三章 6-2

   *     *     *


 がくん、と馬車が嫌な揺れ方をして、座り込んでうとうととしていたヒューベルトは目を覚ました。

(……なんだ?)

 壌国じょうこくフェムト北部へ向かう乗合馬車だが、今の乗客はヒューベルトしかいない。季節が冬に向かいつつあり、自然、北へ移動する者は減る。それに加えて現在は、フェムトから見て北にある光国こうこくアルドラが混乱の中にあるので、北に向かう旅人は一層少なかった。

 再び馬車が大きく揺れ、道が悪いのだろうかと首をひねっていると、御者席の方から声が聞こえる。

「どうどう! 落ち着け、大丈夫だ。急にどうしたんだ?」

 どうやら、馬が怯えるか何かして馬車が揺れたらしい。嫌な予感を覚えつつ、ヒューベルトは馬車の後ろ側の戸布を捲り上げた。

(危険種か……? まだ何も見えないが)

 街道とはいえ、左右には木がまばらに生えていてあまり見通しはよくない。ヒューベルトの目には特に異変は見当たらないが、馬が反応するような何かが近くにいるようだ。

 考えていると、一瞬、陽が陰った。

(空!)

 思わず身を乗り出して見上げれば、上空に鳥にしては大きな影が旋回している。今のところ下降する様子はないが、馬が怯えたのは十中八九あれのせいだろう。暴れないまでも、速度は目に見えて落ちている。

(追い払うか? でも、下手に刺激して襲ってこられても面倒だな)

 ヒューベルトの紋章は「地」だ。空の住人とは相性が悪い。いっそ届くところまで降りてきてくれたら手の打ちようもあるのだが、飛び道具を持たず、紋章の力を使わない魔法が苦手なヒューベルトは、「鳥」を追い払おうと思ったら炎の塊を打ち上げるなど、物騒なことになる。

(……まさか、俺たちが狙われてたりしねえよな?)

 「鳥」は旋回しつつ徐々に高度を下げてきている。影のようだった姿も見分けられるようになり、翼が羽根ではなく皮膜であるのを見てとって、ヒューベルトは顔をしかめた。個人的に蝙蝠こうもりが好きではない。

(飛び方は鳥なんだがな……)

 できればあまり近付きたくない。ここに現れたのはたまたまで、早く飛び去ってくれないかと半ば祈る気持ちで眺めていると、視界の端を何かがかすめた。それは一直線に飛び、「鳥」の翼に突き刺さる。

(弓矢か? どこから)

 目をらしても射手は見えない。「鳥」が体勢を崩したところに、二謝目があたる。弓は素人のヒューベルトから見てもとんでもない腕だ。

 翼に矢を受けた「鳥」は独楽こまのように回転しながら墜落してきた。落下地点を目指して木立の間から人影が飛び出してくる。止めを刺そうというのか、人影が手にしている剣を見て、ヒューベルトは息を飲んだ。考える前に、荷物を腕に引っかけて馬車を飛び降りている。

 人影は若い男のようだった。雨でも日照りでもないのに、フードを目深に被っている。

 ヒューベルトが呆然としている間にも、フードの男は長剣を手足のように操り、墜落した「鳥」が体勢を立て直す間もなく首を落とした。牛か馬ほどもある巨体が血をまき散らしながら、どうと倒れる。

「……あ」

 我に返り、ヒューベルトはフードの男に駆け寄った。男はヒューベルトに気付いたようで、ちらと振り返ったが、すぐに興味を失ったように剣を収めて短剣を抜き、「鳥」を解体にかかる。

「よう。助かったぜ。いい腕してんな」

 声をかければ、地面に片膝をついていた男は顔を上げた。フードだけでなくゴーグルもつけており、日の光に弱いのだろうかとヒューベルトは胸中で首を捻る。

「獲物だったから仕留めただけだ。礼を言われる筋合いはない」

 素っ気なく言い、彼は手早く「鳥」を解体していく。

「獲物? あんた……」

「お知り合いですか?」

 横から声が掛かり、ヒューベルトは言いかけた言葉を途切れさせた。振り返ると、眼鏡をかけた男が近付いてくる。年の頃は三十前後か、ヒューベルトと同年代に見える彼は、フードの男と違い、どう見ても武器が扱えるようには見えない。

「初対面だ。俺はあの馬車に乗ってたんだ」

 最早、針で突いた点のようにしか見えない馬車を示せば、眼鏡の男は怪訝けげんそうな顔になった。

「……途中下車を? それともこのあたりに目的地が?」

「こんな何もないところに用はねえよ」

「でしたら何故」

「そっちのにいちゃんが持ってる剣が気になって思わず」

 ヒューベルトの言葉を聞いてか、フードの男はぴたりと手を止めた。警戒を隠さず、探るように見上げてくるのに、ヒューベルトはできるだけ愛想よく見えるように笑みを浮かべる。

「知っているのですか?」

「おい」

 興味を示した眼鏡の男を咎める声音で、フードの男が低く言う。眼鏡は困ったようにフードを見下ろした。

「手がかりは必要でしょう」

「それにしたって怪しすぎだろうが」

 ため息をついてフードの男は立ち上がる。そして、「鳥」のくちばしや冠羽、爪などを眼鏡に差し出した。鈍色にびいろの嘴には錆のような特徴的な斑紋はんもんが浮き上がっている。眼鏡は嫌そうな顔をしながらそれを受け取り、取り出した袋にしまいこんだ。

