第二章 12

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「それで、レイツェル猊下げいか。アルクス殿下はどちらに?」

 のらりくらりとかわされるので、導師がやや強引に切り込めば、水皇すいこうレイツェルは一つ瞬きをして柔らかく笑んだ。だまされるものかと、導師は殊更ことさらに顔をしかめる。

 水皇に次ぐ位階である導師は、四人しかいない割に入れ替わりが少ない。ゆえにレイツェルとは長い付き合いなのだが、老若男女をとりこにする相貌に笑いかけられると、見慣れているはずなのに動揺しそうになる。レイツェル自身が、己の見目の良さを理解して利用しているのもたちが悪い。

「五回目だね、その問いは。繰り返しになるが、私は知らない。協力を断ったから出て行ってしまったのかもしれないけれど」

 同じ質問を繰り返していることなど重々承知だと、導師は胸中で舌打ちをした。かれこれ半刻ほどは導師四人、祭祀さいし十二人に囲まれて、アルドラ王子アルクスの行方を探られているのだが、レイツェルは涼しい顔で小動こゆるぎもしない。尋問じみた状況に苛立ちを見せることもなく、穏やかに受け答えをし、皆の話を聞いている。しかしアルクスの行方だけは、知らないと繰り返すばかりだ。もしかすると本当に知らないのではないかとすら思えてくる。

(いや、猊下はご存じのはずなのだ……絶対に)

 帝国に追われ、手勢を減らし、たった二人で水国シェリアークに辿り着いたアルクスと侍女は、哀れなほど憔悴していた。少なくとも数日の休養が必要だと薬師が訴え、詳しい話は回復してからということになったのだが、その数日の内に二人とも姿を消してしまった。結局レイツェル以外は話せずじまいだ。

「猊下がその、アルクス殿下のお申し出をお断りになる前に、我々にお話をいただきたかったですな」

「アルクス殿下は、私個人に助力を請うような言い方だったからね。どちらにしろ安請け合いは出来ないだろう。スヴァルド帝国と事を構えることになるのだから、慎重に進めないと」

 レイツェルの言い分はもっともだが、何も即答することはなかったのだ。準備が整うまで回答は保留しておくくらいのことは、思いついて欲しかった。これだからまつりごとかいさぬ若造は、と導師は胸中で悪態をつく。

(光国アルドラに恩を売る好機だというのに、みすみす逃してなるものか)

 おそらくこの場の導師、祭祀は皆、アルクスへ助力することでの見返りを期待している。最早アルドラは落ち、国王リュングダールの消息はようとして知れない。上手くすれば、神擁七国しんようななこくの盟主を交代することもできるだろう。

 それがなくとも、もし帝国がシェリアークまで手を伸ばしてきたとしたら、戦わなければならない。強大な力を持つ「継承者」は、文字通り一騎当千に値する。なんとしても留め置かねばならない。

 ちらりと窓の外に目をったレイツェルが不意に立ち上がった。

「次の予定があるから失礼するよ」

 一方的に言い置いて議場を出て行く。扉が閉まり、導師は息をついた。他の面々も皆同じように嘆息たんそくし、大きな溜息のようになる。

「……どういたしましょうか」

 最年少の祭祀が沈黙に耐えかねたかのように口を開いた。それには最年長の導師が応える。

「どうもこうも、アルクス殿下をお探しせねば。酷く消耗なさっていたご様子、まだお歩きになるには尚早しょうそうであろう」

 長老は遠回しに言っているが、要は連れ戻して閉じ込めておけということだ。既に神殿内の捜索は始まっており、いまだ発見の報告がない。範囲を町まで広げた方がよさそうだ。

「手の空いている神殿騎士は全員出せ。なんとしてもアルクス殿下をお探しし、丁重にお連れするように。御身おんみに何かあっては同盟国たるシェリアークの沽券こけんに関わる。―――この場は解散とする」

 長老の言葉を合図にして、三々五々散っていく。導師も席を立って議場を出た。廊下の先で、若手の祭祀が数人、額を寄せ合うようにして何かを話している。彼らの管轄は警備だったはずなので、捜索にける人数を相談しているのかもしれない。

 しかし、彼らは導師の姿を認めると、会釈をしてそそくさと去って行った。

「……?」

 聞かれたくない相談だったのだろうかと、導師は眉をひそめる。導師、祭祀といえども一枚岩ではない。派閥や権力争いは当然のようにある。ただ、導師や祭祀と名の付く者がいがみ合っているというのは外聞が悪いので、陰で足を引っ張り合っているのだ。

 宗教国家の幹部というと、人格者のように思われがちだが、そんなことはない。むしろ、皆、表面上はそう装っているだけに、その胸中に渦巻くものは計り知れない。一人、我関せずと他人事のような顔をしているのは、水の「継承者」という絶対的な立場であるが故に、何者にもおびやかされない水皇レイツェルだけだ。

