第三章 8-2

 *     *     *


 ごめん、アルドラ王城にはいられません。今、ここではないどこかにいます。

 アルドラを南北に縦断するかもしれないし、他の国にいるかもしれない。

 本当は、リュングダールが恋しいけれど、でも……今はもう少しだけ、知らないふりをします。

 私が捜しているものも、きっといつか、私を楽しませてくれると思うから。


「あ、の、バ、カ、が、よぉーーーーー!!」

 無駄に詩情にあふれた手紙を握り潰し、ヴォルギスは吠えた。隣にいるセヴランが非難するような視線を向けてくる。

「うるさい、わめくな」

「これが! 喚かずに! いられるかァーーーー!!」

 しわの寄った手紙を突きつけると、セヴランは迷惑そうな表情でそれを払いのけた。

 今朝になって、イドレの姿が消えていた。残されていたのが、ふざけているとしか思えない置き手紙が一枚だけだ。

「黙れ。人が来る」

「来ねえよこんなとこまで」

 特務隊に宛がわれた客間の更に奥、廊下の突き当たりである。近くにいるのも特務隊で、ヴォルギスの大声を聞いても何事かと駆けつける者はいないだろう。

 おそらくイドレは夜のうちに、誰にも見咎められずに王城を抜け出したのだろう。イドレならば警備の目をくぐることなど造作ぞうさも無い。特務隊の隊長ということで気を遣われたのか、個室が用意されたのも裏目に出た。

(くっそ……隊員丸ごと残して行きやがって)

 嫌な予感はしていた―――昨日、歓迎の模擬戦という、よくわからない仕合があったのだ。本来なら、アルドラ駐屯の第四師団と特務隊による御前試合になる予定だったのだろうが、肝心のアルドラ総督・第二皇子レーヴハルトが周辺地域の視察で不在だという。特務隊が到着するのは、もう少し先だと思っていたらしい。

 それならば中止にすればいいのにとヴォルギスは思うのだが、第四師団長グレナルたっての希望で、そのまま行われることになった。

 イドレは殆ど一人で相手全員を叩きのめし、一言呟いた。「つまらない」と。―――師団長の顔が引き攣っていたのは、ヴォルギスの見間違いではないだろう。

 第四師団代表も善戦はした。特に、二人だけ混ざっていた青い制服の近衛兵は、イドレに剣を抜かせるまで頑張ったが、それでもイドレは不満だったらしい。

「それで、どうするんだ」

 セヴランに問われて、ヴォルギスはため息をついた。

「どうするもこうするも、隊長がいないんだから副隊長になんとかしてもらうしかねえだろ。それとも、イドレ隊を二つに分けて俺とセヴランとこで面倒見るか」

御免ごめんこうむる。イドレ隊はが強い」

 遮って言うセヴランに、ヴォルギスも同意する。隊長がだからか、イドレ隊は隊員も―――よく言えば―――個性的だ。

「となると、やっぱり副隊長だな。誰だっけ」

「テレサだ」

「あいつか……」

 あまり面識はないが、そのとぼしい記憶の中でも印象に残っている小柄な女性を思い出し、ヴォルギスは頭を抱えそうになった。

「セヴラン」

「断る」

 皆まで聞かずに言い切るセヴランへ、ヴォルギスは声を上げる。

「せめて聞いてから断れ。あんただって隊長だろうが」

「おまえが適任だ」

「そんなことあるか。むしろ喧嘩になるわ」

「あのー、揉めてるところすみません。うちの隊長、知りません?」

 声をかけられ、ヴォルギスとセヴランは同時に振り返った。噂をすれば、テレサその人である。亜麻色の髪を二つに分けて結い上げた、華奢きゃしゃな見た目からは想像できないが、暗器あんきの達人だ。丸腰に見えるからと舐めてかかると痛い目を見る。

