第二章 15

 15


 朝は日の出とほぼ同時に起きる。

 水みに始まり、軽く掃除をして、朝食の準備。朝食が済んだら後片付けをし、その後は洗濯、狩り、採集、畑や家畜の世話など、日々の仕事をこなす。

 山は冬の訪れが早いので、今から少しずつ冬籠もりの準備を始めなければならない。今日はバルトロから干し肉の作り方を教わった。明日は蜜蝋みつろうを使った蝋燭ろうそくを作るという。

 そんな日々が十日ほど続き、

「これが一体何になるって言うんですか!」

 アルクスが爆発した。

 ちょうど洗濯物を干し終わったフィアルカは、大声に驚いて裏庭に回る。そこには、まき割りをしていたらしく斧を手にしたアルクスと、切り株に腰掛けて選り分けた薬草をくくっているバルトロがいる。

 バルトロは括った薬草の束を籠に投げ入れ、他人事のような口調で言う。

「いやー、そろそろかと思っていたがアルクス殿下、おぬし真面目だのう。きっちり薪を割り終わってから怒り出すとは」

「ふざけないでください!」

「ふざけてなどおらんよ。何になるのかという問いには、燃料になると答えよう」

 怒気を向けられても、バルトロは飄々ひょうひょううそぶく。アルクスが更にいら立つのが感じられて、フィアルカははらはらと二人を交互に見た。

「そういうことを訊いてるんじゃありません!」

「ではなんだね」

「ここへ来てから家のことしかやってませんよ! バルトロさんは、レイさんのお師匠様なんでしょう!? おれにも武芸を教えてください!」

「武芸を? そうレイ坊が言ったのか?」

「そうです。休養が必要ないと判断したら、稽古をつけてくれるだろうって」

「なるほど。……あ奴め、適当なことを」

「おれはもう平気です! 水汲みも薪割りも狩りも畑も、全部できます!」

 再び声を上げるアルクスを見上げ、バルトロは楽しげな笑みを浮かべた。

「そうそう、アルドラ国王の一粒種だというから、てっきりレイ坊のような箱入りだと思っておったが、なかなかどうして生活力があるのう。誰に教わったんじゃ」

 フィアルカは思わず息を飲み、アルクスに視線を向けた。彼は表情を曇らせて視線を落とす。

「ゼロにい……傍仕そばづかえに」

「ふむ。腕のよい傍仕えだったんじゃな」

「ええ……なんでもできて、物知りで……おれがシェリアークに辿り着けたのも、彼の力が大きいです」

「そうか……惜しい人を」

「死んでません!!」

 言い終わる前に噛みつくように言うアルクスに、バルトロは目を丸くした。アルクスは語気を強めて捲し立てる。

「行方がわからないだけです! 帝国に捕まっているかもしれない!」

「すまぬ、失言じゃった。―――捜しに行くためにも、まずはアルクス殿下が休まぬとな」

「おれは平気だって言ってるじゃないですか!」

「疲れるのは身体だけではない。心の疲れの方が目に見えぬで、厄介だ」

 腹立たしげに息をつき、アルクスは話にならないとばかりにきびすを返した。バルトロが追いかけてその手首をつかまえる。

「これ、待ちなさい」

「放してください!」

「アルクス殿下は冷静ではない。少し落ち着いて―――」

「バルトロさんも、レイさんと同じことを言うんですね。おれは冷静だし落ち着いています!」

「何をそんなに焦っとるんじゃ。話を聞きなさい」

「焦ってなんかいません、放してください」

「待てと言うのに」

「だからっ……」

 フィアルカには何が起きたかわからなかった。バルトロに掴まれた腕を強く引き寄せたアルクスが、次の瞬間には地面に転がっている。

「……え?」

 本人にもわけがわからないらしく、アルクスは仰向けに寝転がったまま、きょとんとバルトロを見上げている。

「受け身は取れるようじゃな」

 独り言のようなバルトロの言葉で我に返ったらしく、アルクスは跳ね起きてバルトロに迫った。

「ど、どうやったんですか!? 教えてください、今の!」

「教える段階にないんじゃよ。―――ちょっとそこへお座り」

「教えてください!」

「座れ、と言うた」

 バルトロの声がにわかに冷え、アルクスは気圧けおされたように口をつぐんだ。フィアルカも思わず身をすくめる。普段は穏やかな老爺ろうやなので忘れがちだが、シェリアークの元導師でレイツェルの教育係なのだ。徒人ただびとであるはずがない。

「フィアルカ嬢もおいで」

 一転、好々爺こうこうやの笑みに戻って言うバルトロに呼ばれ、フィアルカははっと顔を上げた。悪戯いたずらとがめられたような気分で二人へ近付く。

「すみません……」

「なぜ謝るのかの」

「立ち聞きをしてしまって」

「聞かれて困るようなことなら、こんなところで大声で話さんよ。洗濯、ありがとうの」

「いえ……」

 フィアルカは曖昧あいまいに首を左右に振りながら、示された丸太に腰を下ろした。それを待ってから、アルクス自身は座ることはせずに口を開く。

「とにかく、何を言われてもおれは、帝国を倒します。倒さなきゃいけないんです。そのためには今すぐ強くならないと。稽古をつけてください!」

「それが冷静ではないと言うに。それと、人の話はちゃんと最後まで聞け。別に儂は帝国を倒すなとは言っておらんぞ」

 アルクスは意外そうに目を瞬く。

「……そうなんですか?」

「なぜ儂が止めねばならんのだ。アルクス殿下が周りの人々に愛され、大切にされて育ったのは、見ていればわかる。そんな人々を殺され、国を滅ぼされて、ゆるせるはずがなかろう」

