第二章 11

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「これは……酷いな」

「レーヴハルト殿下、お気をつけください」

「大丈夫だ、これ以上は崩れないだろう」

 完全に崩壊した工場の前で、第二皇子レーヴハルトとその側近が話しているのを見ながら、ジークデンは冷や汗を流していた。

(何故こんなときに……)

 正直、アルドラの王子とニーズルヤードが暴れた一件の後始末で、視察を迎えるどころではない。しかし、皇子の申し出をね付ける度胸を、ジークデンは持ち合わせていない。

 慌てて受け入れ態勢を整え、皇子一行がやってきたのが今朝のこと。報告は既に上げているが、改めて直々に叱責を受けるとなると胃が痛む。

 この破壊を引き起こした張本人、アルドラの王子はまんまと逃げおおせ、原因の一人であるニーズルヤードは重傷の治療のため早々に帰国してしまった。ジークデン自身は降格か更迭こうてつかと半ば諦めているが、本来責めを受けるべき人間がここにいないのは、恨み言の一つも言いたくなる。

 不意にレーヴハルトが肩越しに振り返った。

「これを、少年がたった一人で?」

「……左様でございます。汗顔かんがんの至りにて」

「何故、貴殿が?」

 本当に不思議そうに問われて、ジークデンは鼻白む。

「防ぐことが出来ず、このような……大きな被害を出してしまいまして」

「建物への被害は大きかったが、人的被害は殆どなかったという。これだけ大きな破壊があってそれは、誇るべきことだと私は思う」

 死人が出なかったのは、アルドラの王子たちが兵士を手にかけなかったからで、ジークデンの手柄ではない。レーヴハルトなりの慰めだろうと解釈し、ジークデンは頭を下げた。

「……お心遣い、痛み入ります」

 ジークデンの胸中を察したか、レーヴハルトは微かに笑む。

「気休めで言っているのではない。建物は作り直せるが、人は蘇生できない。どちらを惜しむべきかは明白だろう」

「は……」

 返答に困りながら、ジークデンは己の中でのレーヴハルトの印象を書き直した。

(もっと苛烈な人柄かと思っていたが)

 つい一月ほど前、突然ミルザム総督が交代した。新たに赴任してきたのは、レーヴハルト・フェムト・スヴァルド―――スヴァルド帝国第二皇子である。

 炎国えんこくミルザムが帝国の支配下に入ってから十五年、直系の皇子が総督の座に着くのは初めてのことだ。光国こうこくアルドラを落とすことができたから、西側大陸での支配を強めるために第二皇子を送り込んできたのかもしれない。

 ジークデンはレーヴハルトの着任後すぐに提督府へ挨拶に出向き、そこでミルザム南方国境要塞に視察に行きたいと本人から打診された。そのときは、恐嵐帝きょうらんていとも呼ばれる父の気性を色濃く受け継いだ、怜悧冷徹な青年という風情だったのだが、今日相対した彼は、温厚で穏やかだ。就任直後は、あなどられないように敢えて高圧的に振る舞っていたのだとしたら、レーヴハルトの本国での苦労が偲ばれる。

 瓦礫の山を眺めていたレーヴハルトは、身体ごとジークデンに向き直った。

「可能なら付属研究所の所長に話を聞きたい。エルメルと言ったか」

 エルメルの名が出るとは思わず、一瞬答えが遅れる。

「……エルメル所長は、療養中にて」

「話せないほど酷いのか? 報告書には重傷だとはなかったが」

「いえ……、しかし、エルメル所長は通牒つうちょうを疑われておりますで、殿下のお目にかけるには」

「通牒というのは、アルドラの王子を逃がしたのが彼だというのだろう。そのときの状況確認も含めて本人と話がしたい」

 まずい、とジークデンは治まった冷や汗が再び吹き出るのを感じた。

 そもそも、アルドラの王子が要塞までやってきたのは、「徴発ちょうはつ」した「原料」の中に、王子の関係者がいたかららしい。らしい、というのは最早確認ができないからだ。

 王子は消え、掻き回すだけ掻き回した特務隊は帰国し、設備の復旧を優先したために工場の瓦礫の撤去は進まず、痕跡を探すこともままならない。この要塞にいる人物で真相に近いことをを知っているのは、エルメルだけだろう。

 報告書は帝国に都合の悪いことを伏せて、辻褄を合わせた。エルメルが知っていることを証言すれば、間違いなく食い違う。

(……非常にまずい)

