三章 7-1

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 今思えば、実験だったのだろう。

 雷国ノールレイ北東、島嶼部とうしょぶ沖に突然帝国軍が現れた。後に、闇国あんこく玄耀げんようが手引きし、帝国軍に領海を通らせたということが判明したが、そのときは知る由もなく、国境警備隊は対応に追われた。

 帝国軍はしばらくアピス島沖に停泊していたが、あるときを境に、魔法障壁内では使えないはずの火器を使い始めたという。そして、宣戦布告をすることなく、進軍を開始した。

 火力に押され、国境守備隊は帝国軍のアピス島への上陸を許してしまう。その時点で全島民の避難と、増援と共に雷の継承者であるセギンの臨場が決定された。


「状況は」

 天幕の中、広げられた地図を見下ろしながらセギンが問えば、国境警備隊の隊長は恐縮しながら言う。

「は、島民の避難は九割方完了しました。帝国軍の砲撃が激しく、距離を詰められずおります。上陸後は、敵方に目立った動きは見られません。こちらの動きに合わせて反撃してきますが」

「進軍してこない? アピス島以外には攻撃しないのか?」

「はい。ですので、ひとまず島民は別の島へ避難させました。本土への移送の準備中です」

「準備を急がせろ。帝国軍は島嶼部で食い止める」

「承知しました」

(他に大きな島や同じ規模の島もあるというのに、ここだけに留まっているというのは、アピス島に目的があるか、ここから動けないか―――ここでしか動けないか)

 帝国の主力は銃や大砲などの火器で、対するこちらは、飛び道具と言えば弓と魔法だ。セギンが率いてきた増援は、火器対策のため魔導師部隊が中心で、前線に展開すれば銃による攻撃は防げるだろう。距離さえ詰めてしまえばこちらが有利だ。

(魔導師部隊の増援を更に頼むとして……謎なのが、急に火器が使えるようになった理由だな)

 精霊が機械や火器を嫌うがゆえに、魔法障壁内でそれらは機能しない。そのはずが、現に帝国軍は火器を使っている。

「帝国軍が火器を使い出す前に、何か変わったことはなかったか」

「変わったこと、と申しますと」

「なんでもいい。前触れのような」

「前触れ……」

 しばらく考え、隊長は首を捻りながら言う。

「そういえば……という程度でしたら。そのときは何も思わなかったのですが」

「何だ?」

「空に青白い閃光が見えました。一瞬でしたし、天候が荒れていたので、雷かと。しかし、その日以降です。帝国が艦砲を撃ってきたのは」

 この季節には珍しい荒天だったので覚えています、と隊長は付け加えた。

「閃光……」

 雷と見紛みまごう閃光がほとばしった後、火器が使えるようになったというのなら、そこで魔法障壁に何らかの異変が起きたと考えるのが妥当だ。障壁内でも火器を自由に使えるようにする何かならば、ここに留まらず他のルートからも本土への上陸を目指すはずだ。

 万が一の時のためにと、セギンはノールレイ国王から「要」を託されている。帝国軍が火器を使い出したという報告を聞いてから、国王の頭にも魔法障壁の異常の可能性があったのだろう。雷の継承者であるセギンと、「要」があれば魔法障壁を展開し直すことができる。

 セギンが見る限り、魔法障壁に大きな異常は感じられない。警備隊長の話と状況を鑑みて、アピス島周辺の極狭い範囲だけ隙間ができるか何かして、火器の使用が可能になったというのが考えられる。

 障壁は修復できるが、そのためには、異常のある箇所を確認しなくてはならない。展開し直すとなると、一度、魔法障壁を全て消すことになる。帝国軍を眼前に置いて、それは避けたい。

「帝国軍はどのあたりに布陣している?」

「北東の海岸近く、平野部に。方陣の中央に一際ひときわ大きな大筒おおづつを据えています。まだ撃ってはきませんが」

「なるほど。では明日、魔導師部隊を中心に出す。―――このあたりで一番高い場所はどこだ?」

 隊長は迷いなく指先を滑らせた。

「ここでしょうか。山と言うには低いですが、周囲が一望できます」

「わかった。ちょっと出て来る」

 地図で位置を確認し、セギンは天幕を出た。警備隊隊長が慌てて追いかけてくる。

「お、お待ちください、閣下。おんみずから偵察でございますか?」

「現地をこの目で見たい。何、心配無用だ。自分の身くらい守れる」

「お言葉ですが、間もなく日が落ちますし」

「日没までには戻る。皆を休ませておいてくれ」

 追いすがる隊長を振り切り、セギンは馬で高台を目指した。

(闇国玄耀が帝国と通じ、領海を通らせた……魔法障壁内で火器を扱うすべを与えたのも玄耀か? それとも、帝国が障壁を破る機械を作ったのか)

