10話 火花
一年の中で最も日が出ている時間が短い日のことを冬至と呼ぶことを知ったのはいつだっただろうか。
あの頃は早く暗くなってしまうせいで外で遊ぶ時間が短くなることを嘆くばかりだったような気がする。
ところが進学すると同時にその感情はきっぱりどこかに置いてきてしまう。
冬は単純に寒い。手がかじかむから雪合戦たんてやらない。部活動の時間が短くなるから早く帰れて嬉しい。
いつの間にか外遊びをしたり他の人の家に遊びに行くような年齢でもなくなっていたことも関係しているのだと思う。
つまり、身も心もいろんな意味で成長したのだ。
「なんてな」
ふっ、と鼻で笑うと俺はしゃがんだ姿勢でパチパチと爆ぜる火を見つめた。
4月は近い。そろそろ日が延びてもいい頃なのだが、既に太陽は地平線の彼方にとっぷりと沈み、夜の空気がこの時間の終わりが近いことを否応にも伝えてくる。
自由時間の後から始まったBBQも既に終盤に差し掛かっている。
俺が面倒を見ている火の上、鉄板ではさっきまで如月が選んだ選りすぐりの肉が油を溢れさせていたのだが、今では食材は取り除かれ黒く焦げた屑しか残っていない。
悲しみのせいか目に強烈な痛みが襲ってくると同時に、涙が——
「いや、待って、マジで痛い」
これは冗談を言っている場合じゃない。
俺は勢いよく顔を背ける。
しかし閉じたはずの目からはじんわりと涙が滲み出てきてしまう。
気を紛らわせていれば耐えられるかと思ったけと、やはり痛いものは痛い。
催涙ガスを浴びせられたら多分こんな感じになるのだろう。
目を押さえながらそんなことを考えていた時だった。
「お疲れ様です」
声だけで誰だかわかってしまう。
俺はゴシゴシと涙を拭ってから如月に言葉を返す。
「まあ、自分から言い出したことだしな」
「謙遜しないでください。柳沢さんがいなければ皆さん困っていたと思いますよ」
「……そんなことないだろ」
「そんなことあります」
揺れる火の陰影のせいか、如月の機嫌が少し怒っているように見える。
「……そうなのかもしれないな」
自由時間が終わった後、クラスメイトはいそいそと炊事場で準備を始めたのだが彼らはマッチやライターで簡単に火がつくと思っていたらしくBBQがいつまで経っても始まらなかったのだ。
いや、まさか誰も炭に火を付けるのを経験したことがないとは思わなかった。
ああいうのは炭の配置を工夫するだけでなく、捻った新聞紙を投下して火がつきやすいようにしなくてはならないのだけどそれを誰も言い出さず、必死に炭を炙っている。
見ていてもどかしかった。
だから思わず声をかけてしまったのだ。
柄でもないことは自分でもわかってる。それに俺自身の技量もそこまで高くない。せいぜい昔やったことがある程度なのだ。
でも誰かがやらないといけない。
そう、これは適材適所ってやつだ。
……それに如月の言う通りあのままだと日が暮れてしまいそうだったしな。
「ところで如月はこんなところにいていいのか?」
俺の質問に如月は、ん?とでも言うように小首を傾げる。
「どういう意味ですか?」
「いや、きっと如月と話したい人がたくさんいるんじゃないかなと」
如月は男女問わず人気が高い。
屋外であろうと当然それは変わらずで、自由時間の時に話せなかったせいか如月はBBQ中ひっきりなしに呼び止められていた。
「……見ていたんですか?」
「あー、いや、ここからだと周りの様子がよく見えるからな。偶然目に入ったんだ」
まさか目で追っていたなんて言ようものなら、とんだストーカー野郎だ。
「その……私も柳沢さんが頑張っているところ見てましたよ」
「え?」
「あ、いえ、その——そうです。よければ火の番、代わりましょうか?」
思い出したとばかりに如月が提案してくる。
如月の行為は純粋な善意によるものだろう。
気持ちはありがたく受け取っておこうと思う。
でも如月にこんな危ない仕事をやらせるわけにはいかない。
「いや、俺がやるよ。バランスとか見極めないといけないし」
火傷でもされたら困る。珠のような肌が失われたら世界の損失だ。
それに、と俺は言葉を続ける。
「やり方わからないだろ」
もし知っていたら、もたついていた時にすぐ立候補していたはずだ。
だから出来るはずがない。
ところが如月からは予想外の言葉が返ってきた。
「わかりますよ」
「え?」
「見ていればわかりますよ」
直後如月があっ、という口をした。
すぐに何かを誤魔化すように如月は中腰になりこちらに迫ってくる。
「とにかく代わりますよ?」
……顔が近い。
鼓動が早くなる。
いつもなら目を逸らしていたところだろう。
しかし活動的な格好でたき火に照らされる如月は今までに見たことがなかった。
如月の肩にかかっていた髪がするりと俺と如月の間に垂れ下がる。
たき火のガラッと崩れる音がした。
我を取り戻した俺は炎に向き直ると火バサミを中に突っ込む。
……危ないところだった。
俺は冷や汗を拭う。
それにしても如月は見て盗む技術にも長けているらしい。
俺も親とか知り合いがやっているのを見て覚えたが、如月も——いや、まさかそんなことないよな。
影ながら努力していることは知っているが、こればかりはこうでないと説明がつかない。
だって、如月が俺のことをずっと見ている姿なんて想像できない。
きっと一瞬見ただけで身につけられるのだろう。
俺は白く燃える炭を軽くトン、と突いた。
赤い火花にも似た粉が一瞬よぎった馬鹿馬鹿しい考えのように弾けて消えた。
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