第二章 12
12
「それで、レイツェル
のらりくらりとかわされるので、導師がやや強引に切り込めば、
水皇に次ぐ位階である導師は、四人しかいない割に入れ替わりが少ない。ゆえにレイツェルとは長い付き合いなのだが、老若男女を
「五回目だね、その問いは。繰り返しになるが、私は知らない。協力を断ったから出て行ってしまったのかもしれないけれど」
同じ質問を繰り返していることなど重々承知だと、導師は胸中で舌打ちをした。かれこれ半刻ほどは導師四人、
(いや、猊下はご存じのはずなのだ……絶対に)
帝国に追われ、手勢を減らし、たった二人で水国シェリアークに辿り着いたアルクスと侍女は、哀れなほど憔悴していた。少なくとも数日の休養が必要だと薬師が訴え、詳しい話は回復してからということになったのだが、その数日の内に二人とも姿を消してしまった。結局レイツェル以外は話せず
「猊下がその、アルクス殿下のお申し出をお断りになる前に、我々にお話をいただきたかったですな」
「アルクス殿下は、私個人に助力を請うような言い方だったからね。どちらにしろ安請け合いは出来ないだろう。スヴァルド帝国と事を構えることになるのだから、慎重に進めないと」
レイツェルの言い分は
(光国アルドラに恩を売る好機だというのに、みすみす逃してなるものか)
おそらくこの場の導師、祭祀は皆、アルクスへ助力することでの見返りを期待している。最早アルドラは落ち、国王リュングダールの消息は
それがなくとも、もし帝国がシェリアークまで手を伸ばしてきたとしたら、戦わなければならない。強大な力を持つ「継承者」は、文字通り一騎当千に値する。なんとしても留め置かねばならない。
ちらりと窓の外に目を
「次の予定があるから失礼するよ」
一方的に言い置いて議場を出て行く。扉が閉まり、導師は息をついた。他の面々も皆同じように
「……どういたしましょうか」
最年少の祭祀が沈黙に耐えかねたかのように口を開いた。それには最年長の導師が応える。
「どうもこうも、アルクス殿下をお探しせねば。酷く消耗なさっていたご様子、まだお歩きになるには
長老は遠回しに言っているが、要は連れ戻して閉じ込めておけということだ。既に神殿内の捜索は始まっており、
「手の空いている神殿騎士は全員出せ。なんとしてもアルクス殿下をお探しし、丁重にお連れするように。
長老の言葉を合図にして、三々五々散っていく。導師も席を立って議場を出た。廊下の先で、若手の祭祀が数人、額を寄せ合うようにして何かを話している。彼らの管轄は警備だったはずなので、捜索に
しかし、彼らは導師の姿を認めると、会釈をしてそそくさと去って行った。
「……?」
聞かれたくない相談だったのだろうかと、導師は眉を
宗教国家の幹部というと、人格者のように思われがちだが、そんなことはない。むしろ、皆、表面上はそう装っているだけに、その胸中に渦巻くものは計り知れない。一人、我関せずと他人事のような顔をしているのは、水の「継承者」という絶対的な立場であるが故に、何者にも
(注意しておくか……)
一つ息をつき、導師は止まっていた足を進めた。
* * *
アルクスはフィアルカと共に、山道を進んでいた。
山の入り口まではレイツェルが手配した護衛が送ってくれたが、山に入るのは禁じられているからと戻っていった。
レイツェル曰く、この山には「老師」なる人物が住んでいるらしい。その人と会って、頭を冷やしてこいと言われた。無論、レイツェルは頭を冷やせとは言わなかったが、そういうことだろう。
(おれは冷静なのに……)
怒りは持続の難しい感情だ。城が落ちてもう
(これ以上どうしろって言うんだ)
まだ納得のいっていないアルクスは、レイツェルとのやりとりを
「それはできない」
アルクスは一瞬、何を言われたのかわからなかった。妙な沈黙が落ち、それはレイツェルの答えのすべてなのだと飲み込んで、目を瞬く。
「え……」
「今のアルクス殿下に力を貸すことはできない」
聞こえなかったと思ったのか、レイツェルは言い聞かせるような口調で繰り返した。そうではない、とアルクスはゆるゆるとかぶりを振る。言葉は聞き取れた。拒まれた理由がわからない。
「ど……どうしてですか」
「逆に尋ねるけれど、アルクス殿下は私の―――
言わずもがなのことを問う理由がわからなくて、アルクスは首をかしげた。
「帝国を倒して、アルドラとミルザムを取り戻します」
「帝国を倒すとは?」
「え?」
「アルクス殿下は、どうなれば帝国を倒したと思うのかな」
「どうって……帝国が滅べば倒したと言えるのでは」
スヴァルド帝国を放っておいては、また同じことが繰り返される。被害が拡大する前に、元凶を叩かねばならない。
「……そうか」
アルクスの答えを聞き、レイツェルは独白のような呟きを落とした。二呼吸ほどの沈黙を置いて、改めて口を開く。
「私個人としては、力になりたい。だが、私は水の『継承者』であり、『水皇』でもある。水国シェリアークの民に支えられている以上、民を守る義務がある」
「それは、勿論。でも、帝国が次に狙うとしたら、きっとシェリアークです」
シェリアークが落ちれば帝国は西側大陸の東部沿岸を手中にする。それを許すわけにはいかないと訴えても、レイツェルは首を縦には振らない。
「帝国とて、アルドラと戦をして無傷ではない。アルドラ領内はまだ混乱している。今すぐにシェリアークに攻め込んでくる余力はないよ」
「だから、今のうちに」
「落ち着いて。焦らず機を
「機っていつなんですか!」
