第一章 4-2

 アルクスの正面で立ち止まったディゼルトは、特に怒りは感じさせない声音で言う。

「無事でよかった、アル。さっき向こうでライラさんとユノアさんに会った」

「……ごめんなさい」

「何がだ?」

 問い返されるとは思わなかったので、アルクスはディゼルトを見上げた。

「一人で……黙って狩りに行ったこと」

「それは、もうしないでくれ。村の中にも畑にも姿がなくて、一軒一軒家を訪ねて見つからなければ、森を焼こうかと思った」

「う、うん……もうしない。ごめん」

 普段と変わらないように見えて、内心動揺していたらしい。森を焼かれては大変なので、行き先を告げずに出掛けるのはやめようとアルクスは心に決めた。

「どうして今日に限って一人で行ったんだ? 何か理由があるんだろう」

「それは……」

 素直に説明するのは照れくさくて、アルクスは言葉を濁そうとした。しかし、ディゼルトにまっすぐに見つめられて観念する。

「……怪我治ったばっかりなのに、外の用事はいっつもゼロ兄だから……おれ一人でも大丈夫だって……」

 黙って出掛けた理由をぼそぼそと白状すれば、ディゼルトはフィアルカと同じように困ったような表情になった。

「気を遣ってくれるのは嬉しいが、アル。君が一番」

「わかってる、一番見つかっちゃ駄目なのはおれだって。でも……」

 守って貰ってばかりで、何もできないのがアルクスはもどかしい。自分がもっと強ければ、ディゼルトは怪我をしなくて済んだし、そもそも帝国の侵攻を許すことはなかった。だからせめて、できることはしなければ、役に立たなければという焦燥感が常にある。

 ぽん、と軽く頭を撫でられ、アルクスはいつの間にか俯いていた顔を上げた。目が合うと、ディゼルトは笑む。

「気遣いは嬉しい。ありがとう」

 礼を言われるようなことはしていないので、アルクスは無言でかぶりを振った。すると、ディゼルトはにやりと笑みの質を変える。

「それはさておき、黙って出かけた罰として、今日のまき割りはアルにやって貰おうか」

 薪割りくらいアルクスには罰にもならないが、ディゼルトは罪滅ぼしの機会をくれたのだろう。今回のことを、アルクスが引き摺らないように。だから、アルクスもいやそうに顔をしかめてみせる。

「ええー。半分じゃ駄目?」

「駄目だ」

 もう一度、今度は強めに頭を押さえられて、アルクスは苦笑いをした。すると、安心したように笑みを浮かべたフィアルカが二人を交互に見上げる。

「それじゃあ、帰って朝ご飯にしましょう。アルもゼロさ……兄様も、お腹が空いたでしょう」

「うん、もうぺこぺこ……あ」

 同意しかけて、森で見かけた帝国兵のことを思い出し、アルクスは声を上げた。フィアルカは首をかしげる。

「どうかしたの?」

「ちょっとね。帰ってから話すよ」

「人に聞かれたくない話か?」

 ディゼルトに問われて、アルクスは少し考えてから首肯した。

「うん? ……うん、あんまり言わない方がいいと思う」

「それなら、ここのほうがいい。隠れられる場所がないから」

 ディゼルトの言うとおり、周辺に建物や木立などはなく、人の気配もない。隠れるとしたら地面の下くらいだが、それには周到な準備が必要だろう。

「そっか。―――あのさ、森の中で……帝国兵を見たんだ」

 告げれば、フィアルカは息を飲んで口元を押さえ、ディゼルトは瞠目どうもくした後、険しい表情になった。

「場所はどこだ。人数は? 様子はどうだった」

「え、えっと……」

「ゼロ様、落ち着いてくださいませ」

 フィアルカにたしなめられ、ディゼルトは我に返った様子で目を瞬いた。

「……そうだな、すまない。順番に教えてくれ、アル」

 頷き、アルクスは帝国兵のことを説明する。

「見かけたところは、森に入って東にちょっと行ったとこ。こないだゼロ兄が連れて行ってくれた、開けた場所の先」

 帝国兵は特に緊迫したようではなく、特殊な装備をしている様子もなかった。北西から南東に向かっており、人数は五人。その中に将校らしき人物はいなかった。

 アルクスの話を聞いたフィアルカは、信じられないとでも言うようにかぶりを振った。

「そんな近くに……何もなくてよかったわ、本当に」

「おれもびっくりした。何しに来てたんだろう? 近くに拠点があるのかな」

「……炎国えんこくミルザムが落ちたのは十五年も前だ。今でも帝国が支配している」

 この村は水国すいこくシェリアークとの国境に近いが、東にはミルザムとの国境もある。そこの拠点に戻る途中ではないかとディゼルトは語った。

「アルドラ、ミルザム、シェリアークの三国の境が接する場所に近いし、国境を監視するための砦は必ずあるはずだ。この村は街道から外れているから、兵士が通ったのはたまたまか、巡回ルートが変わったのか」

