三章11-2

 思わず息を飲んだノアを見て、レーヴハルトは悪戯いたずらが成功した子どものような笑みを浮かべる。

「……なんて答えたら、ノアは納得するのか?」

 ノアは飲んだ息を吐き出す。この皇子様は、時たま心臓に悪い。

「驚かすなよ……簒奪さんだつなんて、レヴィらしくもない」

「わたしは驚きません。皇帝陛下がお出ましにならないのをいいことに、今のクローディス殿下のなさりようは、あまりにも酷い」

 グレイスまで物騒なことを言い出し、ノアはぎょっと彼女を振り返った。

「おいおい、グレイス。その物言いも不遜に過ぎるんじゃねえか」

「そんなことない。ノアはななんとも思わないの? レーヴハルト殿下への理不尽な任務は、十中八九クローディス殿下の差し金に決まっている」

「……それ、外で言うなよ。あっという間に捕まるからな」

 そう言いながら、ノアはグレイスを否定できない。今、彼女が言ったことは、誰しもが薄々思っていることだ。

 無論、第二皇子レーヴハルトに、ミルザム総督兼アルドラ総督兼リュングダール捜索部隊総司令を下命したのは、皇帝ということになっている。しかし、皇帝は老齢からか、公に姿を見せる回数が極端に減っており、その分、公務の比重は、次期皇帝ともくされる第一皇子クローディスが大きくなっている。そしてクローディスが、民や臣下から信望厚い異母弟を殊更ことさらうとんじているのは、公然の秘密だ。

 黙り込んでしまった二人に、レーヴハルトは苦笑を向けた。

「二人とも、当たらずとも遠からずだ。―――私は、ミルザムとアルドラの総督に任ぜられたことを、むしろ好機だと思っている」

「こんな無茶苦茶な命令をか? それは人がすぎるだろ」

「外から出ないと見えないものもある。帝国を我が手にとは思っていないが、あるべき姿にとは思っているんだ」

「あるべき姿?」

 ノアが問い返すと、レーヴハルトは頷いた。ホールのような空間は徐々にすぼまり、更に明るい通路が奥へと伸びている。

「皇帝陛下が公務の量を減らしているのは、知っての通りだ。年齢を考えれば無理もない。だが……、アルドラ侵攻が決定されたことからだろうか、少なくとも私は、陛下のお姿を見ていない」

「言われてみれば……そうだな。前に比べてお出ましにならなくなったとはいえ、ここぞというときには勅語ちょくごがあったのにな」

「うん。限られた人間しか傍に寄せないし……具体的には、兄上と局長だけだ」

 局長というのは、技術開発局局長のことだろう。本人は研究所から殆ど出てこないので、軍では幻の珍獣のような扱いをされている。

「兄上が公務を代行できるから、国は回っている。しかし、局長を偏重へんちょうすることが、私には、いいことだとは思えない。たしかに、アルドラ制圧の功労者と言えばそうだが……」

 功労者と言うよりかは、元凶と言った方が正しいのではないかとノアは考える。魔法障壁の破壊を可能にしたのは、局長の開発した幻晶砲だ。あれがなければ、アルドラ侵攻など持ち上がりすらしなかっただろう。

「局長のことを兄上に諫言かんげんしたら、嫉妬かと一蹴された。その後、ミルザム総督の話が降ってきたというわけだ」

 一連の流れを初めて知らされたノアは思わず瞠目した。確証がないとはいえ、これだけ聞くとレーヴハルトの件は明らかに厄介払いに思える。同じことを考えたか、グレイスは目を吊り上げた。

「やはり、クローディス殿下の奸計かんけいなのですね。まつりごとを私物化するのみならず、レーヴハルト殿下にこのような仕打ち……許せません。その上、皇帝陛下をもおびやかそうとしているなんて」

「陛下の件は、わからない。第一、放っておいても次の皇帝は兄上だろうと言われているのに、しいたてまつる理由がない。逆に立場が悪くなる。だから、陛下のご無事はあまり心配していない。なんにせよ、確たる証拠があるわけではないから、ここだけの話にしてくれ」

