第一章 15

 15


「そのフード、邪魔ではないですか」

 そのまま歩いては不審がられるからと、貸された白い上着―――白衣というらしい―――を羽織ったら、エルクに言われた。彼の言わんとしていることはわかったが、ディゼルトとしては髪を衆目に晒すのはどうしても抵抗がある。城の外でもそれは変わらない。

「……邪魔ではない」

「……そうですか」

 無理に脱がせようとはせず、エルクはそれだけ言って視線を逸らした。眼鏡を押し上げる。

「まあ、剣を背負っているほうが目立つのですが……」

 何を言われてもこの剣を手放すつもりがないディゼルトは、聞こえないふりで流した。アルドラ国王リュングダールから下賜かしされた聖剣ルアハ・ゼアルは、アルクスの次に大事なものだ。

「頭が痛いのですか?」

 尋ねられて、ディゼルトは無意識に額を押さえていた手を下ろした。応える前に、エルクは机の抽斗ひきだしを探る。

「頭痛薬ありますけど、飲みます?」

 言いながら差し出されたのは、何やら透明な膜に包まれた、小指の先程の白い粒だった。頭痛は続いていたが、得体の知れないものを口にする気にはなれず、ディゼルトはかぶりを振った。

「……要らない」

 強要しようとはせず、エルクは一つ頷いて白い粒を抽斗に戻す。

「そうですか。では、行きましょう。部屋から出られたのなら出口を探すはずですから、その付近を捜せば見つかるかもしれません」

 エルクが研究員たちから得た情報だけでは、フィーアたちの居場所はわからなかった。

 正確には、彼女たちが閉じ込められていた部屋から脱出した後で、誰も行方を知らなかった。上手く身を隠しながら逃げているらしい。だが、砦の外に出たという話もないので、まだ砦内にはいるのだろう。三人が再び捕らえられる前に見つけ出さねばならないし、同じく三人を捜しているであろうアルクスとも合流せねばならない。

 侵入者として追われている金髪の少年も、攫われてきた少女たちも、ディゼルトの知り合いだと説明してある。エルクは何も詮索せず、それならば少年も一緒に逃げなければ、と告げた。

(物わかりの良さが不気味だ……)

 エルクの言葉を信じるならば、彼はこの砦付属の研究所の長で、帝国の人間だ。なのに敵国の人間であるディゼルトの手助けをして、女の子たちもアルクスも逃がそうとする理由がわからない。不審人物を全員集めたところで一網打尽にすると言われた方がまだ納得できる。

 顔に出てしまったか、エルクは複雑そうな表情浮かべた。

「私は……、科学者ですから」

「カガ、クシャ?」

「ああ……ええと、科学を説明するとなると難しいのですが……学問の一分野と思っていただければ。この世界を構成している様々な事柄を、人間に理解できるように定義づけるというか、解き明かすというか……」

「随分と傲慢な学問だな」

 思ったことを率直に述べれば、エルクは一瞬固まった後に声を立てて笑った。

「ははは、そうですね、科学者はみんな傲慢なんですよ。―――と言うと、全科学者に怒られそうですが。まあ、研究者くらいに思っていただければ」

「研究って、何の?」

「私の専門は、皆が平等に使える魔法のようなものを、作り出す技術や理論です。魔法は生まれつきで、使える人と使えない人がいますから」

 ディゼルトは首を傾けた。

「敵を助ける理由にならないが」

「そんなことはありませんよ。科学は人を助け、豊かにするものでなければなりません。ですが、私の創り出したもので、たくさんの命を奪ってしまいました。ですから、助けられる命があるのなら助けたい。罪滅ぼしにもなりませんが……」

「あんたが殺したわけじゃないだろ」

「殺したも同然です」

 何を言っているのだかと、ディゼルトは小さく鼻を鳴らす。それは自分の手を汚したことのない者の台詞だ。

「道具が殺すんじゃない、人間が殺すんだ。あんたの理論だと武器屋の殆どが人殺しになるだろうが」

 エルクは驚いた様子で目を見開き、ディゼルトをまじまじと見た。やがて、落ちてもいない眼鏡を押し上げ、気を取り直したように口を開く。

「行きましょうか。早く女の子たちを見つけないと」

「……ああ」

 頷き、ディゼルトはエルクを追って廊下に出た。

 今二人がいるのは、研究員の居住区にあるエルクの私室である。付属研究所に勤務している研究員は、ここで生活しているのだという。窓は小さく、狭い部屋の壁や床は変化に乏しい灰白色で、ここで暮らすと考えただけでディゼルトは憂鬱になる。

