第三章 9-2 

 *     *     *



 私室で重い衣装を脱ぎ、椅子に腰掛けてレイツェルは細く長く息を吐き出した。髪を解いて頭を一振りする。毎月の例祭には正装で出なくてはならず、それが暑いし重い。夏と冬で若干の差はあるが、ほんの気持ち程度だ。

「お疲れ様でございました」

 最年少の祭祀さいしは、今し方レイツェルから脱がせた帽子を手に一礼した。それを見て、レイツェルは壁際に控えていた侍女を呼んだ。

「何か、水菓子でももらえないかな」

「畏まりました。すぐにお持ちします」

 他の侍女にも適当に用事を言いつけて出してしまう。人払いをしてしまうとので頼み事をするのだが、その用事を考えるのも毎回大変だ。今度リストを作っておこうと半ば真剣に考えつつ、レイツェルは傍らに立つ青年祭祀を見上げた。

「何かな、クレイン」

 彼は、大半が長老派を占める導師・祭祀の中で、数少ないレイツェルの味方だ。老人たちは気取られていないと思っているようだが、長老一派がどうにかして水皇すいこう傀儡かいらいにして権を手にしたいと考えているのを、レイツェルは知っている。正面からぶつかるとさすがに面倒なので、知らぬ振りをしながら一網打尽にできる機を待っている。

 クレインが帽子を逆さに持っているのは、レイツェルに話がある合図だ。最年少であるが故に、儀式事の衣装係を押しつけられたことになっているが、定期的に接触する口実があるのは都合がいい。

「長老がアルクス殿下の行方を突き止めた模様です」

「そうか」

 姿を消したアルクスの手引きをしたのはレイツェルだとわかっているだろうから、自ずと行き先は絞られる。捕捉ほそくされるのは時間の問題だと思っていた。

(半月か……存外かかったな。重畳ちょうじょう

 バルトロならば、短期間でもアルクスを叩き直してくれる。昔、レイツェルにそうしたように。アルクスは良くも悪くも素直な分、自分よりも扱いやすいに違いないと、レイツェルはひっそりと自嘲した。

「何か目立った動きが?」

「放たれていた『甚雨ひさめ』が呼び戻され、西の山に向かいました。あそこには、たしか……」

「ああ、老師のいおりがある。『甚雨』を使うとは、よほど焦っているのかな」

 あるいは、通常の捜索で発見できず、「甚雨」を使うに至ったと見た方がいいかもしれない。バルトロは結界術を使える。老齢で、さすがに往時の力はなくとも、山一つ目隠しするくらい造作もない。

「三人を迎えに行ってくれるかな。護衛の人選は任せる。『甚雨』の人数によっては老師でも手を焼くかもしれない」

 表向きは神殿騎士ながら、表沙汰にはできない物事に対して派遣される部隊が「甚雨」だ。ゆえに、精鋭が揃っている。

「御意のままに」

「いつ出られる?」

「明朝には」

「よし。それまでに私の『お使い』ということで手配しておこう」

 話がまとまったところで、丁度、侍女が戻ってくる。

「失礼いたします。ご所望のものをお持ちいたしました」

「ありがとう」

 侍女がテーブルに食器などを並べる間、レイツェルはクレインを見上げて唇だけで「頼んだよ」と告げて笑んで見せた。クレインは微かに目を泳がせてから深く一礼する。

「では、私は御前失礼を」

「うん」

 衣装を抱えたクレインが退出して行き、レイツェルは果物の山に手を伸ばした。さほど食べたくもなかったが、頼んだ以上、手をつけないわけにはいけない。

(さて、どう転ぶかな)

 水国すいこくシェリアークが光国こうこくアルドラに助力するかどうかは、アルクスに掛かっている。そして、手を貸す価値があるかを、レイツェルは見極めなければならない。

(少年が一人、よわいたった十五で国の命運を背負うのは、本来ならば無茶が過ぎるのだが)

 アルクスは、大国の王子に生まれながらも、子どもであることを許されてきた。周りの大人たちが、ある意味正しく彼を守っていたのだろう。しかし、状況がもうそれを許さない。無理にでも己の立場を、力を、自覚して貰うしかない。

(子どもが子どもであることを許せない世界は、果たして……)

 どんどん逸れていってしまいそうなので考えるのをやめ、レイツェルは水菓子を口に放り込んだ。噛み締めたそれは酷く酸っぱい。

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