「勿論だ」

「お約束いたします」

 頷く二人に頷き返し、レーヴハルトは続ける。

「さっきも言ったように、私は好機だと思っている。こちらの『精霊』と『魔法』の仕組みがわかれば帝国の慢性的な燃料不足を解消できるかも知れない。そうすれば、兄上と局長も目を覚ますだろう」

 それはさすがに楽観的すぎやしないかとノアは思ったが、口に出すことはしない。そうであってほしいという、レーヴハルトの願望も入っているだろう。無体を働く異母兄とて、切り捨てるにはレーヴハルトは優しすぎる。

「もし……、それが叶わなければ、レヴィは皇帝になるのか?」

 興味本位のノアの問いを受けて、レーヴハルトは少し考えるような間を置いてから、独白のように呟いた。

「可能性はある。私でなくても、異母弟おとうと異母妹いもうとの誰かでもいい。真に国と民のことを思う誰かであれば」

「今の帝国に、レーヴハルト殿下以上に民のことをお考えになってくださるかたなどおりません」

「……ありがとう、グレイス」

 淡く笑み、レーヴハルトは先を示した。

「そろそろ終点みたいだな」

 緩やかに蛇行した通路の先に、光を放つ何かがある。通路は最早、真昼のように明るい。

「なんだこれ……何が光ってるんだ?」

 光の正体を目にしたノアは、思わず呟いた。壁一面が巨大な水晶で、その奥に球状の光源がある。

「もしや、ここまでにあった石英とこれが繋がっていて、だから光っていたのでは……」

 半ば呆然と言うグレイスの言葉通り、これまで見えていた石英がすべてこれと繋がっているのなら、光るはずのない石が光っていた理由が、一応説明がつく。

「凄い! どうなっているんだろう」

 レーヴハルトは吸い寄せられるように水晶に手を伸ばした。しかし、触れる寸前で弾かれたように手を引っ込める。

「どうした?」

「なんだろう……、強い静電気みたいな」

「静電気?」

 首をひねりながらノアも水晶に触れようとして、指先に小さな衝撃を感じる。構わず押し進めると、更に強い力で弾かれた。

「痛てっ」

「大丈夫?」

「ああ。でも、触れない。グレイスも試してみてくれ」

 頷き、グレイスも手を伸ばす。しかし、やはり熱い物に触れたかのように手を引っ込めた。

「駄目、触れない」

「グレイスもか。三人ともとなると、たまたまではなさそうだ。休眠状態にある光の精霊は、全てを拒むのかも知れないな」

 言いながらレーヴハルトは確かめるように再び手を伸ばし、やはり弾かれて痛そうに顔をしかめている。

「これが本当に光の精霊なら、なんだっけ、『継承者』だっけ? それなら受け入れられるのかもよ」

 ノアは軽い気持ちで言ったのだが、レーヴハルトはやけに嬉しそうに、我が意を得たりとばかりに頷いた。

「やはり、行方不明にリュングダール王と、水国すいこくシェリアークにいるアルクス王子捜さなければならないな」

「……あれ? そうなる?」

「そうなる。そもそも私はリュングダール王捜索の命を受けてこちらに来た。何も問題はない」

「まあ、そうだけど……」

 思わずグレイスを見れば、彼女は特に異存はないようで、表情からは戸惑いなどは感じられない。

(今度はシェリアークに行きたいなんて言い出すんじゃないだろうな)

 さすがにそれは止めねばあるまいと、ノアは胸中で決意を固めた。当の本人は、光を閉じ込めた水晶を名残惜しげに眺めている。ややあって、吹っ切るように水晶から顔を背けると二人を振り返った。

「さて、そうと決まれば」

「戻るぞ」

 先を言わせてなる物かと、ノアは割り込んだ。

「うん?」

「一旦アルドラ総督府に戻るぞ。アトリー女史に投げっぱなしで何日経ったよ。気の毒に」

 レーヴハルトは意外そうに目を瞬いたが、やがて頷いた。

「……そうだな。一度戻ろう。復習さらいたい文献もある」

「そっちかよ。……まあいいけど」

 この際、理由はなんでもいい。このままどこまでも行ってしまいそうな皇子を繋ぎ止めておけるならば。

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トランス・ゼロ〜紋章と精霊王〜 久木戸 ロラン @roran0909

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