 皇子の意向とあれば無視することはできない。エルメルを引き合わせるとして、口裏を合わせるよう重々言い含めねばならない。

かしこまりました。後ほど連れて参ります」

「歩けるのか? 私が出向いてもいいが」

「いえ、それには及びません」

 ジークデンが強く言うと、レーヴハルトは不思議そうな顔をしながらも頷いた。

「では頼む。―――他に損害は」

「東ゲートの外の地面に、大きな爆発痕がございます。その他は建物内に数カ所、どれも復旧が済んでいます」

「なら、東ゲートを見せてくれ」

「ご案内いたします」

 

 

     *     *     *



 来賓室へ通され、側近以外の護衛を遠ざけて、長椅子に腰掛けたレーヴハルトは一つ息をついた。

「お疲れですか、殿下。何か飲み物でも貰いましょうか」

 気遣わしげに言う女騎士に、レーヴハルトはかぶりを振った。

「いや、私はいい。グレイスも休むといい。ノアも」

 父と兄、どちらの差し金かわからないが、レーヴハルトがミルザム総督に赴任するにあたり、本国からの随行を許可されたのはノアとグレイスの二人、及び彼らの麾下きか数人だけだった。他の護衛や侍従は、こちらにき来てから宛がわれた者たちである。皆よく仕えてくれているが、まだ気を許すことはできない。刺客が紛れ込んでいる可能性も拭いきれない。

「では失礼して。グレイスも座れば」

 ノアがレーヴハルトの向かいに腰掛けて、空いている椅子を顎でしゃくると、グレイスは顔をしかめた。

「お許しが出たからと言って、その緩みきった態度はどうかと思うわよ、ノア」

「今更だろ。なあレヴィ」

「レーヴハルト殿下とお呼びしなさい。時と場所をわきまえて」

「いいだろ別に。他に誰が聞いているわけじゃなし」

 言い合う二人にレーヴハルトは小さく笑んだ。彼らとはふるい付き合いで、学友でもある。レーヴハルトに気安く接してくれるのは、もう、この二人しかいない。

「そうだな。グレイスも座ってくれ。立ったままだと内緒話がしづらい」

「ほれ」

「御意のままに。……なんでノアが得意げなのよ」

 膨れながらもグレイスが一人がけの椅子に座るのを待ち、レーヴハルトは改めて尋ねた。

「率直に二人の感想を聞きたい。今日、回った場所を見て、どう思った?」

 二人は顔を見合わせ、ノアが先に口を開く。

「どうもこうも、人間わざじゃないですね。東ゲートの爆発は説明が付きますけど、工場の瓦礫の中に、刃物でもじ切られたのでもない傷跡がありました。クッキー生地を型で抜いたみたいな切り口は、磨いたようでしたね。光の王子様か、その仲間には、鉄骨をバターみたいに切れる力があるってことでしょう」

「それは私も思った。どんな火器を用いても、ああも綺麗には切れない。……魔法とは恐ろしいものだな」

 ノアの言うとおり、すすで汚れ、力任せに千切ちぎられたような瓦礫の中に、不自然に切り取られたような痕があった。

(報告書によれば、大半の破壊は光国アルドラ王子アルクスの魔法によるもの……)

 誇張も虚偽もないとすれば、戦艦にすら一人で立ち向かえそうな、圧倒的な力だ。魔法というものは不可能を可能にしてしまう。

「グレイスは?」

「損害に関しては概ねノアと同じです。これはわたくし個人の印象ですが、ジークデン大佐は何か隠しているのではないでしょうか。報告書も、どこまで本当なのか……」

 グレイスの言葉を聞いて、レーヴハルトは頷いた。

「偽りがなくても、都合のいいように書いてはいるだろうな。意図的に事実を伏せるなどして」

「だからエルメル所長をお呼びになったのですか」

「それもある」

「それ?」

 言い回しが引っかかったか、ノアに聞き返されて、レーヴハルトは僅かに迷ったが告げた。

「本当にアルドラの王子を逃がしたのであれば、理由を聞きたい。本人から」

 アルドラ王子アルクスは、今現在帝国が最も欲している首だ。それを逃がす手助けをすれば、どうなるかわかっていたに違いないのに、そうした理由はなんなのか、純粋に興味があった。もし、そのことが偽りで、失策の責を理不尽に負わされようとしているのならば、申し開きの場がなければ不公平だろう。

