三章 6-1

 6


「アトリー代理、城下町の復興進捗状況報告書です」

「後ろの箱に」

「アトリー代理、本国への書類に決裁をいただきたいのですが」

「左の箱に」

「アトリー代理、水路の工事関して陳情がきております。面会希望です」

「詳細を聞いておいて。面会は後日」

「アトリー代理」

「代理、こちらを」

「すみません、代理」

「―――…そ」

 そこに一列に並べ、と声を上げそうになった瞬間、昼を告げる鐘が鳴った。吸い込んだ息を声に換えず吐き出し、アトリーは机に群がる一同を見回した。

「休憩をずらすと面倒なことになります。書類はそこに重ねておきなさい。口頭での用件は帳面に順に書いておくように。再開は一時。以上、解散」

 強制的に解散させて、アトリーは椅子の背もたれに身体を預けた。天井を仰ぎ、疲労を追い出すように細く長く息を吐く。

「お疲れ様です」

「……ええ、疲れました」

 副官に取り繕っても仕方ないだろうと、アトリーは正直に告げた。総督代理に任じられてから十日足らずだというのに―――十日足らずだからだろうか―――既に疲弊しきっている。

 皇子の前では萎縮しきっていた文官たちも、アトリー相手とあっては遠慮が無い。彼らにとってはアトリーが総督代理に就任したのは僥倖ぎょうこうだったのかも知れない。

(……お恨み申し上げますよ、レーヴハルト殿下)

 とはいえ、あの「恐嵐帝きょうらんてい」の息子が総督として来ることに、戦々恐々としていたアトリーたちは、いい意味で裏切られた。傍若無人な暴君を想像していたのだが、相対してみれば温和で理知的な青年だった。父親のせいで損をしていると言わざるを得ない。

 しかし、アトリーに総督代理を命じた張本人は、始めの数日は様子を見ながら手助けをしてくれたが、二日前、リュングダール捜索に行くと書き残して、側近二人と共に消えてしまった。

 ノアとグレイスと名乗ったレーヴハルトの側近は、部下たちは置いていくので、好きに使ってくれとのことだった。連絡役に残していったのだろうが、猫の手どころか鼠だろうと蟻だろうと手を借りたいアトリーとしては、遠慮無く手伝って貰っている。

 ノアとグレイスは二人とも近衛兵で、無論、その麾下きかも兵士だ。普段は事務仕事などとは縁遠いだろうに、武官とは思えぬほどよく働いてくれている。

 レーヴハルトは、本国から連れて来ることができたのは、両手で足りるほどだけだと言っていた。言い回しからして、何らかの力が働いていると推察される。第二皇子の権限を超える存在など、皇帝か第一皇子だけだ。

 おそらく、ミルザムにも同じく数人は残してきているだろうから、少ない手勢が更に少なくなっているに違いない。

(問題はグレナル少将ね……)

 グレナルは、総督代理に文官であり女であるアトリーが任命されたのに、全く納得がいかないらしい。気に入らない、と言い換えてもいいかもしれない。

 気持ちはわからなくもないが、文句はアトリーでなくレーヴハルトに直接言って欲しいと思う。アトリーとて、好きで総督代理になったわけではないのだ。

「わたしは休憩に行ってきます。あなたも休んでください」

 アトリーが副官に声をかけて席を立とうとした瞬間、

「アトリー女史。イレイナ・アトリー女史はいるかな!」

 今、最も聞きたくない声が聞こえて、アトリーは頭を抱えそうになった。相手の声が大きいので聞こえなかったふりもできない。

(……なぜフルネームで呼ぶのかしら)

 ため息を飲み込み、アトリーは立ち上がる。広間なので大声で呼ばなければ見つからないような場所でもない。グレナルががなり立てるのはいつものことだが、疲れている身には更に堪える。