アルクスは思わず声を上げて立ち上がった。帝国の目的が西側大陸の支配なら、最早それは各国の問題ではない。帝国を倒さなければ世の平和が脅かされるというのに、どうしてわかってくれないのだろうとレイツェルに怒りにも似た苛立ちを覚える。
アルクスを見上げたレイツェルは、少しだけ悲しそうな顔をした。柔らかな声音で続ける。
「アルクス殿下。君は今、冷静ではない」
「そんなことありません」
「辛いことが続いて、焦る気持ちはわかる。けれど、不用意に動いて君が帝国の手に落ちてしまったら、光国アルドラの息の根は完全に止まってしまうんだよ」
「それは……」
反論できず、アルクスは肩を落とした。項垂れて両手を握り締める。
(なんで、おれなんだ……)
これまでも何度も繰り返した問いを胸中で呟く。光の継承者と言っても、なんの力も持たず、一人では何も出来ない。自分が父リュングダールの代わりになればよかったのだとすら思う。アルクスではなく、リュングダールが城を落ちていれば、すぐに体勢を立て直して反攻できたはずなのだ。―――
やんわりと頭を
「君たちには休息が必要だ」
「……おれは大丈夫なので、フィーアを」
言いながら視線を投げると、沈黙を守っていたフィアルカは、ぎょっと目を見開いた。そして、小刻みに首を左右に振る。
「い、いえ、わたくしだけ休養させていただくわけには参りません」
レイツェルは二人を見比べて困ったような笑みになり、やがて一つ頷いた。
「じゃあ、こうしよう。私が昔お世話になった老師がいるんだ。二人でその人のところに行ってみてほしい。ここに留まるよりは、のんびり出来ると思う。私の武芸の師匠だから、本当に休息が必要ないと思えば稽古をつけてくださるだろう」
「武芸……ですか」
レイツェルと武が結びつかず、独り言のつもりで呟けば、彼は心外そうに眉を上げた。
「私だって自分の身は自分で守れないとね。―――そうだ、少し手合わせしようか。身体を動かせば、多少は気分転換になるだろう」
言いながらレイツェルは、露台に続く大窓に近付いて窓を開けた。曇ってはいるが雨は降っておらず、やや冷たい風がカーテンを揺らす。
手招きされるままそちらに行くと、一部屋丸ごと収まってしまいそうな広い露台がある。中庭に面しているらしく、周囲は建物に囲まれて、
「武器は使わないでやろう。二階だから落ちても大事はないと思うけど、気をつけてね」
「……はい」
露台の中央で向き合い、戸惑いながら身構える。
「行くよ」
宣言とほぼ同時、瞬きの間にレイツェルが眼前にいた。油断していたアルクスは反応が遅れる。
「は!?」
咄嗟に首を傾けると、抜き手が耳元を掠める。アルクスは慌てて離れようとするが、すべて読まれているかのように
「うわっ!」
「アル!」
どうにか身体を捻って足から着地する。体勢を立て直して窓を振り返ると、両手で口元を押さえて蒼白になったフィアルカが立ち
「……強いんですね」
「いいや、不意打ちみたいなものだったからさ。ちゃんと武器を使ってやればまた違うだろう。着地するとはさすがだね」
レイツェルは言うが、現実に戦闘となったとき、一対一で、正面からになることはほぼない。
(レイさんが戦えるのにも気付かないくらい、おれは……)
相手の力量を測るのも実力のうちだと言っていたのは誰だっただろうと記憶を探り、ニーズルヤードを思い出してしまって、アルクスは握り締めた拳に力を込めた。―――あの男だけは、許すことができない。
「老師には連絡しておくよ。すぐ出られるかな?」
レイツェルの声で我に返り、慌てて頷く。
「あ……はい」
「護衛の手配はこちらでするから心配要らない。そうと決まれば、支度を」
(なんだか、
改めて振り返ってみてアルクスは、レイツェルはアルクスとフィアルカを都から遠ざけておきたかったのかもしれないと思い至る。
(レイさん以外の人とも話さなかったし……おれたちが保護されたっていうのはみんな知ってるだろうから隠す必要はないよな。だとすれば)
「……ル。アル」
「え?」
後ろを歩くフィアルカに呼ばれて、考え込んでいたアルクスは足を止めて振り返った。
「どうしたの、フィーア」
「見て、煙。あれが『老師』のお住まいじゃないかしら」
フィアルカが指さす先には、確かに一筋の白い煙が上がっている。おそらく、煮炊きするときのものだろう。
「ほんとだ。多分、そうだね」
目算だが、日が落ちる前に辿り着けそうだと安堵していると、フィアルカが心配そうに首を傾けた。
「……アル、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
首肯するアルクスを見て、フィアルカはますます心配そうな―――悲しそうな表情になる。
「そう……なら、いいのだけれど」
「フィーアこそ、疲れた? 少し休憩しようか」
「いいえ、平気。止まってしまってごめんなさい、行きましょう」
「うん」
目的地が明確になったことで、体力の配分もしやすくなった。あと少し、頑張ろうと顔を上げたとき、
「こら! 山に入ってはいかんと言うたじゃろう!」
「うわあ!」
唐突に声が跳んできてアルクスはびくりと竦んだ。声のした方を見れば、脇の獣道から茂みを掻き分けて人影が出てくる。まったく気配を感じなかった。
「なんじゃ、子どもらではなかったか……ん? おぬし」
人影はアルクスを見て眉を
「あなたは……!」
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