第一章 10
10
昨夜に続いて今朝も食事が出された。今日の食事を運んできた兵士はフィアルカたちに興味がないようで、一言も口をきかずに食事だけ置いて行ってしまった。正直、話しかけられても困るので、無視してくれた方が気が楽だ。
フィアルカとライラ、エミリアの三人は、ぼそぼそと食事を口に運んでいた。食欲がないという二人を、薬などは混ぜられていない、食べなければ体力が落ちていざ逃げようとしたときに動けなくなるなどと説き伏せた。フィアルカとて食欲があるわけではないが、体力は気力に通じ、逆もまた
(昨夜だけでなく今朝も食事が出されたということは、やっぱり今すぐには殺されないはず。わたしたちに何かさせたいことがあるのかしら……)
人手不足ならば閉じ込めたりせずに、手の足りない場所へ連れていかれそうなものだ。ならば、昨日の兵士も言っていた「燃料」のほうかと思うが、その意味するところはフィアルカにはわからない。あるいは、帝国には人間を生きたまま「燃料」にする悪夢のような技術があるのかもしれない。
「……アちゃん。フィーアちゃん」
ライラに目の前で手を振られ、フィアルカは我に返った。
「え? ごめんなさい、何かしら」
「急に固まっちゃったから、どうしたのかと思って」
「なんでもないわ、ちょっとぼんやりしちゃって。……あんまり美味しくないわね」
フィアルカは苦笑しつつ話を変えた。実際、出された食事は今まで食べたどんなものよりも不味い。
硬パンはともかく、ポタージュとも粥ともつかない、妙にどろりとしたスープが酷い。元の食材が何だったのか見当も付かないほどぐずぐずになっている。味や見た目や食感を度外視して、吸収効率だけを考えたらこうなるかもしれないという代物である。とはいえ、
こんなものを毎日毎食口にしているのだとしたら、帝国兵が少々気の毒になる。料理が好きなフィアルカとしては、献立や調理法をかなぐり捨てたこれを料理と呼びたくない。食材への冒涜だ。だから戦争をしたくなるのかもしれないと、半ば本気で考える。
見た目と味はともかく、お腹の足しにはなるので、なんとか食べ切ろうとスプーンの先を沈めたとき、ズズン、と揺れを感じてフィアルカは息を飲んだ。
(……嘘)
ライラとエミリアは不安げに周囲を見回している。
「やだ、地震?」
「それにしては音が向こうから聞こえたような……フィーアちゃん、大丈夫?」
フィアルカの様子に気付いたらしいエミリアに応える余裕はなかった。
(そんな……アル……!?)
フィアルカとアルクスは同種の「力」を持っている。それが、王族でも貴族でも、ましてや光国アルドラの出でもないフィアルカが、アルクスの侍女として傍に置いてもらえる唯一の理由だ。その「力」を使えば、ある程度の距離までならお互いの居場所が漠然とわかる。今の揺れは地震などではなく、アルクスの「力」によるものだ。
(……いいえ、そんなはずないわ)
反射的に考えてしまったことを打ち消す。揺れの原因は爆発か何かで、今の状況を不安に思うあまり、アルクスの「力」だと錯覚してしまったのだ。アルクスがこの近くにいるということよりも、そのほうがよほど納得できる。
(そうよ、こんなところにアルがいるはずが……)
しかし再び、今度は立て続けに揺れる。爆音のような音も、先程よりも近い気がする。そしてやはり、紛うことなくアルクスの「力」だ。
(……どうして)
問いの答えはわかりきっている。フィアルカたちを助け出すためだ。そんなことをしている場合ではないだろうと、フィアルカはスプーンを握り締める。
ディゼルトが共にいるのだから、アルクスを引き摺ってでもシェリアークへ向かってくれると考えていた。見通しが甘かったらしい。
(ゼロ様もご一緒なのかしら……?)
