第三章 10-3

「だとしたら、そこまで嫌がるのも納得だ。けど、俺も修理を諦めきれねえ。命を預けて貰うにはどうすればいいか? こっちも命を預けるしかねえな」

 ヒューベルトの言い分を聞いて、ゼロは半ば呆れて息をついた。

「……賭博師の発想だな」

「そっちが本業なんでね。仕掛けらコールされたら受けベットし勝負ショーダウンだ」

「賭けた覚えはないが。確率的には、賭け事で儲かることはないらしいぞ」

「これだから堅物はよ。まさか、無難な道しか選んでこなかったのか? つまんねえだろそんな人生」

 賭博師の考えかたにまったく共感できず、ゼロはエルクを振り返る。

「それ、買い取るから帰るぞ」

「……え? いいんですか?」

「よくねえわ!」

 ぱちくりと眼を瞬くエルクの言葉が終わらぬうちに、ヒューベルトが噛みついてくる。

「なんでだよ! 今そういう流れじゃなかっただろうが! 乗ってこいや!!」

「俺は賭け事はしない」

「くあー! これだから真面目くんはよ!」

「なんとでも言え。行くぞ、エルク」

「あ、はい」

「行くなコラ。しかもさりげなく持ち逃げしようとすんな」

 無視して工房を出ようと、きびすを返した眼前に土の壁が現れ、ゼロは目を見開いた。壁は土間の地面から生えたように、どこにも継ぎ目がない。

「な……」

 驚いて振り返れば、ヒューベルトがどこか据わった目で笑みを深くする。

「いいぜ。虎穴こけつに入らずんばって奴だ」

「その穴に虎児こじはいない」

「いるかもしれねえだろうが」

 言いながらヒューベルトは上着のボタンを外し、シャツのすそまくり上げた。露わになった腹部のやや左寄りの位置に、見覚えのある文様が浮かび上がっている。

「……あんた、やっぱり」

「それはたしか、大地の」

 声が重なり、ゼロとエルクは顔を見合わせた。ヒューベルトは服を整えて首肯する。

「そういうことだ。おかげで俺は壌国じょうこくフェムトの親方連から四六時中監視されてる。もし俺が剣を持ち逃げしたら、中央の親方連に訴え出ろ。俺の居場所は筒抜けだ」

 出会ったとき、ヒューベルトが「鳥」の死骸を始末したのを見たゼロは、もしかしたらと思ってはいた。詠唱せずに魔法を使う人間もいるにはいる。しかし、それを習得するにはよほどの修練と研鑽けんさんが必要だ。ゼロの抱いた印象だが、ヒューベルトはそういった修行をするようには見えない。

「『鳥』を埋めたのも、今のも、魔法じゃなくて、紋章の力か」

「そういうこった。むしろ俺は魔法は不得意な方でね」

 エルクが不思議そうに首を傾げる。

「紋章の力は魔法ではないのですか?」

「大きな括りでは魔法だが、一般に知られている魔法よりは純粋な力に近いと言うか……マナではなく物質そのものを操ると言うか」

 紋章を持たないゼロには上手く説明できない。マナはこの世に存在する全てのものに存在し、それを人間が扱えるよう変換するすべが魔法だ。術式を介し、マナを操ることで、瞬時に火を灯したり、空の器に水を満たしたりすることができる。

 椅子に腰掛けたヒューベルトは、組んだ足に頬杖をついて探るようにゼロを見上げる。

「全面的に信用しろとは言わねえけどよ、剣を見せてもいいくらいには思ってもらえるとありがたいんだがね」

 ゼロは束の間ヒューベルトを見つめ、小さく息をついた。

(……手札の開示ショーダウンか)

 使って見せた力からして、ヒューベルトの紋章は本物だろう。ならば、四六時中監視されているというのも、多少の誇張はあれど嘘ではないと思われる。「継承者」がこうして自由に、一人で出歩いているのが例外なのだ。

