三章 4-2
* * *
「ふんふーふんふーんふんふーんふふんふーん」
妙な鼻歌が聞こえてくる方へ目を
「よう、イドレ。やけに上機嫌だな」
声をかけると、足を止めたイドレはにっこりと―――否、にんまりと笑う。
「やあ、ヴォルギス。今日はいい日だね」
「おまえからそんな台詞、初めて聞いたわ気持ち悪い。何があったんだ」
「向こう行きが決まったのさ」
帝国内で「向こう」と言えば、海を挟んで向こう側の西側大陸のことだ。局長の名代で「向こう」へ行き、大怪我をして帰って来てから、イドレはずっと「向こう」へ行きたがっていた。
「おまえ、半年くらい前に『向こう』で酷い目に
イドレは不思議そうに目を瞬く。
「別に酷い目になんて遭ってないけど?」
「左腕半分無くすのが酷くねえならなんなんだよ」
「失ったものより得たものの方が大きかったってこと。ああ、楽しみだなあ」
言葉とは裏腹に、イドレは凶悪な笑みを浮かべた。この戦闘狂め、と自分を棚上げして胸中で呟き、ヴォルギスは言う。
「俺も連れてけよ。演練演練で
「それは局長に言って。
「うわ気の毒。じゃあ『向こう』行くのは、今のとこイドレ隊とセヴラン隊か?」
「特務隊からはそうだね」
「特務隊からはってことは、他の連中も行くのか」
「そうじゃない? 知らない」
「……おまえはもう少し他の人間に興味を持て。あと、特務隊以外の情報も聞いておけ」
セヴランは特務隊の一人で、寡黙な中年男性だ。ヴォルギスも殆ど話したことがないので、名前以外の素性は知らない。この調子のイドレと、必要以上のことは喋らないセヴランでは、遠征部隊は地獄のような空気になるだろうが、おそらく二人とも気にしないのだろう。
「今度はなんだ? また局長の名代か?」
「いいや、エルメル博士の捜索」
「エルメル……あれか、天才通り越して化け物って噂の」
常軌を逸した天才の、本当なのか嘘なのかわからない逸話はよく聞くが、ヴォルギス自身はエルメルに直接会ったことはない。現在は、ミルザム総督府付属研究所の工場が崩壊したときに怪我をして、療養中に行方不明になったと伝わっている。逃げ出したのか連れ去られたのかは定かではないらしい。
「そう。局長はエルメル博士にご執心でね。いや、局長がご執心なのは博士じゃなく
「どっちでもいいわ。エルメルの捜索は向こうの部隊がもうやってんじゃねえの」
「全然成果がないもんだから、局長が親切心で手を貸してあげるんだってさ」
「局長はともかく、おまえの目的はエルメルじゃないだろ」
「ええー? そんなことないよおー。エルメル博士を捜し出せば、おれの捜しものも出てきそうだなっては思うけど」
「やっぱりエルメルじゃねえじゃねえか。よく局長がおまえを出す気になったな」
「おれの新しい機神シリーズも試してこいってさ。国内じゃ戦争してないからね」
現在、帝国に内戦が起きている地域はない。大規模な戦闘といえば、人里近くに危険種が現れたときの討伐くらいだ。局長としては、「向こう」は絶好の実戦の場だろう。
「こないだ壊したばっかなのに、もう新しいのか。局長もえげつねえな」
「おれとしては問題ないから平気」
「おまえがいいならいいけどよ」
ヴォルギスも局長から専用の機神兵器を与えられている。しかし、機神シリーズは総じて使用者の身体的負荷が大きい。左の肘から先を喪い、特別製の義手を取り付けたばかりのイドレには負担になるのではと思ったのだが、本人が大丈夫だと言うのなら外野がとやかく言うことではない。
「それと、どうやら『二番目』が怪しげな動きをしてるみたいなんだよね」
「……ってこた『一番目』が噛んでると」
公然と名を出すのは
年齢もあってか、表に出る頻度が下がっている皇帝に代わり、
ヴォルギスとしては、クローディスがここのところ
「どっちにしろ、おれには関係ないけどね。向こう行くついでに『二番目』を探れたら探るし、機会が無かったら残念ってことで」
「いい加減だな」
「おれの任務はあくまでエルメル博士の捜索だからね。本気で『二番目』を探りたいなら本職を向かわせるでしょ」
それはそのとおりなので、ヴォルギスは首を
「ヴォルギス用の機神兵器もあるといいね」
「期待せずに訊いてみるわ」
退屈なのは本当なので、上手くイドレたちに同行できればいい。隠密じみたことはヴォルギスにはできないが、純粋な戦力たる自負はある。
(あんま権謀術数には関わりたくねえんだけどなあ)
局長には研究だけに没頭して、政治には口も手も出さないでいて貰いたい。
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