 炎国えんこくミルザムは不意打ちのように落とされた。以降、神擁しんよう七国では魔法障壁を絶やしたことがない。今回のように僅かなりとも傷がつくというのは、セギンの知る限り初めてのことだ。それを可能にしたのが機械なのなら、是非とも鹵獲ろかくしたい。そのためには、帝国軍をたたき出さねばならない。

(警備隊隊長の言う「青白い閃光」で魔法障壁に損傷ができたとして、最初は海上から撃たれたはず。障壁外だとするとかなりの距離があるが……そのための大筒か)

 考えながら馬を走らせていると、道が勾配こうばいを増し、周囲に木々が増え始めた。緩やかに蛇行する道をしばらく登ると、不意に視界が開ける。

(……ここか)

 警備隊長の言うとおり、高台からは周囲が一望できた。北側に少し進むと崖のように落ち込んでいる。上ってこられる道は、今セギンが通ってきたものしかない。

 太陽の位置から方角を推測して北東を見れば、帝国軍の陣が見える。セギンは馬から下り、向こうからは死角になる場所に立った。遠眼鏡とおめがねを借りてくれば良かったかと思いつつ目をらす。

(たしかに大筒があるな。あれが魔法障壁を傷つけたというのか)

 陣の中央に巨大な大筒が据えられている。ここから見る限りでも、本陣の天幕よりも大きな大筒だ。あれを船に乗せて運んできたのだとしても、上陸してからここまで移動させるのは相当な労力が必要だったことだろう。

 砲身がぼんやり青白く光っているように見えて、セギンは目をすがめた。大筒の帯びる光と、警備隊長が言っていた閃光は無関係ではあるまい。

 大筒の狙いは島の中央―――南、いては本土へと向けられている。おそらく本土へは届くまいが、なんとしてもここで食い止めねばならない。侵略が進んでからでは、取り返しのつかないことになる。

(定期的に偵察は出しているだろうから、大筒が常に光っているのか後で訊いてみるか)

 敵陣は確認できた。暗くなる前に戻ると言い置いてきた手前、長居はできないときびすを返しかけた瞬間、すぐ傍の木の幹がぜた。馬がいななく。

「!?」

 一瞬、遅れて破裂音が届く。狙撃されたと気付いたのはその後だった。高台は敵方も警戒しているだろうし、最初から身を隠しておかなかったのは迂闊うかつだったとセギンは内省する。まだどこか、魔法障壁の内側で銃が動くというのが実感として乏しかった。しかし、雷国らいこくノールレイの領土内で銃が使用されるのを目の当たりにして、やはり、少なくとも敵陣周辺は障壁が機能していないということを思い知る。

(詳しく調査したいところだが……あのあたりでしか機械が使えないなら、帝国軍は意地でも退くまい)

 考えていると、別の幹が弾ける。これ以上は留まらない方がよさそうだと、セギンは馬をなだめながら来た道を戻った。早急に手を打たねばならない―――二射目が来る前に。

 結論から言えば、二射目は防げなかった。魔導師部隊を中心としたノールレイ軍と、銃火器を用いる帝国軍、一進一退の攻防を繰り返し、大筒を撃つ時間を稼ぎきった帝国軍は更に行動範囲を広くして、最終的には島嶼部の殆どを巻き込む戦闘になった。

 衝突は激しさを増し、帝国軍を撤退させることはできたが、それまでにはアピス島を中心に多くの島々が焦土と化し、セギンは紋章のある左目の視力を失うこととなった。

(あのとき、大筒を鹵獲できていれば……今言っても詮無いことだが)

「……閣下。セギン閣下」

 おずおずとかけられた声で、セギンは思索しさくから引き戻された。見れば、顔馴染みの女官が、申し訳なさそうな困ったような顔をして立っている。

「ああ、すまない。考え事をしていた。もう退役した身だ、閣下はよしてくれ」

「失礼いたしました。―――国王陛下、お着きでございます」

「そうか」

 セギンは立ち上がり、ひざまずく。

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