第一章 13

 13


(フィーアたちが捕まっているのだとしたら、地下だろうか)

 砦に入る前のアルクスを見つけることができた。しかし、ディゼルトが捉まえる前にアルクスは、陽動のためだろう、魔法を放って爆発を起こし、騒ぎと土煙に紛れて見失ってしまった。

 ここまできてアルクスが引き返すことはないに違いない。侵入すれば、フィアルカたちが囚われている場所を目指すはずだ。そう考え、ディゼルトは砦内を進んでいた。けたたましく鳴り響いていた音はしばらく前に止み、今は不思議に静かだ。

 潜入自体は、アルクスの陽動のおかげで楽だった。問題は、当然ながら帝国が建設した要塞ゆえに、西側大陸の建築の常識が通用しないことだ。建物の外に通気口があったので地下はあるはずだが、そこが牢に使われているかはわからない。だが、他に宛もないので地下への階段を探している。

「……東……集まっ……」

「爆発……魔人が……」

「少佐は中央……」

 人の声が聞こえて、ディゼルトは物陰に身を隠す。息を潜めていると、数人の兵士が慌ただしく走り過ぎて行った。廊下に人気はなく、見張りの姿もない。

(屋内が手薄になっている……)

 外で敵襲らしき爆発があったからといって、そこにばかり兵士を集中しては人が余るだけで意味がない。まだ指揮系統が混乱しているのかもしれないが、だとしてもお粗末すぎる。

 装飾や調度品は一切なく、たまに窓がある以外は無機質な金属の壁と扉ばかりなので、同じ場所を回っているような錯覚に陥る。辛うじて扉に書いてある番号が違ったり、張り付けてある板の色が違ったりするので、どうにか迷わずに済んでいるが、油断するとわからなくなってしまいそうだ。

(これは……階段?)

 廊下の角、ディゼルトの胸くらいの高さに矢印と段差のような記号が書いてある。矢印の方向を見ると、下り階段があった。様子を探り、動くものはなさそうなので、ディゼルトは静かに階段を降りた。床も硬い素材でできているので、どうしても足音が鳴ってしまう。靴を脱ぐわけにもいかないので、聞きとがめられないよう祈るしかない。

 階段を降り切ると、すぐに右手側に折れていた。天井にぽつりぽつりと青白い明かりがついているが、すべての闇を払うには足りず、薄暗い。廊下は真っ直ぐ奥まで続き、左右には頑丈そうな鉄扉が並んでいる。

 階段のすぐ脇に詰め所と思しき部屋があるが、無人だった。扉の脇に鍵束がかけてあり、不用心すぎだと眉を顰める。罠か、あるいは、ここまで潜入されることを考えていないだけかもしれない。

 なんにせよ鍵は必要なので鍵束を手に取り、ディゼルトは手前の扉をうかがった。

(三人一緒だといいんだが……)

 扉には小窓がついている。しかし房の中は暗く、外からでは中の様子は見えない。足音で外に誰かがいるのはわかっているだろうが、動く気配はなかった。

「―――…」

 声をかけようか束の間迷い、ディゼルトは無言のまま扉を開いてみることにした。フィアルカたちがいればよし、いなくても大人数が入っていることはまずないだろう。一人で対処できる。

 鍵を開け、剣のつかに手をかけながら、ゆっくりと扉を開く。壁に張り付き、内側に開く扉が壁に当たるのを待って中をのぞき込めば、真っ暗だった。

(……いる)

 おそらく一人。物音は全くしないが、廊下の明かりが届かない場所で息を潜めている気配がある。仕掛けてこないということは、向こうもディゼルトを敵なのか味方なのか判断できずにいるのかもしれない。