 似たような造りの場所を、迷いのない足取りで歩いていたエルクが振り返った。しかし、口を開きかけた彼が何かを言うよりも早く、妙な声が降ってくる。

『……―――…ってるの? これで?』

「!?」

 ディゼルトは咄嗟に天井を仰いだ。何の姿も見えないが、今の声は明らかに上から、それもかなり近くから聞こえた。

「どうしました?」

「今、声が」

「ああ、放送です」

「ホウソウ?」

「機械で、建物内の一定の範囲に音や声を届けることができます。天井に丸い網のようなものがあるでしょう? あそこから声が出ています」

 エルクの指さす先には、確かに円形の目の細かい網が取り付けられていた。そこから声が出ているなど俄かには信じがたいが、拡声魔法のようなものだろうかと、ディゼルトは無理矢理納得することにした。「放送」とやらの声は続く。

『あー、あー、テステス。大体の人は初めまして。技術研究局直属特務隊所属、イドレ・ニーズルヤード特務少佐でーす』

 場違いに明るい調子の声に、ディゼルトは眉をひそめる。声からして、若い男のようだ。

『業務連絡、業務連絡。エルメル所長、至急工場まできてください。エルメル所長、至急工場まできてください。そしたら研究員の安全は保障するよ』

 始まったのと同じ唐突さで声は途切れた。足を止めたエルクは青褪あおざめた顔でディゼルトを見る。

「すみません……行かなくては」

「どう考えても罠だろ。待ち構えてるに決まってる」

「ですが、研究員の誰かが捕まって」

「人質なら、あんたが行くまでは無事ってことだ。嘘かもしれないしな。―――工場はどこにある?」

「向こうです。そこの窓から見えます」

 エルクの示す腰高の窓から外を見ると、少し離れた場所にそれらしき建物が見えた。ここは二階なので、いっそ窓から出た方が早いのではないだろうかと考えていると、突然轟音と共に工場の壁が弾け飛び、ディゼルトは目を見開く。

「な……」

 壊れた壁から、土煙に紛れて人影のようなものが見えた。しかし、人間にしては明らかに大きすぎる。

 音に驚いたか、ディゼルトの横から窓をのぞき込んだエルクが息を飲んで窓に張り付いた。

「あれは……!」

「知ってるのか?」

自律機兵オートマータです……まさか、持ってきているなんて!」

「オート……? なんだそれは」

「誰かが操作しないでも、絡繰り仕掛けで動く人形のようなものです。一度動き出してしまえば、止まれという命令がない限り、命令を完遂するか自分が壊れるまで止まりません」

「なんだってそんな……」

 物騒なものを、と言いかけたとき、人影を浮かび上がらせるように光が閃き、ディゼルトは言葉を途切れさせた。炎の切れ端も見えて、アルクスとフィアルカがあの場にいると確信する。

「アル……!」

「アル?」

 聞き返すエルクには応えず、ディゼルトは窓を開けようとした。しかし、上下にも横にも動かない。いっそ割ろうかと拳を振り上げたとき、エルクが慌てたようにディゼルトの腕を引いた。

