12話 部活に来客があった

「おーいお前らー。やってるかー」


 放課後の化学室。


 ガラガラと立て付けの悪いドアが引かれこの部活の顧問が入室してきた。

 

 いつものように勉学に励んでいた俺たちだったが一斉に顔をあげる。


「先生。お久しぶりです」


 最初に口を開いた俺に続けて和田が鸚鵡返しのように


「お久しぶりです」


 と言い、猪井はゆっくり頭を下げた。


「久しぶり。お前ら、またやってるな。別にいいんだけどさ」

 

 先生は俺たちの机の上にあるものをみると苦笑いを浮かべる。


 俺たちにノートや参考書を片付けようという意思はない。


 この行為は囲碁将棋部の伝統だからだ。入学当初俺が見学したときはさすがにここまで酷くはなかったが、部員の大部分を占めていた先輩が抜けて人数が少なくなってしまえばそうならざるをえなかった。

 将棋は二人いないと指せないのだ。他の二人が勉強を始めてしまったら残された人は手持ち無沙汰になってしまう。そして周りが学校の勉強をしているのに一人だけ将棋の勉強をしようという気にもならない。


 顧問も毎年この部活を担当しているそうなので実態を知っている。勉強は半ば公認だった。


 だから苦笑いを浮かべたのは少し違和感を感じる。これは何かあるな、と俺は察した。

 そもそも顧問がこの部室に顔を出すこと自体が非常に稀だ。顧問は囲碁や将棋のどちらも指せないらしいし、正直やる気もあまり感じられない。大会の知らせとか文化祭の話とか、持ってくることはあるがこの時期それはないだろうし……気が早いかもしれないが新入生歓迎会の件だろうか。


 しかし俺の予想はかすりもしていなかった。


「あー、突然なんだけどー入部希望者がいます」


 俺は耳を疑った。

 こんな時期に入部希望者だって?

 それまたどうして。

 

 部活動は通常入学してすぐ、仮入部をした後に決めるものだ。

 

 それで自分の適正を見て決めるのだけれど今から入るとなると、仮入部期間は終わってしまっているのでそれは叶わないだろう。正式な手続きに則るとこのまま入部することになる。


 それはまずいだろう。


 その人はこの部活の実情を知っているのだろうか。


 知っているとしたらそれは相当ネジの外れた人という可能性が高い。

 知らなければそれはそれで大変申し訳ない。


「呼んじゃっていい?」


 俺の葛藤をよそに顧問は廊下に顔だけ出すと手招きをする。


「どうぞー、入って」


 ……考えても仕方ないか。


 どんな物好き、あるいは変わったやつが来るのかと俺は若干不安に思いながらもそいつが入ってくるのを待ち構えた。


「失礼します」


 その姿を見た囲碁将棋部の面々は思わぬ闖入者に息を止めることになる。


 囲碁将棋に全く縁のなさそうな人間。そんな人が訪れたのだから固まってもおかしくはない。俺も含めてだ。


 ——まさか如月がまた来るとは思いもしなかった。


 如月は髪を揺らしながら入ってくると顧問の横で歩みを止めた。


「で、悪いんだけど俺これから会議だから。後は部長の柳沢中心で上手くやってくれ」

「……わかりました」


 如月を残して顧問は帰っていってしまった。

 さてさて困った、普段ならそう言っていただろう。

 

 しかし一応ここは将棋部だ。ならばやることは一つだろう。


「とりあえず一局指す?」

「はい、お願いします」


 俺は如月を席に案内すると将棋盤を取りにいった。


「俺と指そうぜ!」


 視界の端で和田が身を乗り出すように言うが無視させてもらおう。和田は一種の戦闘狂みたいなところがあるので一度火がつくと見境なく強者を求めてしまうのだ。


「ならオレと指そ〜」


 幸い猪井がゆったりとした声で和田の相手を申し出たので彼は大人しくなった。


 それにしても、如月が将棋に興味があるとは意外だったな。


 向かい側に座った如月を見る。


 その綺麗な手で駒を並べる手つきはお世辞にも達者とはいえない。

 おそらくそこまで上手ではない。

 

 振り駒で先後を決めてから互いに開始の挨拶をした。


「お願いします」

「お願いします」

 

 初心者っぽいとはいえ油断は大敵。相手は秀才だ。お手並拝見といこう。


***


「あ゛ー!! ミスったあ゛ぁー!!」


 隣でワーワーギャーギャーと和田が騒ぐ声がする。


「王手〜」

「あ゛ー!!!!」


 猪井が追い詰めたことでさらにボリュームが増した。

 これ以上はご近所迷惑にもなる。耐えきれず俺は口を挟む。


「和田。うるさい、黙ってくれ……悪いな」

「いえ、もう慣れたので……」


 和田と如月は同じクラスだから人となりはわかっていたのだろう。苦笑するように言うと再び盤面に向き直る。


「ここはどうしたらよかったんですか?」

「ああ、ここはこうしてこうなってここをこうすればいいんだ」


 俺は実際に駒を動かしながら説明する。

 

 対局は俺の圧勝だった。

 今はさっきの対局の反省会のような感想戦というものを行なっている。

 

 俺の説明に如月は感心したように頷いた。


「なるほど。確かにそうすれば受け切れますね……」

「将棋を初めてどれくらいなんだ?」

「実はまだそんなに経ってないんです。一週間前から勉強しました」


 まさかとは思うが。

 俺は予感を恐る恐る口にしてみる。


「……もしかしてそれって駒の動かし方から?」

「はい。図書館の本を借りて勉強しました」


 はぁ、と俺は深いため息をついた。


 それでこのレベルまでもってきたか。ただ単にすごい。

 初心者が駒の動きを覚えるのは簡単なことではない。

 将棋を始めようとすると、その最初の一歩で脱落する人が大多数にのぼる。

 加えて戦法や囲いまで学んできている。


 俺は唾を飲んだ。


「でもどうしてこの部に入部しようと思ったんだ? この部活、いつもは自習室みたいな感じだぞ」


 真剣に将棋をやりたかったら今はネットとかがある。そっちの方がどこでもできるし強い。もし如月が本気で将棋に臨みたいのならこの部活はお勧めしない。


「それは……興味を持ったからです。でも、そんな気持ちで入ってはいけないのでしたら私は入部を取り消します」


 その時再び和田という名のスピーカーの音量が引き上げられた。


「いや、まだ負けてない! 俺は負けてないんだっ!!!」


 うるさいなぁ、と片手で耳を塞ぎながら俺は考える。


 興味、か。いろんな風に取れる言葉だ。

 だけど昨日の話を聞いてしまうと彼女がここに来るのは理にかなっているのかもしれない。

 ここも色んな意味でアットホームだ。

 それに俺が断る理由もない。元々部長に入部者を拒否する権利もないしな。


「どんな気持ちでも構わない。緩い部活だ。入部届けは担任か顧問に出してくれ」

「——はい、そうします」


 如月の表情が心なしか少し明るくなったような気がした。


 そうだ、ついでに言っておこう。

 

「この前俺がやっていたみたいに勉強したかったらいつでもしていいぞ。ここはそういう部活だからな」

「私は皆さんに合わせます」

「あと和田がうるさかったら遠慮なく言ってくれ。俺と猪井が大人しくさせるから」

「そうですか。でも大丈夫です。私は賑やかなのも好きですから。もちろん静かなのも全然構いませんよ」

「そっか。それならよかった」


 そして俺たちは再び感想戦へと戻る。


 思えば同級生の前で如月と話すのは初めてのことかもしれない。


 少しだけ如月との距離がまた縮まったような気がした。

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