第三章 9

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(……薄い)

 なんとなく息苦しい気がして、せめて換気でもしようと彼女は窓を開けた。薄いのは空気ではなくマナだとわかっているが、この感覚には未だに慣れない。

 窓を開けても風景は金属と石の灰色ばかりで、緑は申し訳程度に作られた植え込みくらいしかない。秋も半ばのはずだが、帝都で季節を感じられるものといえば、風の冷たさくらいだ。

「……ーゼ。ちょっとリーゼ。リーゼ!」

 大声で呼ばれて彼女―――リーゼは慌てて振り返った。

「な、何?」

「何、じゃないわよ。寒いんだけど。よくその格好で窓開けようなんて思ったわね」

「あは、ごめんごめん」

 誤魔化し笑いを浮かべてリーゼは窓を閉めた。舞手の衣装はどうしても露出が多く、視覚効果を考えて布はたっぷり使われているが、薄い。夏場や、空調の効いた劇場ならばともかく、気温が下がってくると単純に寒い。

 窓辺から離れると、別の方向から声が飛んでくる。

「リーゼあんた、髪のセットまだじゃない。こっちいらっしゃい、やってあげるから」

「え、もう終わったよ。ありがと」

 笑みを返し、リーゼは空いている椅子に座った。両手首と足首につけた飾りは、房の先端を遊ばせる作りになっているため、動く度にビーズが触れあって、しゃらしゃらと涼やかな音を立てる。

 大部屋の楽屋である。楽屋と言うより、やたらに広い客間に、鏡や机などを運び込んだ控え室と言った方が正確かもしれない。

「何言ってるの、そんな適当で。上手くすれば偉い貴族に見初められるかも知れないのに」

「皇子様の目に留まったりして!」

「ああ、夢みたい。あたしはお金持ちなら誰でもいいわ」

「いくらお金持ちでもあんまり年寄りは嫌よ」

 きらきらしい衣装をまとい、美しく化粧をした舞手たちは楽しげに言い合っている。万が一、見初められてもしたら困るリーゼは、曖昧あいまいに笑っておいた。

 リーゼのいる旅芸人の一座は、二週間前から帝都の小さな劇場で公演していた。思いのほか、評判になったようで、どういう経緯を辿ったのか謎だが、皇城で開かれる夜会の余興に抜擢されたのだ。座長は勿論、一座の面々はまたとない好機だと息巻いている。

(こんなことで帰れるのかな……わたし)

 面倒なので隠しているが、リーゼは帝国人ではない。「風の吹くまま気の向くまま」が信条の彼女が、まったくの気紛れで東大陸に渡ったのが春頃。適当に見て適当に帰るつもりでいたのだが、スヴァルド帝国が光国こうこくアルドラと戦を始めてしまい、大陸間の移動手段が完全になくなってしまった。それまでは、国交は断絶していても、東西を行き来する手段はあったのだ。

 帰れなくなってしまい、路銀が心許なくなってきたリーゼは、歌と踊りの心得があったこともあり、西大陸の人間であることを隠して、旅芸人の一座に潜り込んだ。幸い、今のところ出自を疑われたことはない。

(貴族に気に入られたら船を出してもらえるかな? でもそのためにめかけになるのはちょっとね……西の出だってばれたら殺されそうだし)

 市井しせいの人々ですら、西大陸の人々を魔女だ魔人だと悪気なくさげすむのを見聞きしてきた。帝国の中枢にいるような貴族など、輪をかけて西を敵視しているだろう。今いる一座の仲間とて、皆、気のいい人々だが、リーゼが西の人間だと知れば掌を返すに違いない。それは仕方が無いことだ。帝国の侵攻で犠牲になった西の住民がいるように、東の人間にも少なくない死傷者が出ている。そして、失われた命の何倍もの人々が悲しむ。「敵」を憎む。戦とはそういうもので、個人の感情や理屈ではどうしようもない。だから、戦など最初からするものではない。最悪の外交手段だ。

「あんたたち、支度はできてるでしょうね!」

 突然開いた扉と威勢のいい声に驚き、リーゼは文字通り飛び上がった。同じく振り返った舞手頭が声を上げる。

「座長! ノックしてって何度も言ってるでしょう!」

「レイラは細かいことを気にしすぎ。もっとどっしり構えて」

「全然細かくありませんけど!?」

 言い返す舞手頭、レイラをなだめるように軽く手を振りながら部屋を見回した座長は、リーゼに目を留めた。

「ちょっとリーゼ。あんた随分と地味ね」

 つかつかと距離を詰められて、リーゼは思わずった。座長は四十絡みの迫力のある美女で、間近に来られると特に理由も無く腰が引けてしまう。

「もっと華やかに! みんなを見習いな、まだまだかんざしせるでしょ」

「そうだそうだー。もっと言ってやってください、座長」

「派手派手にしてあげてください、派手派手に」

 他の舞手たちから声援を受け、座長は両手にきらびやかな簪を構えてリーゼの前に立ちはだかった。逃げ道を塞がれ、リーゼは無意味に左右を見回す。

「あ、あんまり飾りが多いと、落とさないか気になっちゃいますから! わたしはこれくらいで丁度いいんです」

「ミナ、リナ、ちょっと押さえて」

 リーゼの話を聞かず、座長は双子の少女に命じた。

『はーい』

「え、ちょっ、ご無体むたいな!」

 双子に両手を封じられ、リーゼはあれよあれよという間に髪を結い直され、これでもかと簪を挿されてしまった。隙間がないほど飾りで埋め尽くされているのに、不思議と煩くないのは、座長の腕とセンスだろう。