 油断はできないと呟いたディゼルトは、表情を緩めてくしゃりとアルクスの頭を掻き混ぜた。

「よく我慢したな」

「……うん」

 蹴散らしてしまいたいと思った、というのは胸中で呟くだけにした。おそらく、ディゼルトには伝わってしまっているだろうが。

「早晩この村も見つかるかもしれない。明日にでも発ったほうがいいな」

 アルクスは思わず目を見開いた。無論、近いうちに村を出なければならないのだが、明日だとは思っていなかった。

「え、でも、ゼロ兄……身体は?」

「もう大丈夫だ。迷惑をかけた」

「ううん、迷惑とかじゃ全然ないんだけど……」

 語尾を濁してフィアルカを見れば、彼女は複雑そうな顔をしている。

「……普通に旅をするなら問題ないと思うわ」

 歯切れの悪い答えからして、おそらく、フィアルカとしてはまだディゼルトに療養していて欲しいのだろう。アルクスとて同じだ。しかし、本調子とは行かなくても復調したとなれば、ディゼルトはきっと、留まることを承服しない。帝国兵のことがあるなら尚更だ。

「じゃあ……、支度しないとね」

 頷き、フィアルカが言う。

「午後から、ライラちゃんたちと薬草を摘みに行くことになっているので、それとなく訊いてみます。これまで村の近くに帝国兵がくることがあったのか」

「ああ。頼む」

「いいなー。おれも行きたい」

「アルは薪割りだ」

「……はーい」

 間髪入れずに言われ、アルクスは不承不承返事をした。

「え、でも明日発つなら薪割り必要なくない?」

「必要あるかどうかじゃなく、罰だから」

 ディゼルトに真顔で言われて、アルクスは反論できずに口を噤んだ。

「女の子ばかりで行くから、アルが行ってもつまらないかもしれないわよ」

「……そだね」

 取りなすように言うフィアルカに同意する。女の子に囲まれて、ディゼルトのことを根掘り葉掘り訊かれるのは容易に想像できる。少女たちはディゼルトにとても興味があるらしい。ディゼルト本人は質問攻めをいやがって逃げ回っているので、尚更アルクスやフィアルカに質問が飛んでくる。

「フィーアも気を付けて。複数で行くとはいえ、あまり村から離れないように」

「はい、ディゼルト様」

 神妙な面持ちで頷くフィアルカを見下ろして、ディゼルトは複雑そうな顔になった。

「……フィーア、何度も言うが」

「あ、は、はい。あの……ゼロ、兄様」

「フィーアもゼロ兄って呼べばいいのに。そうでなくても、おれたち似てないんだから、本当のきょうだいじゃないってばれちゃうよ」

 髪の色からして、アルクスは金、フィアルカは赤茶、ディゼルトは黒と、ばらばらだ。複雑な家庭の子どもたちだと思われているかも知れない。

「ずっとディゼルト様とお呼びしていたから、なかなか……」

「おれのことはアルって呼ぶじゃん」

「アルは昔からアルだもの。アルだって、わたしのことをフィーアねえとは呼ばないでしょう」

 たしかに、とアルクスは納得してしまった。年はフィアルカの方が二つか三つ上だが、昔からフィーアと呼んでいたし、侍女というよりは幼馴染みなので、今更姉のように扱えと言われても困る。

「それとも、アルクス殿下って呼んだ方がいい? これまでの非礼をお詫びいたしまして、改めますわ、アルクス殿下」

「やだ。やめて。本当にいやだ」

 フィアルカとて、ディゼルト以外の人物がいるときや公の場では、侍女らしい態度をとる。それは仕方がないと我慢しているが、常に丁寧に接されたら、距離を感じて悲しくなってしまう。

 思い切り首を左右に振るアルクスを、苦笑いのディゼルトが遮った。

「とりあえず、帰ろうか。安心したら腹が減った」

「うん、帰ろう」

「急いで支度しますね」

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