「こちらです、グレナル少将」

「おお、アトリー女史。いや、アトリー代理と呼ぶ方が相応しいかね」

 わざとらしく言い直すグレナルに机上の文鎮を投げつけたくなりつつ、アトリーは引きりそうな頬に作り笑いを貼り付けて応える。

「お好きにどうぞ。何かご用でしょうか。仕事の話でしたら休憩明けにしていただきたいのですが」

「何、すぐ済む。レーヴハルト殿下の……」

「行き先は存じ上げませんよ」

 先手を打てば、グレナルは舌打ちを堪えるかのように片頬を微かに動かした。しかし、すぐに気を取り直したように言う。

「そうではない。残していった兵士たちのことだ」

「ええ。あの方々が何か」

「近衛兵を遊ばせておくのは勿体ない。こちらへ寄越してれんか」

 言い方こそ依頼ふうだったが、まるでそれが当然だというような態度に、アトリーは内心顔をしかめた。

「遊ばせてなどおりません。それに、彼らはたしかにレーヴハルト殿下よりお預かりしましたが、わたくしの部下ではありませんので、わたくしの一存では」

「ならば、彼らに意向を尋ねてみよ。本人たっての希望ならば、殿下もご理解くださるだろう」

「……訊くだけでしたら」

 近衛兵たちには慢性的な人手不足のところを手伝って貰っているので、正直、軍に引き抜かれるのは非常に惜しい。渋々アトリーが了承すると、グレナルは満足げに頷いた。

「まあ、あの『あおの騎士団』所属だ。答えは決まっているだろうが」

「騎士団」

 今日日きょうび、本の中でしか見ないような言葉だったので思わず繰り返したのだが、グレナルはアトリーが理解できなかったと解釈したらしく、小馬鹿にしたように講釈を垂れ始めた。

「おや、知らんのかね。近衛隊は何が起きても皇族を最優先に守護する。その様子から、軍では通称『騎士団』と呼ばれているのだ。色は、護衛対象によって制服が色分けされているからだな」

 それくらいはアトリーとて知っていたし、軍内部の常識をさも一般的なもののように語るなと思ったが、無論、口には出さない。

「なるほど、さすがは少将。軍のことにはお詳しくていらっしゃる」

「それほどでもない。では、頼んだぞ」

 皮肉のつもりだったのだが通じなかったらしく、グレナルは上機嫌で退出していった。一気に疲労感が倍増したアトリーは、机に突っ伏す。

「……お昼、お持ちしましょうか」

 気遣わしげに訊いてくる副官へ、アトリーは顔も上げぬまま片手を振った。

「ありがとう。でも結構よ、気分転換に出てきます」

 堪えきれなかった嘆息と共に、アトリーはよろよろと立ち上がった。一時までには戻らなければならないと考えると、このままどこかへ行ってしまいたくなる。

(……旅にでも出たい)

 晴れ上がった空とは裏腹に、アトリーの足取りは重い。何せ、午後には本国からの客を迎えなければならないのだ。

 魔法障壁が消えて車両が使えるようになり、移動は格段に早く、楽になった。その分、もっと先だと思っていた来訪者が、あっという間に到着してしまうことにもなった。便利になるのも善し悪しだと、アトリーは嘆息する。

(しかも、あの特務隊……曲者くせもの揃いで有名な)

 表向き、行方不明のアルドラ国王リュングダールの捜索に協力するためという名目だが、額面通りに受け取る者はいない。グレナルが近衛兵を寄越せと言ってきたのも、少しでもアルドラに駐屯している第四師団の威容を増したいからなのかもしれない。

(特務隊に威嚇は無駄だと思うけれど。……何も起きないよう祈るしかないわ)

 間の悪いことに、特務隊の到着予定日時の報せが入ったのは、レーヴハルトたちが出て行った直後だった。そちらが先だったら、さすがのレーヴハルトも残って対応しただろう。城下町や近隣の集落に、レーヴハルトが現れたら城に戻るよう事情を説明して欲しいと伝えたが、見つかるかどうかは微妙なところだ。

(本当に、何も起きませんように)

 休憩時間にまで仕事のことを思い悩むのはやめようと、アトリーは特務隊のことを無理矢理頭から追い出した。どうせ、対面すれば否応なく考えなければならないのだ。

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