三章 11-1
11
「レヴィ、まだ登るのか?」
半ばぼやくような気分でノアが声をかけると、先を行くレーヴハルトは、困ったように周囲を見回す。
「文献によると、このへんのはずなんだが……」
緑豊かな山を登り始めて随分経つ。登山は訓練でしか経験のないノアは、最初は物珍しいのも手伝って遠足のような気分で歩いていたが、風景が変化に乏しいのもあって、そろそろ飽きてきた。道はそれなりに踏み固められていても、舗装はされていない。登るにつれて左側は崖のように落ち込み、右手側には岩盤が目立つようになってきた。足を踏み外したら大変なことになりそうだが、落下防止柵などはない。
レーヴハルトは足を止めて身体ごと振り返った。
「疲れたか? 少し休憩しようか」
「いや、疲れたってより飽きた」
正直に申告すると、すっと背筋が冷えたような気がした。背後から怒りを含んだ声がする。
「ノア……あなた、言うに事欠いて飽きたですって? あろうことか、殿下に向かって」
長くなりそうだったので、ノアは肩越しに手を振った。
「冗談。冗ーー談。そんなことよりグレイス、殿下は禁止だったろ」
「話を逸らさないで」
「いやあ、割と重要だぞ。ここに『殿下』はいちゃいけないからな。どこに誰の耳があるとも―――」
「わかった、次から気をつける。今、わたしが問題にしてるのは、あなたの度を超えた無礼なのだけれど」
遮って続けるグレイスは、どうしてもノアを糾弾したいらしい。話題を変えることは諦めて、ノアは返す。
「それに関しちゃ当の本人が気にしてないんだからいいだろ別に」
「咄嗟の時に出るのは日々の態度よ。いくら、でん……レーヴハルト様がお優しいからといって」
「はいはい。っとに、堅いなグレイスは」
「堅い柔らかいの問題ではなくて」
「レーヴハルト様ってのもまずいんじゃないか? 顔知らなくても名前知ってる奴はいるだろ」
「お顔!
「はいはい」
「あった!」
レーヴハルトが声を上げ、ノアとグレイスは言い合いをやめてそちらを見た。顔を輝かせたレーヴハルトが岩盤を指差している。
「ここだ、多分。この奥」
「ここ?」
レーヴハルトの指差す先を見れば、確かに人一人が通れそうな亀裂がある。洞窟の入り口というよりは岩の隙間といった風情で、到底この先に道が続いているようには見えない。
「こんなとこに光の精霊なんているのか?
「口伝によれば、ずっと昔から精霊は眠っているらしいからな。変に聖地化して不心得者に荒らされるより、一部の人間にしか伝えず守った方がいいという考えじゃないかな」
隙間を覗き込みながらグレイスが首を傾げる。
「王都から随分離れているのですね。要ならば、王城の奥深くにでも置きたくなりそうですが」
「そのあたりは、何か事情があるのだろう。入ってみよう」
「待て待て待て。俺が先に行く」
一切の
レーヴハルトは
「一番乗りしたいのか?」
「そんなわけあるか。危ないだろ、何かいるかもしれないし、いきなり崩れるかも知れない」
「なんだ……ノアも洞窟探検に興味が出てきたのかと思ったのに」
「残念そうにするな。と言うか、俺がこういうの全く興味ねえの長い付き合いでわかってんだろ」
「急に目覚めたのかと思って」
「なんでだよ。だとしても何きっかけだよ」
「……ノーアー」
隣から、地鳴りもかくやというようなグレイスの声が聞こえて、ノアは慌てて荷物から明かりを引っ張り出した。スイッチを入れて、ちゃんと点くのを確認する。魔法障壁の有効範囲では、ハンドライトのようなものも機械と判定されて動かなくなっていた。照明が炎のみというのは、とても不便であるようにノアは思うのだが、それは魔法で補助するのかもしれない。
「俺が呼ぶまで入るなよ。―――グレイス、
「ええ、気をつけて」
身体を斜めにしながら洞窟の中に入ると、足下が急に落ち込んでいるようなことはなく、緩やかに下りながら先へと延びている。狭いのは入り口だけで、奥へ進むに連れて天井は高く、幅は広くなっていた。
(明るい……?)