「どうしたんですか、二人して。素足で毛虫踏んづけたような顔ですけど」

 どんな顔だ、と問い返したいのをこらえ、ヴォルギスは改めてテレサを呼んだ。

「トレイシー・トーレス副隊長」

「あ、嫌です。お断りです。あたし知りません」

 何かを察したか、ぱっときびすを返すテレサの肩を、ヴォルギスは掴まえて引き留める。

「待て。まだ何も言ってねえだろうが」

「ヴォルギス中尉があたしのことそう呼ぶってことは、イドレ隊長どっか行っちゃったんでしょ? あたしに部隊指揮なんて無理ですから」

「別に指揮をとれってわけじゃねえよ。イドレがいない間、部隊をまとめるだけだ」

「同じじゃないですか。大丈夫ですって、隊長がいないならいないで、みんな適当にやりますって」

「それが困るんだっつの。なんのための副隊長だ……」

 ヴォルギスを見上げるテレサが、にんまりと非常に嫌な笑い方をして、ヴォルギスは言葉を途切れさせた。

「……なんだよ」

「ヴォルギス中尉、手合わせしましょ。あたしが勝ったら他を当たってください」

 楽しそうに言うテレサを、ヴォルギスは鼻で笑う。万に一つも勝てると思っているあたり、思い上がりも甚だしい。

められたもんだな」

「じゃあそういうことで」

 言うなりテレサは無造作に右手をいだ。咄嗟に受け止めたそこには、いつの間にか親指ほどの小さな、しかし喉笛を掻き切るには十分な刃が現れている。

「待て待て待て承諾した覚えはねえぞ! 第一、ここでか!?」

「戦地では臨機応変ですよ」

「何が戦地だ。おまえ今、手合わせっつっただろうが」

 ヴォルギスはテレサの右手を掴んだ手を返すのと、足払いをかけるのを一動作でこなし、彼女を床に転がした。テレサはその勢いを利用して跳ね上がるように爪先でヴォルギスのあごを狙ってくる。どういう仕組みなのか、靴の先端からはびょうのようなものが飛び出ていた。

 ため息を飲み込みつつ爪先を避けて、ヴォルギスは伸びたテレサの足首を掴んで宙吊りにした。

「あっ、ずるい!」

 言いながらテレサは海老えびのように反り、今度はヴォルギスの首筋目掛けて拳を突き出した。指の間からはかぎが出ている。

「いい加減諦めろ、よ!」

 かわすついでに壁に向かって投げれば、テレサは猫じみた動きで壁に着地する。そのまま飛び出してくるのを、

「やめろ」

「痛っ!」

 横からセヴランに叩き落とされ、テレサは床に尻餅をついた。不意を突かれた形になった彼女は、恨めしげにセヴランを見上げる。

「邪魔しないでくださいよぉ」

「ヴォルギス隊の隊長とイドレ隊の副隊長が私闘など示しがつかんだろう。それに、テレサはヴォルギスに勝てん。諦めろ」

「そんなのわかってます。せっかくヴォルギス中尉とり合えるチャンスを無駄にしたら勿体ないでしょ」

 座り込んだテレサは不満げな顔をしていたが、すぐに立ち上がるとヴォルギスへ指を突きつけた。

「あたし、負けてませんから。セヴラン中尉の顔を立てて、この場は引きますけど! この先あたしがヴォルギス中尉から一本取ったら、部隊指揮の件は白紙ですよ!」

「白紙になんてなるか。おまえ副隊長だろ仕事しろ。あと人を指さすな」

「失礼します!」

 一方的に宣言して、テレサは肩を怒らせて去って行った。後ろ姿を見送りながら、やれやれとヴォルギスは息をつく。人のことを言えた義理ではないが、イドレ隊は皆、好戦的すぎる。テレサはまだ会話が成り立つ方だ。

「……戦闘狂どもめ」

「ヴォルギスがそれを言うか」

「俺はちゃんと時と場所を選ぶぞ。相手もな」

 明らかに自分よりも弱いとわかっている相手とは、戦っても楽しくない。ヴォルギスが戦闘に求めるものは、ただ一つ、愉悦だ。

「で、セヴラン。俺たちにはもう一つ決めなきゃならんことがあるんだが」

 今回、アルドラに派遣されてきた特務隊は、イドレ隊、ヴォルギス隊、セヴラン隊の三部隊だ。三人の隊長の中で最も階級の高い、イドレが―――本人の是非はともかく―――自然と纏め役になっていた。そのイドレが消えたとなっては、ヴォルギスかセヴランが役目を継がなければならない。

「断る」

「言うと思った。俺もだ」

 ヴォルギスとセヴランは顔を見合わせ、同時に拳を繰り出した。

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