第一章 5

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 夕刻。

「あれ、ゼロ兄だ」

「おかえり、アル。お疲れ」

 かまどの前で鍋を掻き混ぜていたのは、フィアルカではなくディゼルトだった。薪割りを終えて戻ってきたアルクスは、勝手口の脇に斧を立てかけて首をかしげる。

「今日の当番はフィーアじゃないっけ? まだ帰ってないの?」

「ああ。そろそろだとは思うが」

「うん……、でも、遅くない? もう日が暮れるよ。明日の準備もしなきゃいけないのに」

 これまでフィアルカが一人で、あるいは村で親しくなった誰かと出掛けることは何度かあったが、いつも夕方前には帰ってきていた。

 フィアルカとて幼い子どもではないし、年の近い女の子たちと出掛けて、つい話が長くなることもあるだろう。アルクスも王城で、休憩中の侍女たちが延々とお喋りしているのを何度も見たことがある。普段なら心配しないのだが、今日は朝に見かけた帝国兵のこともあり、妙な胸騒ぎがする。しっかり者のフィアルカのことだ、明日出立の予定なのだから、早めに帰ってきて支度を整えそうなものだ。

「たしかに、遅いな。先に食べるか?」

「ううん、大丈夫」

「もう少し待って、帰ってこなかったら俺が迎えに……」

 ディゼルトの言葉を遮るように、玄関扉が叩かれた。フィアルカが帰ってきたのだとしたら、ノックなどせず普通に扉を開けるはずだ。同じことを考えたのか、首をかしげたディゼルトが鍋に蓋をして対応に出る。

「はい、どなた……ユノアさん? こんばんは」

 玄関に立っていたのはユノアで、アルクスもディゼルトの隣から顔を出した。

「ああ、ゼロさん。アルくんも、ごめんなさいね、ご飯時に。フィーアちゃんは帰っているかしら」

「いいえ、まだです。フィーアにご用ですか?」

 ディゼルトの答えを聞いたユノアの表情が目に見えて曇る。

「そう……じゃあ、やっぱり一緒なのね。うちのライラも帰っていないのよ。エミリアちゃんも、マーサちゃんも」

 アルクスはディゼルトと顔を見合わせた。ユノアはライラたちの帰りが遅いのを心配して、一緒に薬草摘みに行った少女たちの家を回っているらしい。

「四人で出掛けたんですか?」

「ライラはそう言っていたわねえ……」

 言葉を切り、ユノアは無理矢理のような笑みを浮かべた。

「きっと、わたしが心配しすぎなのね。時間を忘れてお喋りでもしているのでしょう。もうすぐ帰ってくるに違いないわ」

「帰ってきたらお知らせしますよ」

「悪いわね、そうしてくれると助かるわ。ありがとうね」

 言い置いてユノアは帰って行った。扉を閉めたディゼルトは、硬い表情で竈へ向かって火を落とす。

「捜しに行ってくる。アルは留守番を頼む」

「言うと思った。おれも行くからね。フィーアには置き手紙残してけばいいでしょ」

 先回りして言えば、ディゼルトは鼻から息を抜いた。

「……わかった。残して行っても、アルも捜しに出るだろう?」

「もちろん」

 言いながらアルクスは紙の切れ端に、フィーアたちを捜しに行っているので、入れ違いになったら家を出ずに待っていてくれと走り書きをする。

 ディゼルトを追って外へ出ると、空は紺青こんじょうと茜色が半々で、夜の気配が濃い。やはり、女の子だけで出掛けているというのにこんなに遅いのはおかしい。何よりフィーアが、ディゼルトやアルクスに心配をかけるようなことをするとは思えない。

「とりあえず広場に行ってみよう。誰かが行き先を知っているかもしれない」

「そうだね」

「アルは、フィーアたちはどこに行ったと思う?」

 ディゼルトの隣に並んで歩きながら、アルクスは首を捻る。

「前は東側の畑の先に行ったって言ってたけど。畑と森の間の草地に、薬草がたくさん生えてるんだって。ほら、よく眠れるからって淹れてくれるお茶。あれもそこで摘んだらしいよ」

「東か……誰も知らなかったら、その東側の草地に行こう」

「うん。―――フィーア、大丈夫かな……」

 呟いて、アルクスは今朝の自分の行動を改めて反省した。出掛けるとわかっているフィアルカが帰りが遅くなっただけで心配なのだ、突然姿を消したら、さぞかし気を揉んだことだろう。

