第一章 14

 14


 無人の部屋に隠れて兵士をやり過ごし、扉近くの壁に耳をつけて廊下の様子を窺う。

(……行ったかな)

 この建物の扉は殆どが横開きで、どういう仕掛けになっているのか、物によっては近付いただけで開いてしまうものもある。今、隠れている部屋の扉もそうで、扉の前に立つことができない。

 人気がないのを確認して、アルクスは廊下に出た。なるべく足音を立てないようにそろそろと歩き出す。

 さきほどフィアルカの「力」を感知したときは、同じ建物の上階だった。それで二階に上がろうと階段を探しているのだが、なかなか見つからない。警備兵に遭遇しそうになる度に戻ったり隠れたりして思うように進めないのもあって、焦りが募るのを止められない。そうでなくとも、フィアルカはライラとエミリアを連れているのだ。

(早く合流しないと……)

 廊下の先は丁字路になっており、アルクスは左右に首を巡らせる。突き当りの正面には窓があるが、隣の建物の壁しか見えない。

 どちらに進むか迷っていると、不意に左手側から足音が聞こえた。振り返れば、廊下の先の角から人影が出てくる。向こうも戸惑ったようで、足を止めてアルクスと後続の兵士とを交互に見た。

「あっ……え!? あれか?」

「あいつだ! いたぞ!」

 アルクスは瞠目し、咄嗟に光球を投げつけた。

(まずい!)

 選択肢はなくなった。炸裂する閃光に背を向け、アルクスは右へ向かいながら更に光球を放る。

「うわっ!」

「くっそ、またかよ!」

「あのクソガキ!」

 兵士の視界が戻らないうちに、剣の柄を叩き付けて窓を割る。あわよくば、窓から逃げたと思って欲しい。

 一旦ここから離れなければと、廊下を走る。足音に構っている余裕はない。

 不幸中の幸いなのは、なぜか兵士たちの動きに統一性がないことだ。指揮系統が混乱しているのか、指揮官が複数いるのか、追いかけてくる兵士と要所を守る兵士がまったく連携が取れていない。様子を見る限り、情報が共有されているのかどうかも怪しい。

 おかげでアルクスは辛うじて逃げおおせているのだが、兵士の動きがここまでバラバラだと、自分という侵入者の他にも混乱の要因があるのではないかと思えてくる。

(フィーアたちが逃げたのがばれたとか……それにしたって、もう少しまとまった動きをするよね)

 廊下を走り、人気のない方へ向かう。完全に兵士の気配がなくなってから、アルクスは速度を緩めた。じりじりと壁伝いに歩きながら息を整える。

(一回どこかに隠れたいけど……)

 都合よく隠れられるような場所があるだろうかと周囲を見回しながら進んでいくと、壁が突然開いた―――壁自体が動いたように、アルクスには思えた。

「!?」

 息を飲んで飛びのく寸前、伸びてきた何者かの手がアルクスの腕をつかんだ。


     *     *     *


 ピピ、と時計が小さな音を立てる。

「はーい、時間です。そうですね? ジークデン大佐」

 イドレは確認しただけなのだが、ミルザム南方国境要塞の総司令であるジークデンは、苦虫を噛み潰すを通り越して頬張ったような顔をした。

「分をわきまえるがいい、ニーズルヤード特務少佐。貴殿が邪魔をしなければ鼠一匹程度、五分もかからず炙り出せたのだ」

「おや、邪魔とは人聞きが悪い。僕は僕にできることを精一杯やっただけですよ。まあ、結果として鼠は捕まえられませんでしたけど。金色の、ね」

 侵入者は金髪の少年だという。おそらく単独で、目的は不明。目晦めくらましの光の魔法をばらまきながら逃げており、見つけても魔法のせいですぐに見失うのだという。こちらの感覚としては、閃光手榴弾を無限に投げてくるようなものだ。つくづく魔法というものは厄介であることこの上ない。

(ずるいよね、こっちは銃弾にしろ燃料にしろ物資に限りがあるっていうのにさ)

 この要塞は魔人や魔女が暴れないように、晄彩こうさいを散らす物質を含んだ塗料が使われている。「遮晄しゃこう」と名付けられたそれは晄彩研究の副産物で、晄彩を寄せ付けない性質を持つ。そのおかげで建物を魔法で直接破壊することは不可能だが、魔法の行使まで封じることはできない。現に、捕らえていた三人の少女が、扉を破って逃げ出したと報告があった。小娘ばかりだとあなどっていたのだろうが、三人の中に少なくとも一人は、扉に魔法を当てることなく、爆風や衝撃波の類で破壊できるほどの魔女がいる。

 少女たちの行方も未だ掴めていない。そちらはイドレ側では一切手を出していないので、ジークデンの指揮能力の低さに同情すら覚える。

「ぬけぬけと。貴殿はあの人形を使いだけであろう」

「心外ですね。それと、人形ではなく自律機兵オートマータです。局長から試運転の指示がありましたから、こちらでも動くのかためさないと。テストもできて侵入者も撃退できる、一石二鳥です」

 隠しもせずに舌打ちをするジークデンに笑顔を向け、イドレは続ける。

「というわけで、僕は作戦に移ります」

「待て、特務少佐。作戦とはなんだ? 私は聞いていないが」

「は? 何故大佐に報告しなければならないのです?」

「私はこの要塞の司令だ! いくら開発局長の名代といえど、勝手は許さん!」

 ジークデンはたまりかねたように机を叩き、声を荒げた。他の兵士はびくりと竦むが、しかし、イドレはやかましく思うだけである。更に騒がしくなりそうなので口には出さない。

「さっきも聞きましたよ、それ。だから、三十分待ったんじゃないですか。三十分もあって捕まえられなかったんだから、他の手段を講じないと駄目ですよね?」

「だから、それは」

「大丈夫、お任せください。既にいくつか立案してあります。大佐はお茶でもいかがです? 淹れて差し上げますよ。適切な休憩は仕事の効率を上げますからね」

「もういい、黙れ!」

「では、失敬」

 ジークデンの声は聞かず、イドレは踵を返してジークデンの執務室を出た。共にいた各分隊長がついてくる。

「第四分隊は僕と一緒においで。他の者は手筈通りに」

「最終ポイントはどちらになさいますか」

 代表するように言う第一分隊長を、イドレは肩越しに振り返った。

「そうだね、工場にしようか。主任の様子じゃ、結局エルメル所長にしか再起動できなそうだしね。動かない工場なら多少壊れてもいいでしょ。幻晶は他の拠点から融通してもらおう」

「承知しました。作戦に移ります」

 第四分隊以外の分隊長たちは足早に兵士の待機場所へと向かっていった。イドレは足取りも軽く格納庫へ向かう。

「こんなに早く機会がくるなんて、侵入者の金鼠きんねずくんには感謝しないと。エルメル所長にも見せてあげようか? 喜ぶだろうね、何せ生みの親なんだから。君、ちょっと呼んできてくれない? 僕は格納庫で待ってるよ」

「はっ」

 短く返事をして第四分隊長は駆け戻っていった。イドレは一人、くつくつと笑う。

「局長が改良した自律機兵、どれだけ壊してくれるかな」

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