「誰か……」

 ディゼルトが声を投げると当時に、小さな金属音がした。

「動かないで」

 声は若い男のものだった。目が慣れると、白い服が薄闇に浮かび上がって見える。どうやらディゼルトに向かって銃を構えているらしい。

「そのまま下がっ……え?」

 ディゼルトは返事をせずに身を低くして距離を詰めた。消えたように感じたのだろう、戸惑う声がする。構わず銃を払い落とし、片腕をねじりあげて壁に押し付ける。

「痛っ!」

 制圧は拍子抜けするほど簡単だった。掴んだ腕も抑え込んだ身体も細く、兵士ではないのだろう。だが、地下に一人、武器を持ったまま潜んでいたというのが解せない。囚人なら武器の所持は許されないだろう。

「痛、痛たたた、放してください! 私は兵士ではありません」

「それはわかる。藻掻もがくな、折れるぞ」

 低く告げれば、男は身体をよじるのをやめた。肩越しに恨みがましげな声を投げてくる。

「……何が目的です。ここには私しかいませんよ」

 訊きたいことはいろいろあるが、今はそんな時間はない。

さらわれた女の子たちを取り戻しにきた。それが叶えば無駄に暴れるようなことはしない」

「攫われた……? そんな馬鹿な。いつですか」

「昨日だ。居場所を知っているなら教えろ」

「居場所はわかりません。ですが……」

 男は戸惑った様子でかぶりを振った。

「放してくださいませんか。逃げませんし、抵抗しません。約束します」

「それを信じる根拠がない」

「信じてくれなくても結構ですが、私は、エルク・エルメル。ミルザム南方国境要塞付属研究所の所長です。あなたが何者でも、私と共に行動していれば、いきなり捕まることはありませんよ」

 砦に研究所が併設されていたことも初耳だが、この男が所長だというのにも驚いた。

 ディゼルトが無言でいると、男―――エルクは続ける。

「身分証があります。白衣のポケットです。左の」

 言われるままに左のポケットを探ると、小さな板状のものが入っていた。ところどころ帝国語が遣われており、記号の意味はわからなかったが、親指ほどの大きさの肖像画とともに、ミルザム南方国境要塞付属研究所所長エルク・エルメルと書いてある。肖像画はたしかに、押さえつけている男のもののようだ。

「女の子が攫われたというのが本当なら、私も助けたいんです。工場の生産ラインは止めましたが、いつ再起動されるかわかりません。……こんなことなら、物理的に壊しておけばよかった」

「生産? 再起動? 何の話だ」

 助かりたい一心で適当なことを言い、煙に巻こうとしているのではないかと、ディゼルトは眉を潜めた。エルクは焦れたように身体をよじる。

「説明します。放してください」

「……わかった」

 このままではらちが明かない。もし暴れだしても取り押さえるのは簡単だろうし、本物の所長なら人質に使える。

 とりあえず話だけでもさせてみようと、ディゼルトはエルクの腕を放した。自由になったエルクは大きく息を吐きながらディゼルトを振り返り、痛そうに腕をさする。そして、ずり落ちた眼鏡を押し上げた。

「ありがとう」

「礼を言われる筋合いはないし、あんたを信用したわけじゃない。説明しろ」

 狭い部屋では長剣はつかえてしまうので、ディゼルトはエルクの喉元に短剣を突きつける。それを視線だけで見下ろし、エルクは肩の高さに両手を挙げた。そして、苦笑めいた表情になる。

「よく脅される日ですね」

「は?」

「こちらの話です」

 小さく息をつき、エルクは話し始めた。

幻晶げんしょうというものをご存じですか」

「知らない」

「では、そちらの説明から。―――帝国は、晄彩こうさい……こちらではマナや、魔力と呼ぶのでしたか? それを大地から吸い上げて様々な動力として活用しているのです」

「吸い上げて……そんなことができるのか?」

 魔力は、量の多寡たかはあれ、この世のあらゆるものに含まれている。だが、人為的に吸い出すなど聞いたことがない。そのことを口にすれば、エルクは意外そうに首を傾げた。

「あなたも魔法を使うのでしょう? 考え方はそれと同じです。集めて、変換して、他の現象を起こす。帝国の人間は殆ど魔法を使えませんから、機械を使うわけです。幻晶は機械を動かすための、固形燃料だと思っていただければ」