(注意しておくか……)

 一つ息をつき、導師は止まっていた足を進めた。



      *     *     *



 アルクスはフィアルカと共に、山道を進んでいた。

 山の入り口まではレイツェルが手配した護衛が送ってくれたが、山に入るのは禁じられているからと戻っていった。

 レイツェル曰く、この山には「老師」なる人物が住んでいるらしい。その人と会って、頭を冷やしてこいと言われた。無論、レイツェルは頭を冷やせとは言わなかったが、そういうことだろう。

(おれは冷静なのに……)

 怒りは持続の難しい感情だ。城が落ちてもう三月みつき以上になる。直後ならいざ知らず、今はあのときのような激情はない。だが、レイツェルにはアルクスが視界狭窄を起こしているように見えているらしい。

(これ以上どうしろって言うんだ)

 まだ納得のいっていないアルクスは、レイツェルとのやりとりを反芻はんすうする。



「それはできない」

 アルクスは一瞬、何を言われたのかわからなかった。妙な沈黙が落ち、それはレイツェルの答えのすべてなのだと飲み込んで、目を瞬く。

「え……」

「今のアルクス殿下に力を貸すことはできない」

 聞こえなかったと思ったのか、レイツェルは言い聞かせるような口調で繰り返した。そうではない、とアルクスはゆるゆるとかぶりを振る。言葉は聞き取れた。拒まれた理由がわからない。

「ど……どうしてですか」

「逆に尋ねるけれど、アルクス殿下は私の―――水国すいこくシェリアークの力を借りて、どうするつもりだい?」

 言わずもがなのことを問う理由がわからなくて、アルクスは首をかしげた。

「帝国を倒して、アルドラとミルザムを取り戻します」

「帝国を倒すとは?」

「え?」

「アルクス殿下は、どうなれば帝国を倒したと思うのかな」

「どうって……帝国が滅べば倒したと言えるのでは」

 スヴァルド帝国を放っておいては、また同じことが繰り返される。被害が拡大する前に、元凶を叩かねばならない。

「……そうか」

 アルクスの答えを聞き、レイツェルは独白のような呟きを落とした。二呼吸ほどの沈黙を置いて、改めて口を開く。

「私個人としては、力になりたい。だが、私は水の『継承者』であり、『水皇』でもある。水国シェリアークの民に支えられている以上、民を守る義務がある」

「それは、勿論。でも、帝国が次に狙うとしたら、きっとシェリアークです」

 シェリアークが落ちれば帝国は西側大陸の東部沿岸を手中にする。それを許すわけにはいかないと訴えても、レイツェルは首を縦には振らない。

「帝国とて、アルドラと戦をして無傷ではない。アルドラ領内はまだ混乱している。今すぐにシェリアークに攻め込んでくる余力はないよ」

「だから、今のうちに」

「落ち着いて。焦らず機をうかがわなければ」

「機っていつなんですか!」

 アルクスは思わず声を上げて立ち上がった。帝国の目的が西側大陸の支配なら、最早それは各国の問題ではない。帝国を倒さなければ世の平和が脅かされるというのに、どうしてわかってくれないのだろうとレイツェルに怒りにも似た苛立ちを覚える。

 アルクスを見上げたレイツェルは、少しだけ悲しそうな顔をした。柔らかな声音で続ける。

「アルクス殿下。君は今、冷静ではない」

「そんなことありません」

「辛いことが続いて、焦る気持ちはわかる。けれど、不用意に動いて君が帝国の手に落ちてしまったら、光国アルドラの息の根は完全に止まってしまうんだよ」

「それは……」

 反論できず、アルクスは肩を落とした。項垂れて両手を握り締める。

(なんで、おれなんだ……)

 これまでも何度も繰り返した問いを胸中で呟く。光の継承者と言っても、なんの力も持たず、一人では何も出来ない。自分が父リュングダールの代わりになればよかったのだとすら思う。アルクスではなく、リュングダールが城を落ちていれば、すぐに体勢を立て直して反攻できたはずなのだ。―――数多あまたの命を犠牲に、役立たずが残ってしまった。

 やんわりと頭をでられ、驚いて顔を上げれば、いつの間にかかたわらにレイツェルが立っている。目が合うと、彼は淡く笑んだ。アルクスには、これまでのような、どこか作り物めいた表情ではなく、レイツェル自身の素の顔に見えた。