「待って! 開けます!」

 エルクは鍵を外して窓を開く。扉と同じく横開きだったらしい。

 ディゼルトは窓を全開にすると、窓枠に片足をかけ、迷うことなく宙に身を躍らせた。

「ゼロ!」

 着地し、悲鳴のような声に肩越しに見上げると、エルクが信じられないというふうにかぶりを振っている。

「なんてことを!」

「あんたは出入口を使え!」

 アルクスが見つかったというのに―――そしておそらく危機に瀕しているというのに、こんなところでぐずぐずしている暇はない。

 しかし、駆け出そうとしたところで、

「痛たっ!」

 エルクの声が聞こえてディゼルトは振り返った。彼も飛び降りたらしい。

 地面につくばるようにしているのを放っておくこともできず、ディゼルトはエルクを助け起こした。

「無茶するな」

「あなたほどではありません」

 痛そうに両手を擦り合わせているエルクに、跳んだ拍子に外れてしまったらしい眼鏡を拾ってやり、ディゼルトは今度こそ工場へ向かって走り出した。



     *     *     *



 少し前。

「放せ……!」

「待って! わたしよ、アル!」

 反射的にだろう、掴まれていない方の手を振り上げたアルクスへ、フィアルカは咄嗟にしがみついた。

「え……フィーア!?」

 驚いたのか力が緩んだところを部屋の中に引っ張り込み、急いで扉を閉める。振り返れば、勢い余って尻もちをついてしまったらしいアルクスが、ぽかんとフィアルカを見上げていた。そして、弾かれたように立ち上がる。

「フィーア……よかっ、あ痛た!」

「気を付けて、ここは天井が低いの」

 アルクスは腰を屈めながら頭をさすった。

「痛って……でも、無事でよかった。ねえちゃんたちは?」

「ライラちゃんもエミリアちゃんも大丈夫」

 言いながら、横で明かりを囲むようにしゃがんでいる二人を示した。ライラとエミリアはアルクスへ向かって小さく手を振る。

「ライラねえちゃん、エミリアねえちゃん、大丈夫?」

「ええ。アルくんこそ、よく無事で」

「ありがとう、アルくん」

「ううん。そうだ、マーサねえちゃんも無事だよ。ちゃんと村に帰ってきた」

 マーサのことを聞き、フィアルカはライラとエミリアを見た。二人も同じように顔を見合わせて、安堵した様子で息をつく。砦に連れてこられてから口にこそ出さなかったが、一人残されたマーサを三人とも案じていた。

 アルクスは中腰のまま周囲を見回す。

「ここって、部屋? どういう場所なんだ? 壁がいきなり開いたみたいに見えたけど」

 この建物は、壁の内側に管や硬い紐のようなものが何本も通してあるらしく、点検のためなのか壁を切り取っただけのような扉がしばしばある。ライラが遠視とおみの魔法でそれを見つけ、フィアルカが鍵を焼き切って中に隠れながらここまできた。アルクスがここの外を通過する瞬間がわかったのも、彼女のおかげだ。

 説明するとアルクスは納得した様子で頷いたが、すぐに首を傾ける。

「ライラねえちゃんには、ずっとおれが見えてたってこと?」

「ううん、ずっとは見ていられないの。わたしがられるのは近くを短い間だけ。アルくんを見つけられて、運がよかったわ」

「そうだったんだ。ありがとう、ライラねえちゃん」

 アルクスを見つけられたことの説明が上手く付いて、フィアルカは内心、胸を撫で下ろした。実際は、アルクスが「力」を使いながら移動していたので居場所が分かり、通りそうな場所に先回りして隠れていたのだが、そのことはライラとエミリアには伝えていない。

 アルクスとフィアルカの「力」は特殊なものだ。できることなら、あまり知られたくない。

 フィアルカの胸中を知ってか知らずか、アルクスは首を傾けて言う。

「どうやって抜け出そう」

「アル、砦の外に出られる場所はわかる?」

「うん、わかる。ここからはちょっと離れてるけど」

「この壁裏の通路、途切れ途切れだけれど主要な場所には繋がっているみたいなの」

 そのこともライラが視てくれた。だが、そのせいで随分消耗させてしまった。これ以上無理はさせたくない。脱出に成功しても、そのあと村まで帰らねばならないのだ。

「できるだけ出口の近くまで裏側を通って行きましょう。あとは……」

「おれが守る。無事に帰ろう。絶対誰も死なせない」

 強い口調で遮られて、フィアルカは少しだけ目をみはった。拳を握りしめたアルクスは思い詰めたような顔をしていて、胸がざわつく。アルクスが一人だというのはライラが視たのでわかっていた。ではディゼルトはどうしているのだろうと、急に気にかかる。

「……アル、あのね」

「行こう。壁の中でも同じところにいると見つかるかも」

「え、ええ……そうね」

 フィアルカは言いかけたことを飲み込んで頷いた。もしアルクスを追ってきていたとしても、ディゼルトなら、一人でもきっと大丈夫だと思うことにする。

(アルは、どうやってゼロ様を置いてきたのかしら)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る