「大丈夫だ。フィーアがついていれば滅多なことはないだろ」

 安心させようとしてくれているのか、なんでもないことのように言うディゼルトに、アルクスは頷く。

 フィアルカは医術の心得があり、治癒術の使い手でもある。護身術や攻撃魔法も習っていたので、万が一戦闘になっても対応できるはずだ。

 最近は朝夕と冷えるようになり、日も随分短くなった。こうしている間にも周囲は徐々に暗くなっていく。ぽつりぽつりとある街灯に火を灯して回る人とすれ違いながら歩き、広場に近付くと何やら騒ぎが伝わってきて、アルクスは眉を顰めた。

「なんか揉めてない? どうしたんだろう」

「行ってみよう」

 足を速めた二人が広場へ行くと、人集りができていた。その中心には見慣れない金属の車と、今朝見た灰色の制服がいて、瞠目する。

「帝国へ……むぐ」

 言い終わる前に、アルクスはディゼルトの背に押しつけられるように隠された。後ろ手なのに強い力で抑え込んでくるのを、どうにか身体を捩って緩め、顔の半分だけディゼルトの陰から出して見れば、帝国兵が二人と、啜り泣くマーサ、あとは村長をはじめとした村の男衆がいる。他の人々はそれを遠巻きに怖々と様子を見守っていた。

 帝国兵の側にいるのは、フィーアと一緒に行ったはずの少女だ。何故マーサが帝国兵と共にいるのかわからないが、彼女がここにいるならば、フィーアとライラ、エミリアの三人もいて然るべきだろう。

「ゼロ兄、フィーアがいない。ねえちゃんたちも」

「シッ」

 小声で言ったつもりが鋭く咎められて、思わず見上げれば、ディゼルトは恐ろしいほど真剣な表情で帝国兵を睨んでいた。

 帝国兵の片方が尊大に言う。

「今日、村を焼かないのは俺たちの慈悲だ。ありがたく思えよ」

「そんな、横暴な……」

 弱々しく村長が反論すると、もう片方が銃を向ける。村長はひきつったような悲鳴を上げて口を閉じた。

「基地は人手不足でなあ。これからも、言う通りに人を出せば焼かずに置いてやる。どうだ? 俺たちは優しいだろう。感謝しても構わんぞ」

努々ゆめゆめ、反抗しようなどとは思うな。誰か一人でも逆らったら、わかっているだろうな」

 広場はしんと静まり返る。アルクスは思わず飛び出そうとしたが、ディゼルトに押さえつけられて動けなかった。

「ゼロ兄……!」

「静かに。動くな」

 そうこうしている間に、人垣から小柄な人影が進み出る。それはユノアで、アルクスは息を飲んだ。

「あ、あの……」

「なんだ、ばあさん」

「ライラは……他の女の子たちはどこに……」

 帝国兵たちは顔を見合わせ、下卑た笑みを浮かべる。

「あいつらはこの村からの最初の『お客』だ。せいぜいもてなしてやるよ」

「そう、盛大なおもてなしってやつだ」

 何がおかしいのか、帝国兵たちは声を立てて笑った。ユノアは蒼白になって両手で口元を押さえた。上体が揺れ、今にも倒れてしまいそうだ。それでも果敢に質問を重ねる。

「い、いつ……返して貰えるんでしょうか……」

「さあなあ。人手不足が解消したらじゃないか」

「そんな……」

「じゃあな。次までに食い物も用意して置けよ」

 一方的に言い、帝国兵たちはマーサを突き飛ばして箱のようなものに乗り込んだ。どういう原理なのか、馬もいないのに動き出して走り去っていく。

 静まり返った広場には、座り込んだマーサの泣き声だけが響く。呆然とした様子のユノアがふらふらと数歩進み、たまりかねたようにしゃがみ込んだ。

「ユノアばあちゃん!」

 アルクスはディゼルトの腕を振り解き、ユノアに駆け寄る。

「大丈夫? しっかりして」

「ああ……アルくん。ええ、平気……平気よ」

「ライラねえちゃんたちはきっと大丈夫だよ。フィーアが一緒だし」

「ええ……ええ、そうだねえ。ありがとうね」

 ユノアは青い顔に無理矢理のような笑みを浮かべて見せた。ディゼルトも側に来ていて、ユノアは立ち上がるのに手を貸す。

「おまえが連れてきたのか、マーサ!」

 大声に振り返れば、うすくまったマーサを男たちが囲んでいる。マーサは顔をゆがめ、頭を抱えるようにして顔をおおった。

「ご、ごめんなさい……」

「一人だけ戻ってきやがって! 恥を知れ!」

「どうしてくれるんだ! 何もかも奪われてしまうぞ!」

「村が焼かれたら、おまえのせいだからな!」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 泣きながら謝る少女を取り囲んで、寄ってたかって勝手なことを言う大人たちに酷く腹が立ち、アルクスは声を張り上げた。