「君たちには休息が必要だ」

「……おれは大丈夫なので、フィーアを」

 言いながら視線を投げると、沈黙を守っていたフィアルカは、ぎょっと目を見開いた。そして、小刻みに首を左右に振る。

「い、いえ、わたくしだけ休養させていただくわけには参りません」

 レイツェルは二人を見比べて困ったような笑みになり、やがて一つ頷いた。

「じゃあ、こうしよう。私が昔お世話になった老師がいるんだ。二人でその人のところに行ってみてほしい。ここに留まるよりは、のんびり出来ると思う。私の武芸の師匠だから、本当に休息が必要ないと思えば稽古をつけてくださるだろう」

「武芸……ですか」

 レイツェルと武が結びつかず、独り言のつもりで呟けば、彼は心外そうに眉を上げた。

「私だって自分の身は自分で守れないとね。―――そうだ、少し手合わせしようか。身体を動かせば、多少は気分転換になるだろう」

 言いながらレイツェルは、露台に続く大窓に近付いて窓を開けた。曇ってはいるが雨は降っておらず、やや冷たい風がカーテンを揺らす。

 手招きされるままそちらに行くと、一部屋丸ごと収まってしまいそうな広い露台がある。中庭に面しているらしく、周囲は建物に囲まれて、人気ひとけも視線も感じられない。

「武器は使わないでやろう。二階だから落ちても大事はないと思うけど、気をつけてね」

「……はい」

 露台の中央で向き合い、戸惑いながら身構える。

「行くよ」

 宣言とほぼ同時、瞬きの間にレイツェルが眼前にいた。油断していたアルクスは反応が遅れる。

「は!?」

 咄嗟に首を傾けると、抜き手が耳元を掠める。アルクスは慌てて離れようとするが、すべて読まれているかのようにはばまれた。間合いを取ることは諦め、重心を前にかければ、それを察したらしいレイツェルが踏み込んでくる。

 あごを狙う掌底を仰け反ってかわし、胴への拳を受け止めれば、逆に手首を掴んで投げられた。

「うわっ!」

「アル!」

 どうにか身体を捻って足から着地する。体勢を立て直して窓を振り返ると、両手で口元を押さえて蒼白になったフィアルカが立ちすくんでいた。アルクスは無事だと言うことを知らせるために軽く片手を振る。そして、レイツェルに向き直った。

「……強いんですね」

「いいや、不意打ちみたいなものだったからさ。ちゃんと武器を使ってやればまた違うだろう。着地するとはさすがだね」

 レイツェルは言うが、現実に戦闘となったとき、一対一で、正面からになることはほぼない。たわむれのようなものだったとは言え、今アルクスがレイツェルに投げられたのが、純然たる力の差だ。

(レイさんが戦えるのにも気付かないくらい、おれは……)

 相手の力量を測るのも実力のうちだと言っていたのは誰だっただろうと記憶を探り、ニーズルヤードを思い出してしまって、アルクスは握り締めた拳に力を込めた。―――あの男だけは、許すことができない。

「老師には連絡しておくよ。すぐ出られるかな?」

 レイツェルの声で我に返り、慌てて頷く。

「あ……はい」

「護衛の手配はこちらでするから心配要らない。そうと決まれば、支度を」



(なんだか、ていよく厄介払いされたような……)

 改めて振り返ってみてアルクスは、レイツェルはアルクスとフィアルカを都から遠ざけておきたかったのかもしれないと思い至る。

(レイさん以外の人とも話さなかったし……おれたちが保護されたっていうのはみんな知ってるだろうから隠す必要はないよな。だとすれば)

「……ル。アル」

「え?」

 後ろを歩くフィアルカに呼ばれて、考え込んでいたアルクスは足を止めて振り返った。

「どうしたの、フィーア」

「見て、煙。あれが『老師』のお住まいじゃないかしら」

 フィアルカが指さす先には、確かに一筋の白い煙が上がっている。おそらく、煮炊きするときのものだろう。

「ほんとだ。多分、そうだね」

 目算だが、日が落ちる前に辿り着けそうだと安堵していると、フィアルカが心配そうに首を傾けた。

「……アル、大丈夫?」

「大丈夫だよ」

 首肯するアルクスを見て、フィアルカはますます心配そうな―――悲しそうな表情になる。

「そう……なら、いいのだけれど」

「フィーアこそ、疲れた? 少し休憩しようか」

「いいえ、平気。止まってしまってごめんなさい、行きましょう」

「うん」

 目的地が明確になったことで、体力の配分もしやすくなった。あと少し、頑張ろうと顔を上げたとき、

「こら! 山に入ってはいかんと言うたじゃろう!」

「うわあ!」

 唐突に声が跳んできてアルクスはびくりと竦んだ。声のした方を見れば、脇の獣道から茂みを掻き分けて人影が出てくる。まったく気配を感じなかった。

「なんじゃ、子どもらではなかったか……ん? おぬし」

 人影はアルクスを見て眉をひそめる。その顔にはアルクスも見覚えがあり、目を見開いた。

「あなたは……!」

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