ディゼルトがそう簡単に
更に何度か揺れ―――爆発が続き、フィアルカはたまらず立ち上がった。二人が驚いた様子で見上げてくる。
「ど、どうしたのフィーアちゃん」
「真っ青よ、大丈夫? 具合が悪いの?」
説明しようと口を開きかけたとき、けたたましい音が鳴り響いた。巨鳥の鳴き声のような耳障りな音が断続的に鳴り、三人はたまらず耳を押さえた。
「うるさ……!」
「何の音!?」
「なんなの!?」
『東ゲートに敵襲! 総員戦闘配備! 繰り返す! 東ゲートに敵襲! 総員戦闘配備! これは訓練ではない!』
音の合間に人の声が聞こえて、フィアルカは目を見張った。どういう理屈か、離れた場所の声を伝えることができるらしい。拡声魔法のようなものかもしれない。煩い音も同じ仕掛けを使っているのだろう。
ライラとエミリアも戸惑ったように立ち上がる。
「敵……帝国の敵ってことは、あたしたちの味方なのかな?」
「誰かが助けにきてくれたのかも……」
突然の「敵襲」で基地内は混乱している。「東ゲート」とやらに兵士が応戦に向かえば、他の場所は手薄になるはずだ。アルクス一人で、あるいはディゼルトと二人だとしても、基地内をあてどなく
(……しっかりしなければ)
迷いを振り切り、フィアルカは腹を括った。
「ライラちゃん、エミリアちゃん」
呼べば、二人は不思議そうにフィアルカを見た。訊き返される前に続ける。
「今のうちに逃げましょう」
エミリアと顔を見合わせてからライラが言う。
「逃げるって、どうやって? 部屋から出られないのに」
「扉はわたしがなんとかするわ。二人とも、魔法は使えるわよね」
「ええ、少しなら……」
「わたしも、少し」
首肯する二人に頷き返し、フィアルカはライラとエミリアを浴室へ追い立てた。
「ここに隠れていて」
「隠れていてって……どうするの、フィーアちゃん」
「出入口の扉を壊すわ」
「壊す!?」
「そんなことできるの?」
「ええ。でも、危ないから、こちらに」
ライラとエミリアは迷っていたようだったが、フィアルカが強引に背を押すと、二人とも浴室へ入ってくれた。
「気を付けてね、フィーアちゃん」
「ありがとう。終わったら呼ぶわね」
扉を閉めて、フィアルカは廊下と繋がる扉へ向かう。張り付くようにして外の様子を窺うと、足音が幾つか遠ざかっていくところだった。息を殺してしばらく待ち、廊下に人気がなくなってから離れる。指先で扉に触れて魔法を使おうとするが、やはり魔力が集まらない。ためしに小さな炎を放ってみると、扉に触れる直前で掻き消えた。
(どういう仕組みなのかしら……)
首をかしげ、フィアルカはテーブルから燭台を持ってきて、扉を殴りつけた。金属の扉が少しだけへこむ。魔力を散らすような加工がなされているようだが、強度はないらしい。手前で大きな爆発を起こし、爆風で吹き飛ばすことならできそうだ。
巻き込まれないよう、扉を覆う半球状の見えない壁を作り出す。その壁を隔てて魔力を凝縮しようとして、フィアルカは小さく喉を鳴らした。伸ばした手が震える。
(大丈夫……大丈夫よ)
大きな「力」を振るうことへの恐怖を捻じ伏せる。
「……大丈夫」
口に出すことで己に言い聞かせ、フィアルカは両手を組み合わせた。目を閉じる。脳裏に蘇りそうになる光景を追い出し、巨大な炎の塊を拳大まで縮める様子を思い浮かべる。
「―――…っ!」
目を開けると同時に組み合わせていた両手を解いて前に突き出すと、凝縮されて光のようになった炎が炸裂した。
見えない障壁に阻まれ指向性を持った閃光と爆風が、金属の扉を紙のようにひしゃげさせて吹っ飛ばす。廊下の壁にぶつかった扉が大きな音を立て、フィアルカは思わず首を竦めた。そして、不意にこみ上げた吐き気に両手で口元を押さえる。
「う……」
視界が狭まり、冷や汗が噴き出る。胃が絞られ、今しがた食べたものを全部吐き出してしまいそうだ。大きな「力」を使うことに、身体が拒否を示している。
(大丈夫……大丈夫だから……)
身体を折り、衝動をやり過ごす。幼いころに根付いた恐怖は未だ消えてくれない。
深呼吸を繰り返し、どうにか気持ちを落ち着けていると、音に驚いたか、ライラとエミリアが浴室から飛び出してきた。
「フィーアちゃん、大丈夫!?」
「なんか凄い音がした……わ……」
扉が吹き飛び、周囲の壁や床が変形しているのに気付いたエミリアは言葉を途切れさせた。ライラもぽかんと口と目を開く。
「これ……フィーアちゃんが……?」
「凄い……けど、さっきよりも顔色が悪いわよ、本当に大丈夫?」
心配そうに背中をさすってくれるライラになんとか頷き返し、フィアルカはまっすぐ立った。覚悟していた
「大丈夫。さあ、今のうちよ。行きましょう」
「で、でも……」
「早くしないと兵士が集まってきてしまうわ。さ、早く」
フィアルカは二人を促して廊下へ出た。物陰に隠れるようにして進む。早くアルクスを見つけなければならない。
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