 ヒューベルトは興味本位で尋ねる。

「どうするんだ、それ」

「ギルドに提出します。討伐の証拠を持って行かないと報酬がもらえませんからね。爪なんかは買い取ってもらえますし」

「ギルド」

 思わず繰り返し、ヒューベルトは目を見開いた。まったくの直感だが、妙な確信を覚えながら声を上げる。

「まさか、北の『新人ルーキー』ってのはおまえらか!?」

「おや。私たちも有名になったものですね」

 うそぶく眼鏡に、ヒューベルトは眉を寄せる。

「なんで『新人』なんでふざけた登録名にしたんだよ。じゃなくて、おまえらのせいで俺は大損したんだ。どうしてくれる」

「そう言われましても……登録の手順がよくわからなくて、いつの間にか『新人』で登録されていまして。それに、あなたが損をしたのは私たちのせいではありませんよ。あなたに運がなかったからでしょう」

「うっせ。ぽっと出の新人がいきなり一位になるなんて思わねえだろ。それも『新人』なんて悪ふざけとしか思えない名前の奴が」

 眼鏡が反駁はんばくする前に、ヒューベルトはフードの男に向き直って先を続けた。

「なあ、その剣、ちょっと見せちゃくれねえか」

「断る」

 フードの男はにべもない。しかし、ヒューベルトもこのまま引き下がるつもりはない。

「悪いようにはしねえよ。その剣を直せるのは俺だけだ」

「……どういう意味だ」

「意味も何も、そのままだ。その剣は、俺にしか、直せない」

 言い聞かせるように区切って言ってやれば、舌打ちを堪えるかのようにフードの男の頬が動く。ゴーグルのせいで表情はよくわからないが、おそらくこちらを睨んでいるのだろう。

「何故わかる。見たわけでもないのに」

「なんでだろうなあ。ま、賭博師ギャンブラーの勘ってやつだな」

 紋章を身に宿している影響なのか、「血」のせいなのかわからないが、ヒューベルトには稀に、物に強く惹かれることがある。それは、長く時を経たもの、多くの人々に受け継がれてきたもの、強い力を持つものであることが多い。フードの男が持つ剣も、間違いなくそのたぐいだ。

 フードの男は小さく鼻を鳴らした。

「話にならない」

「あんたもわかってるだろ、その剣は本調子じゃない」

「……賭博師に剣は関係ないだろ」

「賭博師だけが俺の全てじゃねえさ」

 フードの男は迷う様子で束の間沈黙したが、すぐにかぶりを振った。

「何を言われても断る。この剣は見世物じゃない。軽々しく他人に渡していいものでもない」

「へえ。そんなに由緒正しいもんなのか」

「……知らない」

「あん?」

 ぼそりと呟かれた言葉の意味を量りかね、ヒューベルトは眉を寄せる。しかし、更に問いを重ねる前に眼鏡の男が割って入った。

「まあまあ、お喋りはこれくらいにしましょう。血の臭いに引かれて別の危険種が寄ってこないとも限りません」

「あー……始末すりゃいいんだな」

 返事を聞かず、ヒューベルトは片膝をついた。右手の指先を地面に触れさせ、「鳥」の残骸の周囲だけ、地面が深くえぐれる様を思い浮かべる。一拍の後、「鳥」は地面に沈み込んだ。手を離すと、「鳥」を飲み込んだ地面は何事もなかったかのように平面に戻った。

 手と膝を払いながら立ち上がるヒューベルトを見て、フードの男が小さく息を飲んだ。独白のように呟く。

「今の……」

「うん?」

「……なんでもない」

 口を閉じてしまったフードの男の言葉を引き取るように、眼鏡が言う。

「今のは魔法ですか。すごいですね、あの巨体が一瞬で」

「これで文句ねえだろ。お喋りの続きといこうや」

 眼鏡は困ったような笑みを浮かべ、フードの男を見た。

「……どうします?」

「断る」

「だそうです。では、ご縁があったらまた」

「待て待て待て。ご縁はもうあるんだよ。勝手に終わらせんな」

 踵を返そうとする二人組を引き留め、ヒューベルトは咄嗟に提案する。

「わかった、あんたらを雇おう。どうだ、『新人ルーキー』」

 苦し紛れだったが、口にしてみれば存外悪くないように思えた。

「どうせ北の町に行くつもりだったんだ。あんたらもだろ? ここから一番近い町はそこだ。護衛を頼む」

 フードの男はやれやれとでも言いたげにため息をついた。

「いい加減しつこいな。何が目的だ」

「あんたの剣だって言ってるだろ。四の五の言わずに直させろ。そのまま放置するのはその剣への冒涜だ」

 しばらく抵抗するように黙っていたフードの男は、やがて根負けしたかのように、更に長く大きな息を吐き出した。

「……仕方ない。どうせあんた、断ってもついてくるだろ」

 諦めた口調で言うのに、ヒューベルトは笑みを返す。

「そういうことだ。―――俺はヒューベルト。あんたらは?」

「エルクです」

 眼鏡が先に名乗り、フードの方は不本意そうに呟いた。

「……ゼロ」

 偽名臭いな、とは思ったが、口には出さずにおく。ようやく折れてくれたのに、臍を曲げられては厄介だ。

「エルクにゼロな。短い間だがよろしく」

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