「―――…」

 もう一度息をつき、ゼロは剣帯から剣を外した。迷いがないわけではない。しかし、継承者が自らそうと明かすのは、その存在の特異性から、結構な覚悟が必要だろう。

 ゼロが机に剣を置くと、ヒューベルトは途端に目を輝かせる。

「勘違いするな、あんたを信用したわけじゃない。紋章の分だ」

「十分だ。紋章もたまには役に立つもんだな」

 舌舐めずりでもしそうなヒューベルトにゼロは早くも後悔するが、ここで反故ほぼにしたらヒューベルトが暴れ出しかねない。

「そうと決まれば、俺は工房に籠もる。あんたらは好きにしてくれ。休むなら奥の部屋を使っていいぞ」

 言われてゼロはエルクと顔を見合わせた。

「どうする? 俺はここに残るが」

「では私は買い出しに行ってきます。後で交代しましょう。剣から目を離すのは嫌でしょう」

 ゼロは素直に頷く。紋章分だけ信用すると言ったが、剣を預けるには不安が大きい。

「それと、ヒューベルト。後で私も工房をお借りしたいのですが、いいですか?」

 ヒューベルトを見れば、彼は意外そうな顔で眉を上げてから、極めて適当に片手を振った。

「本当に工作すんのかよ。いいぜ、道具も貸してやる」

「それは助かります。では、後ほど」

 言い置いてエルクは工房を出て行った。土の壁はいつの間にか消えている。

「ゼロが残ってくれるのはありがたい。ちょっとそこに座れ」

 薄汚れた丸椅子を示され、ゼロは警戒を滲ませた。

「……なんでだ」

「武器ってのは使い手と表裏一体だ。専用となれば尚更な」

「専用?」

 剣を手放したくないというのはゼロの主観であって、振るうのは誰にでもできるはずだ。ゼロが眉をひそめると、ヒューベルトは訳知り顔で言う。

「この剣は、ゼロにしか使えない。俺にしか直せないようにな」

「……そう言い切るのは、地の紋章由来か?」

「かもな。―――というわけで、座れ。手を見せろ」

「ええ……」

「本気で嫌な顔すんな。傷つくわ」

 見張りはしても関わるつもりはなかったのだが、このままでは修理も進まなそうなので、ゼロは渋々、椅子に腰掛けた。求められるまま利き手を差し出すと、両手で掴んでしげしげと眺められる。

「あんたの本業は、鍛冶屋なのか」

「本業ってか、家業がそうだな。本業は賭博師だ」

「勝てないのに?」

 何も考えずに口にした言葉だが、心外だったらしく、ヒューベルトは渋面になった。

「だから、今回のはたまたまだっつーの。それで食えてるんだから十分だろ」

「工房まで構えているのに」

ねぐらは必要だ。手に職があれば食いっぱぐれることもない」

 口ではそう言っているが、ヒューベルトの本業は鍛冶のほうなのだろう。でなければ、ここまでしつこく剣を直させろと付きまとうことはしない気がする。しかし、それを言うとむきになって否定されそうで、ゼロは沈黙を守ることにした。

(剣に執着するなんて、―――みたいなことを……)

 ぼんやりと考えて、ゼロは目を瞬く。

(今……、何か)

 例えるならば、湖に投げ入れられた石が水底で舞い上げるおりのようなもの。もしかすると、記憶の欠片を思い出しかけたのだろうかと、ゼロは空いている方の手で口元を押さえた。

 何を考えたのか、追えば追うほどわからなくなる。エルクの言うように、何かの弾みで思い出すのを待つしかないのだろう。己の現状に納得していたはずが、今は酷くもどかしい。

(……考えるな)

 考えてしまえば、捻じ伏せた焦りが目を覚ます。喚いても暴れても記憶が戻ることはないのは、もう知っている。焦燥に支配されてはいけない。今は地道に手がかりを集めるしかないのだ。

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