 帝国のある東大陸には、西大陸の七精しちせいに類するものが存在しないので、それが何か関係しているのかもしれないとエルクは語った。

「理屈はわかった。それが?」

炎国えんこくミルザムを落とした帝国は、こちでも本国と同じように大地から晄彩―――マナを吸い上げようとしました。ですが、こちらの大陸のマナは、帝国のある東大陸のものと少々性質が違うようでして」

「魔力に質の違いなんてあるのか」

「元は同じですが、簡単に言えば、濃いのです。既存の機材では、吸いきれずに壊れてしまいます。そこで、帝国は現地調達を諦めて、本国から幻晶を送ることにしました」

 はじめのうちはそれで足りていた。しかし、ミルザムの支配を強めるに従って、慢性的な幻晶不足に陥った。帝国で生産できる幻晶も無限ではない。そこで、最も効率よく低費用で取り出せるものから生成することにした。

「西大陸の大地から吸い上げるための機材を開発する方向に行けばよかったのですが……手っ取り早く、かつ楽な方へ向かってしまったのです」

 嫌な予感と、半ば確信めいたものを抱いてディゼルトは尋ねた。

「……今は、何から魔力を取り出してるんだ?」

「人間です」

 やはりか、とディゼルトは顔をしかめた。帝国兵の言っていた「人手不足」は、労働力ではなく燃料としてだったのだ。これまでも、ミルザムの人々を犠牲にしてきたに違いない。

「帝国は過去に、あらゆるものからマナを取り出す実験をしていました。最終的に大地から吸い上げるのに落ち着きましたが、最も効率よくマナを取り出せるのは人間だという結果が残っています。局長はそれを参考にしたのでしょう」

「魔力を吸われた人間はどうなる」

「……大抵は死にます」

 無意識に短剣を握る手に力がこもり、切っ先が揺れる。

(人を人とも思わない蛮族め……)

 今ここでエルク一人を殺したところでどうにもならないどころか、おそらく事態は悪化する。

 彼の言葉を信じるのなら、研究所の所長で、工場を止めたと言っていた。ならば、この砦で生産されている幻晶の実態を知り、それが許せなくて止めたのだろう。事情はどうあれ、帝国の意向に背く行為だ。だから地下牢に閉じ込められていたのかもしれない。

「ですから、この要塞の兵士が女の子を攫ってきたのなら、助けたい。機械などなくても生活はできます。誰かを犠牲にしてまで使うものではありません」

 半ば独白のような言葉に、ディゼルトは返事をしなかった。一呼吸迷って短剣を下ろす。するとエルクは安堵したように息をついて両手を下ろした。

「居場所は知っているのか?」

「いいえ。ですが、私が訊けば教えてくれるでしょう。一応、まだ所長ですからね」

 そう上手くいくだろうかと思いながら、ディゼルトは先程払い落としたエルクの銃を拾い上げた。どうしようかと考えていると、

「それはあなたが持っていてください」

 見透かされたように言われて、ディゼルトはエルクを見た。彼は苦笑めいた表情を浮かべる。

「私には撃てませんから」

「なぜ?」

「銃にも幻晶が使われているんです。―――ちょっと失礼」

 エルクはつと手を伸ばし、ディゼルトの手にしている銃の引き金付近に触れた。かちりと小さな音がする。

「暴発しないように安全装置をかけました。ここ、撃つときは外してください。……これが幻晶です」

 エルクの指さす先、握りの上部に人差し指の爪ほどの赤い結晶が埋め込まれている。これが人間から作られていると聞いて、ディゼルトとていい気分はしない。だが、自ら武器を手放すと言うのならと、腰の後ろに挟み込んだ。

「では……ああ、お名前を訊いても?」

「……ゼロ」

 本名を告げるのは躊躇われて、愛称を名乗る。エルクは一つ頷いた。

「ゼロさんですね」

「ゼロでいい」

「そうですか? では、ゼロ。行きましょう。工場が再起動される前に女の子たちを逃がさないと」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る