第二章 9

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 廊下でレイツェルと別れてから、あれよあれよという間に湯に入れられて全身を磨かれ、用意された服に着替えさせられた。くたびれ切った旅装束は、洗濯してくれるらしい。

(なんでおれのサイズがわかったんだろう……)

 提供された着替えは丈も袖も幅もぴったりだった。上下とも白を基調にしており、すぐ汚すからという理由で白はあまり着せられたことがないアルクスは、なんだから落ち着かずにそわそわとしていた。

 着替えた後は応接室と思しき場所に通され、ここで待っていろと言われてしばらく経つ。扉は開け放たれているが、目隠しの衝立が立ててあるので廊下の様子は見えない。時折、人が通って行くのがわかるくらいである。

(神殿の人ってみんな静かに歩くのかな)

 フィアルカがまだこないので、壁際に控えている神官に尋ねてみようかと思ったとき、

「失礼いたします。フィアルカ様、お着きでございます」

 女性の声がしてそちらを見れば、促されたフィアルカが衝立を回り込んでくるところだった。彼女の服装もやはり白で、くるぶしまである長いスカートと、手の甲まで覆う袖、襟は詰まっており、肌を極力見せないような意匠になっている。

 長くて歩き辛そうなスカートだが、フィアルカは器用にさばいてアルクスのいるテーブルまで近付いてきた。

「……わたしまで、いいのかしら」

「いいんじゃない? 今まできてた服、持っていかれちゃったし」

 わざわざ湯に入れられて、着替えまでさせられたということは、旅装のままの格好で神殿内をうろつくなということだろう。レイツェルが神官に指示を出していたので、彼の気遣いかもしれない。

「なんだか申し訳ないわ」

 困り顔のフィアルカに向かいの椅子を示せば、彼女はおずおずと腰かけた。見計らったかのように女官がお茶を出し、しずしずと退出していく。

「本当にお綺麗なかたね」

「え? ああ、レイさん?」

「ええ。さっきお目にかかったとき、驚いたわ。彫刻が動いているのかと思った」

 フィアルカの言葉に、アルクスは頷く。五年ぶりに会うレイツェルは、記憶にある姿よりも更に輝きを増しているようだった。以前見えたときは今のアルクスと同じくらいの年で、中性的な容姿だったが、今は女性と見間違うようなことはない。しかし、飛び抜けた美人であることには変わりない。

「でもまあ、ゼロにいのほうがかっこいいけど」

 冗談半分で言えば、フィアルカは意外そうに瞠目した。

「それは聞き捨てならないね」

 彼女が何か言う前に声が飛んできて、二人は同時に振り返る。見れば、部屋に入ってきたレイツェルが、片手を振って神官を下がらせるところだった。

 扉が閉じられ、部屋には三人きりになる。慌てて立ち上がるフィアルカにつられるようにアルクスも立ち上がると、テーブルの前で足を止めたレイツェルは、小首をかしげて淡く笑んだ。

(相変わらず美人……)

 極上の絹糸のような長い青銀髪を緩く束ね、同じ色の睫毛が薄く影を落とす頬は磨き抜かれた月長石。どんな彫刻をも凌ぐと称される相貌と肢体。青玉の瞳はどこまでも深く、澄み切った湖を切り取ってはめ込んだかのようだ。

「ゼロ兄とは? アルクス殿下には、兄君はいなかったと記憶しているけれど」

「あ、えっと……おれの、傍仕えです。物心つく前から一緒なので、殆ど兄のような……」

「ああ、名前は聞いたことがあるな。たしか、ディゼルト。私よりも格好いいとは、よほどなのだろうね」

「その……なんて言うか、レイさんとはかっこよさの方向性は違うんですけど……」

 しどろもどろに弁解していると、不意にレイツェルが噴き出した。おかしそうにくすくすと笑う。

「冗談だよ。アルクス殿下は素直だね。私より格好いい人なんてたくさんいるに決まっているじゃないか」

「いや、いないと思います」

 即座に否定すれば、困ったような笑みになって、レイツェルは開いている椅子に腰を下ろした。アルクスも座り直して、ふと見れば、フィアルカがいつの間にか壁際まで下がっている。

 アルクスの視線に気づいたらしいレイツェルがフィアルカを振り返り、手招いた。

「君もこちらに。ここからは、『継承者』として話をしよう」

「……はい」

「と、その前に。フィアルカ嬢とは初対面だね。炎の紋章を見せてもらえるかい?」

「え……」

 テーブルへ近付こうとしていたフィアルカは、戸惑ったように立ち止まる。レイツェルは淡く笑んで小首をかしげた。

「駄目かな。だとすると、出て行ってもらわなければならない」

「フィーアは炎の継承者です。おれが保証します」

 慌てて口を挟めば、レイツェルは小さくかぶりを振る。

「アルクス殿下を疑っているわけではないんだ。でも、この目でたしかめたい。立場上、疑り深くあらねばならなくてね」

「でも……」

 アルクスが言葉を探しているうちに、フィアルカが決心したように頷いた。

「わ……わかりました。ご無礼を、ご容赦ください」

「フィーア!」

「いいの。レイツェル猊下のお言葉はごもっともよ」

 フィアルカの決意は固いらしい。焦ったアルクスは腰を浮かしかける。

「あ、じゃ、じゃあ、おれは、向こうに……」

「大丈夫よ、アル」

 フィアルカは一度深呼吸をすると、スカートを思いきりまくりあげた。アルクスは咄嗟に顔ごと目を背ける。

 フィアルカの紋章は、右の大腿部、しかもかなり上の方にある。アルクスとて、幼少期に目にして以来、見たことがない。

「……これでよろしいでしょうか」

 ばさりと布が下ろされる音がして、アルクスはゆっくりと顔を元に戻した。レイツェルもさすがに驚いた表情になっている。

「悪かった。そんな場所にあるなんて思わなくて」

「いいえ。失礼いたしました」

「君が謝ることはないよ。強要したのは私だ。―――そうだ、私はここ」

 言いながらレイツェルは左側だけを覆うケープを払った。あらわになった左肩に、水の紋章が浮かび上がっている。レイツェルの上着は変わった意匠になっていて、左の袖は二の腕から下にしかない。左肩が剥き出しなのは、水皇すいこうとして、事あるごとに紋章を示さねばならないからだろう。

「寒いんだよね、これからの季節。夏はいいんだけど」

 ぼやきながらレイツェルはケープを元に戻した。フィアルカに座るよう椅子を示して、改めて口を開く。

「さて。アルクス殿下」

「はい」

「君が城を落ちてからここまでのことを、聞かせてくれるかな」

 覚悟はしていたが、その時を迎えると鉛を飲んだような気分になる。しかし、レイツェルを―――水国シェリアークを巻き込もうというのだから、必要なことだ。

「……はい。長くなりますが」

 前置きして、アルクスは話し始めた。

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