「マーサねえちゃんは悪くないだろ!」

 その場にいる全員が弾かれたようにアルクスを見た。構わず、アルクスは叫びと共に怒りを吐き出す。

「友達を人質に取られて、自分は脅されて、それでも刃向かえって言うのかよ! 全員殺されてたかも知れないのに、マーサねえちゃんだけでも無事でよかったって、なんで言えないんだ!」

 広場は水を打ったように静まり返った。しばし、風の音だけが空間を満たす。

「ふ、ふん、余所者が……」

「知った口を……」

 気まずげに、それでも捨て台詞を残して、男たちは散っていった。それで戒めを解かれたかのように、広場に集まった人々も三々五々帰っていく。その中で、女性が一人、マーサに駆け寄った。傍らに両膝をついて抱き締める。

「マーサ、マーサ……ああ、無事でよかったわ」

「お母さん……」

 抱き合って泣く母子おやこにディゼルトが近付き、目線を合わせるように膝をついた。

「マーサさん、具合が悪いところはないか? 怪我は?」

 泣き濡れた顔を上げたマーサは、ディゼルトを見上げて小さくかぶりを振った。

「いいえ……怪我はありません」

「では、思い出したくないかもしれないが、教えて欲しい。帝国兵と遭遇したのはどのあたりだった?」

 記憶を探るように斜め上を見て、マーサは答える。

「森です、北の……」

「北というのは、真北?」

「いいえ、正確には北東の方です……細い道が通ってるんですけど、そこで……」

「フィーアたちをさらった連中が向かった方角はわかるか?」

「そのまま、北東へ行きました。帝国の車に乗せられたので、道は外れていないと思います」

「そうか、ありがとう。―――君だけでも無事で本当によかった」

「いえ……」

 マーサは顔を伏せてかぶりを振った。涙を拭い、アルクスを見る。

「アルくん、さっきはありがとう。……フィーアちゃんと帰ってこられなくて、ごめんね」

 マーサが謝ることはないと、アルクスは勢いよく首を左右に振った。

「ううん、マーサねえちゃんが無事でよかった。フィーアが一緒なら、ライラねえちゃんもエミリアねえちゃんも大丈夫だよ。すぐ帰ってくるよ」

 ありがとう、と繰り返し、マーサは薬草の束を差し出した。

「これ、フィーアちゃんが摘んだ分。せめて持っていって」

「うん、ありがと」

「あとね、フィーアちゃんが貸してくれたの。お守りだって……わたしを守ってくれたわ」

 言いながらマーサは左手首から腕輪を外した。古ぼけたそれは確かにフィアルカのもので、アルクスは驚く。この腕輪はフィアルカが肌身離さず身に着けていたもので、由来は聞いたことがないが、よほど大切なものなのだろうと思っていた。これを使わねばならないくらい逼迫ひっぱくした状況だったのだろう。

「わかった、フィーアに返すよ」

 アルクスに薬草の束と腕輪を渡すと、マーサは母親の手を借りて立ち上がった。頭を下げながら広場を去っていく。

 腕輪からは微かにフィーアの魔力が伝わってきて、アルクスは鈍色にびいろの表面を撫でた。太さはアルクスの人差し指ほど、元は銀色だったのだろうそれには、意匠化された植物のような細かい文様が彫り込まれている。

(マーサねえちゃんを守るために……)

 一人で残ったマーサが無体な仕打ちを受けないようにだろう。いかな帝国兵とはいえ、案内させようという相手を傷つけるような真似はしないと思うが、絶対にないとは言い切れない。

 いつの間にか日は落ちており、周囲にはアルクスとディゼルトの他には誰もいなくなっていた。

「おれたちも帰ろっか、ゼロ兄」

「……ああ。これからのことを考えよう」

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