 リーゼを飾り立てて満足したか、座長は両手を腰に当てて改めて舞手たちを見回した。

「さて、あんたたち。楽団の合わせが済んだらリハーサルだよ。本番は夜会だけど、気を抜くんじゃないよ。どこに誰の目があるかわからないんだからね」

 舞手たちは神妙な面持ちで頷く。今夜は誰にとっても千載一遇の好機だ―――リーゼを除いては。

「お嬢様のお上品なダンスしか知らない連中に、本物を見せてやりな。―――行くよ!」

『おー!』

「お、おー」


 *     *     *


 結論だけを言えば、夜会の余興として一座の興行は成功裏に終わった。今頃、皆で座長を囲んでの打ち上げが行われているはずだ。

 はず、というのは、リーゼだけは城にめ置かれたので。

(どうしてこんなことに……)

 控え室にあてがわれたのとは比べものにならないくらい豪奢ごうしゃな客間に一人置かれたリーゼは、そわそわと周囲を見回した。最近は慣れっこになってしまった、炎ではない明かりが部屋を真昼のように照らしている。白い光は無機質で、リーゼはあまり好きではない。

 西の者であることが露見したのであれば、客間に通されるようなことはないだろうから、その可能性は限りなく低いと踏んでいる。理由は告げられず、リーゼだけ残れと言い渡されて、パーラーメイドらしき女性に案内されたのがこの部屋だ。仲間たちには散々うらやましがられたが、リーゼとしては冷や汗ものである。できることなら代わって欲しい。

(やっぱり、今のうちに逃げた方がいいかな? いいよね?)

 幸い、部屋は二階だ。露台から飛び降りても怪我はしないで済むだろう。逃げる決意を固めたリーゼが大きな窓を振り返ったとき、ノックもなしに扉が開いた。驚きの声を上げる間もなくずかずかと入ってきた男は、リーゼの手前で足を止めると、見下ろして眉を顰めた。

「存外、地味だな。化粧を落とせばこんなものか」

「……なんですって?」

 不躾ぶしつけを通り越して暴言に近い言葉を投げられ、驚きを怒りが凌駕りょうがしたリーゼは、目の前に立つ男を睨み付けた。身なりは夜会で目にした誰よりもよく、年の頃は四十手前といったところだろうが、侮蔑ぶべつあらわな表情は、どこか神経質なものを感じさせる。

 束の間、睨み合いのようになり、初老の男が慌てた様子で割って入った。

「控えよ! 第一皇子クローディス殿下の御前であるぞ」

「は?」

 リーゼは己の耳を疑い、思わず二人を交互に見た。彼らの背後には、いつの間にか、兵士と思しき数人と、何故か白衣を纏った男女がいる。

「はぁー!? 第一皇子!?」

「膝をつかぬか、無礼者め!」

「よい。旅芸人風情、私の顔を知らぬのも無理もない」

 吐き捨てるように言われ、怒りがぶり返したリーゼは、頭一つ半は上にあるクローディスの顔を見上げて鼻を鳴らした。この様子では、大人しくしていても無事に返されることはなさそうだ。一夜の慰みものにしようとするような雰囲気でもない。クローディスの視線は、完全に珍獣に向けられるそれだ。

「お偉い第一皇子殿下が、旅芸人風情に何のご用ですかね」

「貴様、言わせておけば!」

「捨て置け。―――こいつで間違いないのだな」

 クローディスは侍従らしき初老の男を下がらせ、白衣を振り返った。

「は、はい、間違いありません。異様に高い数値を示しています」

「よし。連れて行け」

 クローディスの命令に従い、兵士がリーゼを取り囲む。

「ちょっと! 理由くらい教えてくれたって」

 声を上げるリーゼの顎を無造作に掴み、クローディスは息が掛かるほど近くに顔を寄せた。そして、噛んで含めるように、リーゼにしか聞こえない声量で言う。

「騒ぐな。ここで魔女だとばらされたいか」

「……っ」

 リーゼは瞠目し、息を飲むのを寸前でこらえた。黙り込んだのを見て満足したか、クローディスは突き放すようにリーゼを解放した。

(ばれてた? まさか! 魔法を使った覚えはない!)

 見た目で出身大陸を判別するのは不可能に近い。現に、これまでリーゼが出自を問われたことはなかった。

「研究所へ連れて行け。傷はつけるな」

「御意」

 兵士たちは両側からリーゼの腕を掴み、連行していく。

(ここにいる人たちならなんとかできる……でも、外に出る道がわからない)

 逃がさないために城の奥に位置する客間へ入れたのだろう。やはり、早い段階で逃げておくべきだったと、リーゼはほぞを噛む。この場をしのぐことはできるだろうが、無事に逃げ果せるとなると話は別だ。奥の手を使えば可能かも知れないが、そうなれば最早、言い逃れはできない。

(今は従う振りをしておいて、隙を見て逃げよう)

 小娘一人を相手に、十人も二十人も見張りをつけることはしないだろうと楽観的に考えることにして、リーゼは城内の構造や様子を覚えることに集中した。

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