人の手の入っていない洞窟に見えたので、ノアは真の暗闇を想像していたのだが、内部は
動く物の気配はなさそうなので、ノアは外に声を投げた。
「大丈夫だ。下りて来いよ」
返事があって、まずはレーヴハルトが入ってくる。
「明るいな。光の精霊の影響だろうか」
「ああ、なるほど」
ノアが納得すると、レーヴハルトは不思議そうに首を傾げた。
「なるほどとは?」
「俺はどっかから外の光が入ってきてると思ったからさ。光の精霊がいるなら、明るくても不思議じゃないのかもな」
「そちらの方が現実的だ。でも、精霊の影響と考えた方が、ロマンがあっていいだろう」
「ロマンねえ」
話している内にグレイスもやってきて、警戒するように見回しながら呟く。
「明るい……投光器もないのに」
「丁度同じ話をしてた。光の精霊の影響かもって」
「随分ロマンチストなのね、ノア」
「いや、俺は外から光が入ってきてるんだろうと思った。精霊の影響って言ったのはレヴィだ」
「……さすがレーヴハルト様、発想が豊かでいらっしゃいます」
「返すにもほどがあろうよ、
ぼやくノアを無視してハンドライトを消し、グレイスはレーヴハルトへ尋ねた。
「見張りに残りましょうか」
「いや、大丈夫だろう。そうと知らないと見分けられないような入り口だったし、人が立っている方が怪しまれそうだ。内側はこんなに広いから、わざとわかりにくくしているのかもな。―――行こう」
レーヴハルトは二人を
(自然にこんな洞窟ができるか? 自然の洞窟に似せて人の手で作られたって言われた方が納得できる)
奥へ行くに従って明るさは増し、足下や天井に白い石が混ざり始める。光源はどうやらこの石らしい。一つ一つの光は淡いものだが、数が多いので星明かりのように空間を照らしている。
隣を歩くレーヴハルトも同じことを思ったか、周囲を見回しながら口を開いた。
「石英だな」
「石英?」
「透明な物は水晶と呼ばれる」
「ああ、それならわかる。でも水晶は光らないだろ」
「光らせる何かがあるということだ」
「痛っ!」
一歩後ろを歩くグレイスが短い悲鳴を上げて、ノアとレーヴハルトは同時に振り返った。
「どうした?」
「大丈夫か?」
「あ……す、すみません。上から何かが……」
グレイスが足下から何かを拾い上げる。差し出された掌には赤子の拳ほどの透明な石がのせられている。
「噂をすれば、水晶だ」
グレイスの掌をのぞき込んだレーヴハルトが言い、ノアは眉を
「このタイミングで? 誰かいるんじゃねえの?」
自分の言葉で、ノアは生き物の気配がないことに気付いた。こういった洞窟につきものの、
(まさか……本当にいるのか? 少なくとも、生き物を寄せ付けないような何かが)
西大陸の人間が魔法を使うのは事実だが、ノアは精霊の実在については懐疑的だ。口伝の中にしか存在しない、誰も見たことがないものがいると言われても、実感が湧かない。
視線だけで周囲を見回すノアを余所に、レーヴハルトの興味は落ちてきた水晶に向いている。
「見せてくれないか」
「勿論です、どうぞ」
グレイスから水晶を受け取り、レーヴハルトは目の前に
「なあ、レヴィ」
「なんだ?」
「なんでここに来ようと思ったんだ?」
水晶をのぞき込んでいたレーヴハルトは、ノアに視線を戻して首を傾げた。
「ここに来ようと思ったと言うか、文献を解読したらここだったと言うか。一番の理由は、精霊というものがいるなら、この目で見てみたいと思ったから、かな」
東大陸のスヴァルド帝国には存在せず、西側―――特に
「東西の最も大きな違いはそれだ。ミルザムでは帝国の支配が進みすぎて、火の精霊に関するものを見つけることができなかった。既に処分されてしまっているのであれば、痛恨の極みだ」
本当に悔しそうにレーヴハルトは言う。彼には気の毒だが、処分されてしまった可能性が高そうだとノアは考える。何せ、現在の皇帝は文化的なことには殆ど興味を示さない。臣下もまた然りだろう。最近は年齢のせいかあまり表に姿を見せなくなった皇帝だが、十五年前は精力的に動いていた。
「幸い、アルドラ王城の書庫は手つかずだった。見つけられて本当によかった」
レーヴハルトは、ここにあるものには誰にも触らせるなと、総督代理に任じたアトリーに命じてきたという。ならば、アルドラの書物は守られるだろう。
「歴史好きも極まってるな。第二皇子ともあろうものが、敵国の文化に傾倒していいのかよ」
「ノア。それは不遜に過ぎるでしょう」
黙って聞いていたグレイスが尖った声を上げ、ノアは小さく肩を竦めた。
「俺は間違ったことは言ってないと思うが。ミルザムで、エインズレイを代理任命したあたりから不思議だったんだ。何をしようとしてるんだ? レヴィ」
レーヴハルトは答えずに、水晶をグレイスに返すと歩き出した。ノアとグレイスもそれに続く。
しばらく進み、レーヴハルトは独白のように落とした。
「帝国を我が手に」
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