 バルトロの言葉を聞いて、アルクスが小さく息を飲んだ。思わず見上げると、彼は痛みをこらえているような、己の感情を掴みかねているような、複雑な表情をしている。

 立ち尽くすアルクスを座らせることは諦めたか、バルトロも立ったまま続けた。

「レイ坊も言っていたようじゃが、落ち着け、冷静になれというのは、帝国を赦せとか、諦めろとか、そういう意味ではない。目的と手段を履き違えるなということじゃ。―――最終目標は帝国の打倒だとして、まずは目先の目的を定め、それを達成するにはどうすればいいか、考えなさい。怒りや恨み、憎しみが原動力でもよい。ただし、切り離しておくことじゃ。感情だけで突っ走ってはいかん」

「帝国を倒すのに目的も手段も」

「聞け」

 口を挟もうとするアルクスへ、バルトロは辛抱強く繰り返す。

「よいか、今、アルクス殿下が闇雲に動いて敵の手に落ちたとする。さすれば、潜伏して力を蓄え、機を待っていたアルドラ国の人々は、助けに出てこざるを得ぬ。その結果、全滅したとしたら、アルクス殿下は本望か?」

 フィアルカは思わず目を見開いた。アルクスを水国すいこくシェリアークに送り届けることで頭がいっぱいだったので、アルドラに留まってスヴァルド帝国に抵抗している人々のことを考えたことがなかった。アルクスやフィアルカが帝国の打倒を考えるように、一方的な支配に反発する人々も当然いるだろう。アルクスの焦りは、彼らを思ってもあるかもしれない。

(視野が狭いのは、わたしだわ……)

 アルクスは俯き、力なくかぶりを振った。

「……いいえ。でも……こうしている間にも、帝国は無体を働きます」

「そうじゃな。だが、アルクス殿下の身は一つじゃ。人間、できることには限りがある。あれもこれもと手を広げては、できることもできなくなってしまう」

「理屈は、わかりますけど……おれだけ安全なところに隠れているのは申し訳なくて。匿ってもらって、のんびりして……」

「ふむ。ならば問うが、レイ坊は腕のいい治癒術師じゃ。大抵の怪我や病は癒やしてしまう。水の継承者でなければ、よい魔法医になっていたことじゃろう。そのレイ坊でも、苦しむ人々全員を救うことはできん。それを、レイ坊の怠惰たいだだと思うかね」

「思いません」

「そうじゃろう? そういうことじゃ。大切なのはそれぞれの枠の中で、何をするか、何ができるかじゃよ」

 バルトロの言葉を噛み締めるようにしばし無言でいたアルクスは、もう一度首を左右に振る。

「今のおれにできることはありません。だから……、強くならないといけないんです」

「そう感じるとしたら、アルクス殿下が自分の枠を、まだわかっておらぬのかもしれぬな。――― 一つ確実なのは、アルクス殿下が無事でいることが、アルドラの民の大きな希望だということじゃ。シェリアークに保護されたことはアルドラにも伝わって、多くの人々を勇気づけたはずじゃ。殿下は既に成し遂げておる。申し訳ないなどと思う必要はないよ」

 顔を伏せたままのアルクスの頭を、バルトロはやんわりと撫でた。

「よく無事でござった。……辛かったな。頑張ったなあ」

 バルトロは本当の祖父のような声音で言う。一呼吸ほどの沈黙が落ち、引きつったような呼吸が聞こえたので見れば、アルクスがぽろぽろと涙を零していた。

「……ふ……っ、う……」

 静かに泣き続けるアルクスの頭を肩に引き寄せ、バルトロはアルクスの背をぽんぽんと叩いた。

 フィアルカが立ち上がるとバルトロと目が合った。小さく頷くのに礼を返してそっとその場を離れる。自分がいない方が、アルクスは内なるものを吐き出せるだろう。

(わたしには、できない……)

 アルドラ王城を落ちてから、アルクスが泣くのはフィアルカが知る限り初めてのことだ。光の継承者と、アルドラの王子という重圧は、フィアルカには想像もできない。ずっと気を張ってきて、今ようやくそれが緩んだ―――緩めることができたのだろう。

 アルクスの心を解いてくれたバルトロには感謝してもし切れない。ここへ来るよう計らってくれたレイツェルにもだ。

 アルドラ王城を落ちてから、ずっと行動を共にしてたフィアルカは、良くも悪くもアルクスに寄り添うことしかできない。フィアルカの前で、アルクスが弱音を吐いたり涙を見せたりすることはないだろう。

(わたしも強くならなければ)

 バルトロがレイツェルの師であるならば、継承者の「力」を制御する方法、あるいは制御までいかなくとも暴走をさせないようにする方法を知っているかもしれない。強い「力」を持っていたとしても、使えなければ意味がない。そして、使いこなせないからと陰に隠れていることが許される状況でもない。

(後でバルトロさんに訊いてみよう)

 考えながらフィアルカは、置きっぱなしになっていた洗濯桶を片付けて小屋に戻った。アルクスが落ち着くまで時間がかかるかもしれないので、先に昼食の支度をしておこうと思う。

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