13話 日程が変更になった
寒空の下。俺は半袖半ズボンで冷たい風にさらされていた。
寒い、寒すぎる。こんなことになると知っていればもっと分厚いシャツを来てきたのに。
しかし文句を言っても始まらない。
周りも並々ならぬ目つきで軽く体を動かしている。
それに倣って俺も怪我をしないよう入念に太ももや足首を伸ばしていく。
ついに避けられない戦がやってきてしまったのだ。
半袖になったのは自分自身に気合を入れるため。
そしてこれから訪れる暑さを軽減するため。
スタート位置につくと一層緊張が高まった。
そして今、先生の合図と共に二クラスの男子生徒が一斉に走り出した——
***
「今日の体育は体育館ではなくて外で行います」
体育の授業でいつものように体操着に着替えて体育館へ向かおうとした俺たちにそんな報せがもたらされた。
まあ、ここのところ雨続きだったが今日は晴れている。地面もそこまでぬかるんではいない。ジメジメした体育館で運動するより外でたまには体を動かすのも悪くはない。寒さだけどうにかなればいいのだけど。
悠長にそんなことを考えながら俺は外ばきに履き替えて校庭へと出た。
しかし世の中はそう甘くないらしい。授業開始のチャイムが鳴るよりも早く整列した優秀な生徒たちに教師から容赦ない死の宣告が言い渡された。
「今日はですね、少し予定を早めて長距離走をやろうと思います」
この場にいる生徒全員がざわめいた。
かくいう俺もそうだ。
長距離走は三月一日のはずだろう。
昨日、焼肉を食べながら如月と話したことを思い出す。
『あっ、ごめんなさい』
『いやこちらこそその、悪かった』
俺は首をぶんぶんと振る。
今のは違う。これは昨日プレートの上にある焼肉を取ろうとした時箸と箸がぶつかってしまった時の会話だ。速攻で引っ込めたけどあれは妙な間が生まれてしまって気まずかった。全く、こんなことを思い出すだなんて。切り替えなくては。
そう、あれは焼肉を食べ終えて家の前で分かれる時。
如月がおずおずと切り出してきたのだ。
『よければ土曜日、また練習に付き合ってもらいませんか。一緒に走ってもらえるだけでいいんです』
それに対して俺は二つ返事で了承した、と記憶している。
店長も週明けに長距離走があると知ると、
『それなら明日から月曜日まで休むといい。そうすれば日曜日も練習ができるし、走り終えた月曜日もゆっくりできるだろう。ああ、遠慮しなくていいよ。如月君も頑張っているんだ。教えてもらった人にはそれなりにいいところを見せたいよね』
などと言って如月に四連休を提供したのだ。まあ、本人は遠慮して休日の午後はシフトに入ると言っていたが。
とにかくだ。
結果、俺はこの金曜日が終了し次第如月と二日間ジョギングを行う予定になっていたのだ。
それなのにまさか長距離走が今日になるとはな……
もちろん抗議の声は上がった。
しかし体育教師は威厳たっぷりに今日やらねばならない理由を並べていく。
まず雨が降っていないから。
昨日も曇り空ですんだため地面のコンディションも悪いわけではない。
一方、当初長距離走が予定されていた三月一日は天候が危ぶまれるそうだ。その日以降は回復するがそれでは遅いらしい。そろそろ成績を確定しないとまずいそうなのだ。
これはもう少し授業計画をしっかり立てておけとしか言えない。
勢いを増すブーイングに対し驚愕の一言が下された。
やらない場合その分の成績はなしになるというのだ。
流石に冗談だろう。
しかし成績の采配は全て教師に一任されている。俺たちがなんと言おうとそこから先はブラックボックスだ。
伝家の宝刀を振りかざされ俺たちは大人しくなるしかなかった。
***
……辛い。
走り始めてからどらくらい経ったのだろう。まだ一周もできていないというのに、俺の脇腹は悲鳴を上げていた。
最初はそこそこ調子が良かったと思う。
開始直後の人の荒波にも飲まれず、いい具合に上位層からちょっと下のメンツに食らいつけた。それはまだなんとか継続している。
だけど一周の半分を過ぎたあたりからキリキリと横っ腹が痛んで仕方ないのだ。
トップを狙っていないとはいえ、軽快に走る少数精鋭の前方集団を見ると心が折れそうになる。
まだ余力は残っている感じがするのに、体が言うことを聞いてくれない。
それでもなんとか走っていると折り返しであるスタート地点が見えてきた。
と、同時に俺の耳に聴き慣れない音が聞こえてきた。
何かと思うが考える余裕などない。心を無にして走っているとそこには黄色い歓声にも似た応援の声をあげる女子たちがいた。
大方手持ち無沙汰なら、と先生に応援するよう唆されたのだろう。
俺が通った時、応援の声が上がらない事はまずないだろう。
何故なら今、俺の隣には現役運動部がいるからだ。
応援されるとしても大部分がそちらに向かうだろう。
俺はスポーツできるで通っているわけでもなければイケメン男子でもないのだ。
だから俺にそういう声はかかっていないのと同義なのだ。
応援されるなどそういった余計な事を考えて心を乱すくらいなら、ただひたすら走れったほうがいい。
応援ゾーンに入った。
案の定応援の声が届くがそれは罠だ。例え善意であったとしても俺のペースを乱すものに違いない。
「頑張ってくださーい!」
溢れるほどの声の中で一つだけはっきりと声が聞こえた気がした。
シャットアウトしていたはずの俺の耳をするりと抜けてその声が、尚も俺の鼓膜に届く。
「柳沢くーん、頑張ってくださーい!」
聞き間違えようがない。
この声は如月のものだ。
その時、俺の脳裏に電流のようなものが走った。
そうだ。俺は自分のためだけに走っているわけではない。
如月が見ている。偉そうに指導した立場としても俺は彼女に無様な姿を見せることなんで許されない。
それに直接声をかけてもらったのだ。
やはりその声援には応えなくてはいけない。そうだよな、俺。
俺は気持ちだけギアを一段階上げた。
***
結果はまあぼちぼち、というところだった。
あれから俺は死力を尽くした。
まあ、少なくとも今いるメンバーの中で運動部を除いた中では一番なのではないだろうか。これで如月に顔向けできる。
一息ついた後、俺は立ち上がってコースを見る。
助けられた鶴が恩返しをしに来たように、応援をされたら応援を返したくなる。
恥ずかしいけど俺も如月を応援しなければならない。
そう思いコースへ向かおうとした俺だったが三木に止められた。
曰く、男子は終わり次第教室で待機だそうだ。
……この行き場のない俺のやる気はどうすればよいのだろう。
それにこのままでは如月の頑張りどころか順位すら見ることも叶わない。
純真な心と共に俺は男女別に分けさせようとするシステムを恨んだ。
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