいことには無縁の生活だった。

 エルクを殺せば生産ラインは二度と動かなくなるというのは、誇張もいいところだ。生体認証を利用してシステムにロックをかけたから、解除にはとても苦労するだろうが、外せないことはない。もしくは、システム自体を一旦破棄して一から構築しなおせばいい。時間稼ぎにしかならないが、何もしないよりはいいだろう。

(幻晶がなければ少佐の武器も使えないだろうし……)

 イドレが持っていたのは、局長が開発した特殊武器だろう。何種類か作られているらしいが、まだ試作段階で、局長直属の特務隊にしか支給されていないという。イドレの剣は刀身を囲むようにのこぎりのような細かな刃がついた、不思議な形状をしていた。エルクは初めて見る武器だ。

 あの局長のことだ、今回イドレに持たせたのは、実戦に投入できるかの実験も兼ねているに違いない。そのために、わざわざ特務隊の人間を自分の名代として視察に寄越したのかもしれない。

 そこまで考えてイドレの言葉を思い出し、エルクは片手で顔を覆った。

(まさか、局長がこちらでも自律機兵オートマータを使う気でいたなんて)

 なぜ自分が突然、要塞付属研究所の所長に任命されたのか―――それも、アルドラが落ちた直後に―――謎だった。左遷なのか栄転なのかよくわからない人事に、同僚たちも困惑していた。だが、自律機兵の実装のためだとすれば納得できる。局長は、帝国の外で自律機兵の運用試験をしたいのだろう。ゆくゆくは、残る神擁七国しんようななこくの侵略へ投入するつもりなのかもしれない。

 あれは失敗作だという言葉に嘘はない。簡単な命令しか理解できず、融通も利かない。殺せと命じれば、植物、動物、人間などという種別に関係なく、停止命令があるか自分が壊れるまで、生命反応を潰し続ける。当然、敵味方の区別もできない。そんなものを実際に使ったらどうなるか、火を見るよりも明らかだ。そして、燃費が恐ろしく悪い。既に帝都で使われているというのは、エルクを揺さ振るための嘘であってほしい。

(少佐たちが引き揚げたら、一度帝都に……しかし、帰還が許されるか?)

 エルクは溜息をつきながら頭を抱える。局長を説き伏せる方法を考えなくてはならない。



     *     *     *



 ディゼルトは一人、森の中を進んでいた。

 どれくらいの距離があるのかわからないので走ることはしない。息が上がるぎりぎりの速度で先を急ぐ。

 アルクスが帝国の拠点に辿り着く前に、なんとしても連れ戻さなければならない。どうしても気がはやるが、焦るなと己に言い聞かせる。

(まさか、薬を盛るなんて……)

 アルクスの頑固さを甘く見ていた。急に聞き分けがよくなったのは、ディゼルトが酷いことを言って傷つけてしまったのもあるだろうが、ディゼルトを眠らせるための薬をスープに混ぜる隙を作るためでもあったらしい。

 村を出るための最低限の支度を終えて、アルクスが準備した夕食を食べたことは覚えている。その後、突如として抗えない眠気に襲われ、ディゼルトは意識を失った。

 目を覚ましたとき、鍋に残ったスープがまだ温かかったので、眠っていたのは短時間のはずだ。しかし、アルクスの姿も荷物も消えていた。薬のせいか、頭痛が酷い。ディゼルトの体力が落ちているため、効き過ぎたのかもしれない。

 スープの味に異常はなかった。おそらくアルクスが使ったのは、マーサたちと共にフィアルカが摘んだという薬草だ。フィアルカは薬草を摘んできては、料理に使ったり、乾燥させてお茶にしたり、調合して薬を作ったりしていた。よく眠れるからと、就寝前に度々お茶を淹れてくれたし、アルクスもたまにその手伝いをしていたから、どれが不眠に効くお茶なのか、その効果や用量も含めて知っていたのだろう。そして、ディゼルトを眠らせることを思いついた。

(思いついたとしても、実行に移すか? 昔から、変なところで思い切りのいい……いや、小言は無事に連れ戻してからだ)