「案外、ただの気紛れかもしれませんよ。科学者の考えることはわかりませんからね」

 笑い混じりに言うノアへ、レーヴハルトは目を向ける。

「知っているのか?」

「三学年か四学年上にいたじゃないですか、エルク・エルメル。稀代の天才とか、神使しんしの頭脳とか、暗黒眼鏡とか。聞いたことないか、グレイス」

「天才の二つ名はいろいろ聞いたことがあるけれど、最後のは悪口なのでは?」

「俺が言ったわけじゃないぞ。ま、やっかみだろ」

 首をすくめるノアに、そうだろうなと胸中で同意しながら、レーヴハルトは言い直す。

「名は知っている。直接会ったことはない。言い方が悪かったな、ノアはエルメルと知り合いなのか」

「知り合いって程じゃありませんけど。顔見知りってとこです」

「グレイスは?」

「わたくしは、見かけた程度です」

 見かけたと言うことは、顔は知っているということだろう。二人が知っているのなら、別人を連れてこられても、そうとわかる。

 エルメルに尋ねることを整理しておいた方がいいだろうと口を開きかけたとき、来訪を知らせる電子音が鳴った。扉に近いノアが立ち上がり、取り次ぎと二、三、言葉を交わして振り返る。

「ジークデン大佐です」

「早かったな。通してくれ」

 ノアが脇に退けると、ジークデンが姿を現した。エルメルとおぼしき人物はいない。一人かと尋ねる前に、青白いを通り越して土気色の顔をしたジークデンが口を開く。

「おくつろぎ中にその……大変申し上げにくいのですが」

「なんだ?」

「……エルメル所長の行方がわかりません」

 予想外の言葉を聞いて、レーヴハルトは思わず目を瞬いた。

「通牒を疑いながら、見張りをつけていなかったのか?」

「は、今朝はおりました。ですが……」

「今は姿が見えない、と」

 言い淀むジークデンの言葉をノアが引き取る。ジークデンはちらとノアを見て、レーヴハルトに視線を戻した。言葉を―――というよりは沙汰を―――待っているようだったのでレーヴハルトは告げる。

「今、責任を追及することはしない」

 エルメルにここから脱出する意思があったとして、レーヴハルトの来訪によって警備が手薄になったとしたら、絶好の機会だっただろう。しかし、視察があろうがなかろうが、エルメルの逃亡を許したのはジークデンの手落ちだというのは変わらない。ならば、今ジークデンを追い詰めるのは得策ではない。

「エルメルの捜索は行っているのだろう。見つかったら連れてきて欲しい」

「……畏まりました。御前失礼をば」

 結論が先延ばしになっただけだが、多少の時間が出来たからかジークデンは僅かに安堵した表情を見せ、一礼して退出していく。扉が閉まるのを確認して、ノアが戻ってきた。

「姿をくらますとは、案外行動力があるんですね。処刑されるとでも思ったんでしょうか」

「訂正なさい。レーヴハルト殿下が調査もなさらずに、その場で処刑などするはずがない」

 目をつり上げるグレイスへ、落ち着けとでも言うようにノアは片手を振る。

「わかってるって。でも、エルメル博士はレヴィの為人ひととなりを知らないだろ。皇帝陛下ならやりかねないし、レヴィも同じ方針だと思われても仕方がない。ジークデン大佐が正直に言いにきたのも、同じ理由だろう」

「ああ、レーヴハルト殿下を待たせて、やっぱりいませんでしたってなる方が心象が悪いからね?」

「そう。レヴィの気が変わって今すぐ処分されるかもしれない」

 ノアとグレイスの遣り取りを聞き、レーヴハルトは苦笑する。

「私は人の心がないとでも思われているのか」

「レヴィがと言うよりは、皇帝陛下とクローディス殿下のせいでしょうねえ」

 父と兄を引き合いに出されて、レーヴハルトは溜息を飲み込んだ。

 恐嵐という、聞くたび複雑になる二つ名を持つ父や、勇猛と無謀を取り違えているような兄と同一視されるのは心外だが、役に立つこともあるかもしれない。

(逃げるつもりなら、エルメルはもう要塞内には留まっていないだろう。被害状況は確認できたのだから、長居せずに帰るべきか)

 エルメルと直接話をしてみたかったが、いなくなってしまったのでは仕方がない。

 ジークデンはレーヴハルトが指示を出すまでもなく、血眼でエルメルを捜すはずだ。アルドラの王子を逃がし、その手引きをしたとされるエルメルまで見失ったとなれば、二つの意味でジークデンの首が飛びかねない。

(しかし、アルドラの王子を逃がしたのが事実にしろそうでないにしろ、逃げたら立場を悪くするだけなのに)

 それがわらないエルメルでもあるまい。だとしたら、何か逃げなければならない理由があったと考えられる。それがなんなのかは、やはり本人に訊かねばわからない。

(見つかればいいが……)

 ジークデンが勢い余ってエルメルを殺してしまわないように、話がしたいから捕らえたら知らせるように行っておこうと思う。

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