 幸い、アルクスは歩いた痕跡を消すところまで思い至っていない。森の中のことだ、道なき道を行けば確実に跡が残る。それを読む限り、アルクスは視界の悪い中を正確に北東へ向かって突き進んでいた。彼に森の歩き方を教えたのはディゼルトなので、少々複雑になる。普段なら褒めるところだが、今は状況が状況だ。呑気なことを言っている場合ではない。

 空はすでに白み始め、夜明けが近い。不意に視界が開けてディゼルトは足を止めた。すぐ先が崖になっている。二階の屋根ほどだろうか、あまり高さはないが、切り立っているので降りるとなると少々骨が折れそうだ。

(……あれか)

 遠くに監視塔と思しき背の高い建物と、要塞のような施設が見える。あれが帝国軍の基地に違いない。このままの速度で向かえば二、三時間といったところだろう。

 アルドラとミルザム間の国境はうに越えた。早くアルクスを捉まえなければならない。足は自分の方が速いので、すぐに追いつくだろうとディゼルトは高をくくっていたのだが、基地が見える場所まできてしまった。

 崖の端から身を乗り出して下に目を凝らす。何箇所か枝が折れていて、どうやらアルクスはここを降りて真っ直ぐ進んでいるらしい。

(たしかに理論上は直線距離が最短だが……)

 迂回するなり戻るなり、もう少し進みやすい道を探せと、小言を言いたくなる。真っ直ぐで正直なのはアルクスのいいところだが、もう少し考えて動くことを学んでほしい。

 胸中で小言を並べながら降り易そうなルートを探していると、背後に不穏な気配を感じてディゼルトは振り返った。やがて、低い唸り声と共に茂みが揺れて獣が姿を現した。

(……牙狼ファングウルフ

 その名の通り、見た目は大型の狼だが、上下の牙が異様に発達しており、その凶暴な性質から、危険種に分類されている。

 面倒な、とディゼルトは胸中で舌打ちした。数は五頭。相手をしている暇はないが、背を向けたら襲い掛かってくるだろう。

 剣のつかに手をかけ、後退あとずさりしながら崖をうかがう。飛び降りられない高さではない。目眩ましをして降りてしまおうか迷っていると、視界の端で何かが光った。

(今のは……!)

 ディゼルトは息を飲み、肩越しに振り返った。下の森でもう一度白い光が閃き、あれはアルクスの魔法だと確信する。おそらく、危険種と遭遇したのだろう。帝国軍は基地周辺の害獣駆除などは行っていないらしい。

(獣ならいいが、帝国兵だったとしたら)

 迷っている場合ではない。牙狼はじりじりと囲みを狭めてきている。ディゼルトは牙狼に向き直り、左手を頭上に掲げた。

「ダエグ・ダエス・ウル!」

 ディゼルトにアルクスたちのような「力」はない。魔法の発動には詠唱と契機が必要だ。掲げた左手に光をつかみ、牙狼の足元に叩き付ける。閃光が炸裂する前に身を翻し、ディゼルトは地面を蹴った。

「ティール・ティース・ユル!」

 枝が密集している場所を狙って飛び込む。枝を折ることで勢いを殺してディゼルトは茂みの中に落ちた。衝撃をやり過ごし、立ち上がる。先を急がねばならない。

「……?」

 邪魔な枝葉を払い、左手首に痛みを感じてディゼルトは眉をひそめた。見れば、服と手袋の隙間、肌が露出している部分に擦り傷ができている。ごく浅いものだが、薄っすらと血が滲んでいた。

(何故……)

 怪我をしては本末転倒なので防御魔法を使ったはずだ。擦り傷以外に怪我は見当たらないから、間違いなく発動している。一部だけ薄かったのだろうかと考え、そんなことがあるだろうかと首を捻る。

(動揺しているのか、俺は)

 本来ならあり得ない現象を引き起こすのだから、魔法には高い集中力と強く想見することが必要だ。

 ディゼルトとてそれなりに訓練は受けているが、今の自分は冷静とは言い難い。頭痛も、痛みの波があって今は随分軽くなったが、完全には治まらない。

 なんにせよ、これくらいの傷はなんの妨げにもならない。気を取り直し、ディゼルトは先を急いだ。

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